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「こっちゃこー。こっちゃこー」
小学生の頃、盆にはきまって母の田舎に帰省するのが習慣だった。
母は6人姉妹の末っ子。本当は真ん中に兄が一人あったが、幼い頃に病気でなくなったそうだ。そして祖父もまた、母がまだ幼い頃に雷に打たれて亡くなってしまっている。だから、会津の山奥にあるこの家に生まれた人間で、存命なのは女だけ。
「ほれ、頭撫でさせぇ。ふっふふ…」
母の姉達は、何かにつけて理由を作り田舎には寄り付かない。嫁いだ先の事情もあるのだろうが、諸々を母に押し付け見ないふりをしているように感じる。
「ダンさんもようきやったなぁ」
僕達は、父の実家である山口県に暮らしている。
母は会津、父は長州。方々で話の種になるものの、今は平成の世の中。表立って厭われる事などない。
「いえ。オレは、お義母さんのチマキを食べに来ただけですから」
「ふっふふ。晩に出すべぇ」
父と母の出会いは、宇都宮の専門学校。
母は卒業後、地元で婿を取るはずだったが、父に猛烈なアプローチをされ、断りきれなかったらしい。
婚姻時、揉める程度で済んだのは、祖母が周囲に土下座して回ったからだと聞く。
それなら自分が婿に入ると、父はそう言ったそうだが、
おんつぁげす。いびられる、追い出される。娘の幸いを思うなら、どうか持ってってくりゃれ。
祖母はきっぱりと、断ったらしい。
実際、村に滞在している間、父は近隣から無視されるので、祖母の判断は杞憂ではなかったといえる。
過疎化が年々深刻になる中、村の娘がよりによって長州の人間に奪われた。そんなごくつまらない理由により、父にとっては辛いだけの盆休み。
しかし当時の僕はというと、そんな事情などつゆ知らず、山よ川よと田舎で遊び回っていた。特に良くしてくれたのは、2つ上のコト姉。姉御肌というかなんというか、近隣の子供達と一緒にまとめられ、散々ぱら連れ回された。
採っても採っても次の年にはリセットされたように湧き出てくる生き物。田舎のトンボは警戒心がなく、ヤンマ以外は素手で採れる。その背中に釣り針を付け、川面を飛ばし山女や岩魚なんかを釣る。上手く釣れたら昼のおかずになった。
夜も楽しい。懐中電灯が無いと歩けないような道に、ホタルが沢山飛んでいる。会津のホタルはとても身体が小さく、光も弱い。その代わり、虫アミを一振りすれば二、三匹入ってる程の数がいた。
そうして、無限に湧き出てくる小さな命を無闇矢鱈に採っては結局殺した。今考えるとかなりの非道だと思う。当時は少し倫理に欠けていた、のかな?そもそも全部コト姉から教わったので、田舎にしたら普通だったのかもしれない。あるいはコト姉が特別腕白だったのか。
とにかく、朝から晩まで、寝る間も惜しんで駆けずり回る数日間。
一度、祖母にひどく叱られた事がある。
ヤモリを捕らえて帰った時の事だ。
「ヤモリは家を守る。イモリは井戸を守る。決してとってはならねぇ」
当時は古臭いなんて感想しかなかったが、今になってみると少し分かる。
ヤモリは良い家にしか居付かない。イモリは良い水でしか生きられない。
思い当たる理由もなく、不意に居なくなっていたとしたら、それはきっと何かが起こる前触れ。炭鉱のカナリアというか、そういう教えだったのだろう。
そんな訳で祖母の家はヤモリだらけだった。居心地も抜群に良かっただろう。夜シャッターを閉めずに部屋の明かりを付けていると、窓を埋め尽くす程の虫が寄ってきた。
豊富な餌、過ごしやすい家。
その上で、家人に丁重に扱われる。
ヤモリが決して、家から離れないように。
そうして、祖母の家はずっと絶えずに守られてきた。
そう、そうだ。
あの日、ヤモリを捕らえて、祖母に叱られて、そうそう、あの日の事だ。
ああ、細かい事は意外と忘れてしまうものだな。
そりゃあ、ただの一度きりだろう。
あの夏の日の夜、祖母が脳卒中で倒れたのだ。
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