新木 誠の演説

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新木 誠の演説

「早速ですがまず一つ、お訊ねします」 襟元が鋭利な刃物の如き濃紺のスーツを一厘の余分なくかっちりと着込んだ男が壇上で演説を始めた。その表情は至って柔和だが、見開かれた瞳には力強い光を煌々と湛えている。経験値が齎しているであろう貫禄は、カリスマ性をフェロモンのように滲ませ、そこに立っているだけで気圧されそうだった。 「みなさんは神を信じますか?」 あまりに漠然とした問い掛けに、皆一様に首を傾げる。 「ああ失礼。何だか宗教勧誘の常套句のようになってしまいましたね。ご安心ください。どちらかと言えば我々はアンチカルトですから」 タブーすれすれの灰色ジョークに、ちらほらと小さな笑い声が漏れ聞こえる。 「私が言いたかったのは『現代においてなお、理論的、科学的に説明の付け難い事象、現象。これらを引き起こす存在を信じるか』です。例えばこのように……水を葡萄酒に変えてしまう、とか」 壇上の男は、いつの間にか手にしていた水の満たされたワイングラスに息を吹きかける。驚くことにたちまち水は色付き、深く美しい真紅へと様変わりした。先ほどよりも大きなどよめきが会場を揺らす。 「どうです? 神の子の有名な逸話です。とはいえもちろん私は彼ではありませんから、このワインも偽物。ただのパーティマジックです。しかし——」 自ら偽物だと明かしたワイン色の液体を飲み干す。すると男は嫌に機械的な動作で佇まいを改め、会場を埋める千を超える新人職員たちに向き直った。 「しかし。この世には、未だ既知の技術では到底太刀打ちできない未知が確かに存在している。私たちの勤めは、それらと正しく向き合い、正しく理解し、正しく対処すること。その為の諸君らであり、諸君らの為の私たちがある。私たちは諸君らに注ぐ力を惜しまない。諸君らは、あらゆる“異常”を知り尽くすことに力を注いでほしい。世界は全て創作物。故に、解き明かせぬ未知など存在しないと示すのだ」 「ようこそ——異常科学研究機構へ。私たちは、諸君らを心から歓迎しよう」
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