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1.同じ顔の人
何も考えずに無職生活を送っていたらあっという間に貯金が溶けた。実家に帰る選択肢が浮かんで、振り払いたくて転職先を探していた。それなのに。
「眞白、なわけないよね……? 眞白が生きてるわけない、よね?」
自分に話しかけていた。自分の頭を確認していた。しかし、相手はどう見ても眞白と同じ顔をしている。整形? 移植? 意味不明な考えがいくつも頭に浮かんで、恐怖で後退った。汗がぽたぽたと地面を濡らす。藁でも掴むように、しなびたバッグの持ち手を必死で握っていた。
眞白と同じ顔をした彼は淡々と涼しい声で言った。
「そう思う?」
通り過ぎる車を横目に見て、額を指で搔いた。眞白が生きて動いているみたいだ。現実が歪む。
「えーと。そっちは、眞白の知り合い?」
声も似ている、気がする。私はとにかく目をそらしながら、その顔を見たい気持ちをぎゅっと押しつぶして答えを探した。舌が上手く回らない。
「私は……。私は、名波伊吹。眞白の……」
「彼女だ。伊吹」
眞白と同じ顔で、同じ言い方をした。温かい吐息が混じった。彼は嬉しそうに笑みを浮かべている。
夢みたいな光景に目を離せずに呼吸の仕方も忘れた。これは夢だ。夢じゃなければおかしい。こんなのは、
「ありえない! だって、眞白はもう」
「うん。俺、眞白じゃないよ。眞白は俺のお兄さん」
彼は手品の種明かしをするように両手のひらを私に向けた。私は手のひらを見て何も無いのを確認する。意味が分からないまま言葉を繰り返した。「眞白がお兄さん……?」
お兄さん、お兄さん。繰り返しても言葉がふわふわ浮く。眞白は一人っ子だ。兄弟がいるなんて聞いたこともない。昔から家族ぐるみで付き合ってきたのに、兄弟がいて気付かないはずがない。詐欺、だろうか。死んだ恋人のふりをする詐欺。なんて。
「聞いたことない」
困惑する私に対し彼は何だか楽しそうに見えた。眞白と同じ顔で小さく頷いて言う。
「ひいろ。穂村陽彩。俺の名前」
知らない苗字だ。より困惑する。眞白の苗字は法月で、穂村ではない。眞白の弟で苗字が違って、顔が同じ。一体どういうことなのか、この瞬間に理解できるほど私の頭はまともじゃない。初対面の人間の顔を見るだけで心臓が止まりそうなのだ。
彼は斜め下に視線を落として、私を見て、視線のやり場に困ったように上を見た。
「俺と眞白は双子で、俺の方が一応、弟なんだって」
眞白がお兄さんなら彼は弟だ。確かにそうなる。そこは理解できた。しかし眞白とそっくりな顔は双子だから似てるんです、と言われても納得できなかった。
残暑のねっとりした湿度も手伝って、私のシャツは水を浴びた後みたいに体に張り付いていた。暑くて思考が定まらない。考えれば考えるほど、体が火照って思考の邪魔をする。
「落ち着いたところで話そうか」
と彼、陽彩くんが言った。彼は車が通り過ぎるのが気になるらしかった。びゅんと音がする度に目を向けていた。
近くのファミレスに行くことになった。知らない、地味な名前のファミレスに入った。
冷房の効いたクリーム色の店内で飲み物だけ注文する。私はすぐ化粧室に立って、自分の顔色を確認しながら化粧を直した。血色が良く見えるように塗り固めた化粧は、本当の表情をも覆い隠してしまっている。
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