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3.ホワイトデー・メランコリー
仕事から帰る途中、デパートのある駅で降りる。通路にかかるホワイトデーの広告に、俊樹は小さくため息をついた。
慣れない洋菓子コーナーの中を右往左往することを思うとどうにも気が滅入る。
俊樹が所属する研究開発部は、メンバーのほとんどが男性だ。そんな中で、全員分のチョコレートを用意してくれる数少ない女性社員達に報いたいという気持ちは十分にあるが、それとこれとは話が別だ。
地下へのエスカレーターを降りて、デパート独特の妙に白っぽい明るさの下に立ったところで、見慣れた後姿が目に入った。
俊樹の恋人である黒川が、色とりどりの菓子が並んだ棚を真剣に見て回っている。
俊樹は数秒そこで立ち尽くして、自分が取るべき行動を考えたが、結局踵を返した。
駅から少し歩いたところに、ショッピングモールがあったはずだ。出口はどっちだっただろう、と思いながら、人波の中を足早に進む。
声をかけて一緒に選べば良かっただろうか。
黒川の方が自分よりもはるかに女性へのプレゼント選びに長けているだろうことを鑑みれば、その方が良い選択のように思えた。しかしどうしてもそんなことをする気にはなれない。
黒川は魅力的な男だ。
彫りの深い知性的で穏やかな顔立ちと、それに似合う柔らかでスマートな身のこなし。すらりとした長身。頭の回転も速く、気遣いもできる。
一月前のバレンタインデーには紙袋いっぱいに入ったチョコレートを持って会社から帰ってきた。
義理チョコばっかりだよと言った時の何かを隠すような黒川の笑顔にも、綺麗にラッピングされた高級チョコレートにも、その時は何も感じていないつもりだった。
黒川がモテるのは当然だし、黒川がそんな贈り物で彼女たちになびくような男だとは到底思わなかったからだ。
それなのに、今のこの胸のざわめきは何だろう。
あんなに真剣に悩んだりなんてしなくて良いのに。
そんな仄暗い考えが脳裏に浮かぶ。
別に疑っているわけではない。
何でもそつなくこなす黒川をあれほど悩ませる見知らぬ誰かが、ただひどく妬ましく思えた。
金曜日の夜、黒川のマンションのソファーの上で、俊樹はドアからの音に耳をそばだてていた。
廊下に響く微かな足音が聞こえて、俊樹は身を起こす。続いて鍵を開ける音がして、跳ねるようにソファーから立ち上がり、玄関に向かった。
「おかえりなさい」
「ただいま」
そう言った黒川はなぜか、しまった、とでも言いたげな表情を見せた。
黒川の右手にさがった高級洋菓子店の紙袋は見ないふりで、俊樹は黒川に背を向けた。胸の奥にある小さな棘のような痛みも、ついでに気づかなかったことにする。
「今日の夕飯は、」
と言いかけたところで腕を引かれた。
振り返ると、少し照れたような顔で、黒川から紙袋が差し出される。
「本当は後で渡そうと思ってたんだけど、見られちゃったから」
「え?」
「ちょっと早いけど、ホワイトデー」
「ありがとう、ございます」
言われてみれば、自分もバレンタインデーには黒川にチョコレートを渡していた。なぜそれを忘れていたのだろう。
「開けて良いですか?」
「もちろん。どんなのが良いか全然わからなかったから、ずいぶん色々迷ったんだけど」
包装を解くと、ギモーヴショコラとカヌレのセットが入っている。箱には、マンションからは逆方向にある駅の近くに、最近できたばかりの洋菓子店のロゴが入っている。
「やっぱり女性向けが多いから、イメージに合うのがなかなか見つからなくて。俊樹君、前にチョコレートが好きって言ってたけど、貰ったものと同じじゃ芸が無いかなあと思って」
いつになく饒舌な黒川に、俊樹は何も言わずに抱きついた。
「すごく嬉しいです。ありがとうございます」
ずっと目を背け続けてきた、心の片隅にあった不安が薄らいでゆくのを感じる。
「それは良かった」
どこか誇らしげな黒川の声とともに、俊樹の背中に腕が回った。
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