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伊吹先生の後を追い走り出そうとした瞬間、他でもない「彼」に止められる。
「紺野先輩。聞いていっていただけませんか。」
至極丁寧に。懇願するように。
「しかし!黒羽くんは!」
「大丈夫だ。あの保健医は信頼できる。」
今まで黙っていた東が言い私の手をとる。そこで初めて自分が血が滲まんばかりに拳を握りしめていたことに気づく。
「…分かりました。」
私が頷くと慎くんは一度東の方に顔をむけ直ぐに私を見る。
「ありがとうございます。」
と軽く頭を下げた。その間生徒は誰一人口を開かなかった。ただ一人転校生を除いて。
「おい。紅奈!俺の話を聞けよ。久里!狼雅!」
「おい。転校生いい加減黙れよ。」
「な、何だよ。そんなこと言っちゃダメなんだぞ!」
瞬間、彼は転校生の胸ぐらを予備動作なく掴んだ。壇の上と下だ。確実に首が絞まる。「ぐっ」と呻く転校生に今まで黙っていたギャラリーがハッと気づき騒ぎ始める。
「黒瀬。やめろ。」
「ああ。皇先生。そんなにこいつが可愛いんですか。貴方の義弟が苦しんでいるというのに?」
「それは——…」
「黒瀬くん!その手を離しなさい。千が苦しんでいるでしょう。」
「会長はこれ以上の苦しみを味わった。貴方…いえ貴方だけの責任ではないですね。二階堂先輩。蓮見先輩。仕事を放棄して遊び呆けていた。貴方たちもこの人と同罪です。」
言って尚も転校生の首を容赦なく締めあげる。血の気が引いた顔を見てやばい!と思い彼に声をかけようとしたそのとき
「慎。」
東が名を呼んだ。
「慎。もう十分だ。離してやれ。そいつを殺す気か。」
彼はゆっくりと目を見開きそして嗤った。
ゆっくりと手を離す。
「要 奏。」
彼は唐突に誰かの名を口にした。
「生徒会長親衛隊隊長のお前はこの三週間何をしていた。」
呼ばれた生徒は直ぐにわかった。皆の視線が一人の生徒に集中する。
「な、何って。会長様をあの転校生から守っていたのよ。」
「守る?会長は守られていたのか。それで?あんたは守れたのか。大好きな会長様を。」
「ああ。守れたさ!現にまだ会長は転校生に堕ちていない。」
「そうだな。では、具体的にあんたらはどうやって守っていた。」
「そんなの。制裁に決まってるじゃん!」
「制裁?それは一度でも成功したのか。この転校生が一度でも諦めたのか。」
「うっ…それは。」
「「会長はまだ堕ちていない」と言ったな。その理由を教えてやるよ。会長は堕ちた役員の代わりに食事の時間を削り、睡眠時間を削り仕事をしていた。その「仕事」にはお前らが制裁を行うたびに、こいつが暴れ、壊したもの、傷つけた人の確認と請求の書類。その処理も含まれていた。わかるか。お前らは守っていたんじゃない。ただの自分達のエゴで会長の仕事を増やし、結果会長を苦しめていた。」
「そんなのお前が言えたことか?」
誰かが叫んだ。声のした方に彼は顔を向ける。
「お前だって、会長がどんな量の仕事を抱えているか知っていて見ぬふりをしていたんだろ。俺らと何が違う。それに制裁を受けて暴力を振るって学園の備品を壊していた!転校生と何が違う。」
その科白を聞いた瞬間「彼」の空気が変わった。それを察した慎くんが私の隣を見やる。「やめろ。」目が言っている。「彼」はそれを認めて強く唇を噛んだ。
「そうだな。だが俺は言ったはずだ。来るなら直接来い。他の役員を含め他の生徒、先生には迷惑をかけるな。と。それを守らなかったのはお前らだ。つまり、お前らが俺に手さえ出さなければ、会長に迷惑はかからなかった。それに俺は備品なんざ壊してねえよ。壊したとしてその書類を裁かなければいけないのは俺だからな。」
「なっ!」
「おい。慎!俺に謝れ!」
その時気を失っていた転校生が目を覚ましたらしい。慎くんに食ってかかる。
「千。危険です。彼から離れてください。」
「離せ。紅奈!慎は悪いことをしたんだ。謝るのは当然だろ。」
「悪いこと?俺がお前に何をした。」
「俺を蹴った。俺の首を絞めた。…俺のクロを壊した!」
「お前を蹴ったことも首を絞めたことも悪かったよ。あまりにもお前がガキで腹が立った。「俺の」会長を壊した?それはお前だろう。そもそも会長はお前のものじゃねえ…役員たちと遊べて楽しかったか?自分がチヤホヤされるのはさぞ気分がよかっただろう。お前は子供だからなあ。何をしても許される。」
「俺はガキじゃねえ。俺は天才なんだ。ここの編入試験だって満点を取った。」
「そうだな。確かにお前は頭はいい。運動もできるんだろうな。だが、今回のテスト。俺に負けたのはどこのどいつだ。」
「なっ!それはお前がズルをしたんだ。じゃないとおかしい!仕事、仕事って部屋にも帰ってこなかったお前がなんで満点をとれる。どうせ生徒会室で答えを見ながらでもやったんだろ。」
「悪いが俺がテストを受けたのは保健室だ。そもそもいくら生徒会と言えどテストの答案なんかもらえねえよ。そうだよな。皇先生。」
「あ、ああ。」
「フッ墓穴を掘ったな。もういいか。東雲委員長この惨状をどうする。」
「待て!慎!俺は理事長の義息だぞ!」
「だからなんだ。ここの理事長は義息だからって贔屓するのか?ハッ俺は来る学園を選び間違えたようだ。」
「違う!あの人は絶対にそんなことをしない。」
「皇先生。理事長をよくご存知のようですね。」
「それは——」
そのときどこからかパラパラというヘリのローター音が聞こえてきた。それは段々と近づいて来る。やがて突風と共にグラウンドの真ん中にヘリが降りた。降りてきたのは——その人を認めた瞬間、東雲様を始め役職持ちたちが一斉に膝をつき頭を垂れた。生徒たちは騒めく。
「パパ!来てくれたんだ!聞いてくれよ!」
「慎。立ちなさい。他の皆も楽にしてくれ。」
理事長は完璧に転校生を無視した。他の役職持ちと同じく膝をついていた慎くんに声をかけ立ち上がらせる。
「私が不在の間いろいろあったようだ。夕羽。黒羽を出しなさい。あの子に話がある。」
「それは——」
「黒羽くんは保健室ですよ。」
「君は?」
「口を出して申し訳ありません。お初にお目にかかります。紺野家が長男紺野 紗夜と言います。」
「紺野家。ああ。お茶の…君の両親には随分とお世話になってるよ。それにしても珍しいね。三年生でも彼のことを黒羽くんなんて呼ぶのは…いや詮索は無粋だね。見たところここには全校生徒が揃っているようだ。この場を借りて謝罪しよう。私が不在の間随分と皆には迷惑をかけた。本当に申し訳なかった。」
彼は深く頭を下げた。
しんと静まり返る中黙って聞いていた彼が静かに口を開いた。
「院長。俺の方こそ悪かった。わざわざ貴方が出向かなければならないようにしちまった。結局俺は自分本位の人間だった。何も…変わっていなかった。」
「慎。顔をあげなさい。あのときお前に怒りに忠実に生きろと言ったのは私だ。それは子供たちみんなに教えてきた。だが…ルールは守れと教えたはずだ。千。」
そこでようやく転校生を見た。いや…睨めつけた。
「な、何だよ。俺は悪くない!みんなが悪いんだ!」
「みんな?それはお前以外の全てが悪いと言うのか。」
「そうだよ!紅奈だって久里だって狼雅だって仕事をきちんとしてればよかったんだ!」
「なっ!それは——」
「ああ。そうだね。仕事をしていればよかった。でも、それをよしとしなかったのはお前だろう。気に入らなければ周りにあたる。壊す。そんなことが許されると思っている時点でおかしいんだよ。」
「でも!だって!」
「この話はここで終わりだ。波瀬、千を連れていけ。全員寮の自室に戻りなさい。慎。おいで。」
転校生を隣に控えていた男に任せ、理事長は慎くんを抱きしめた。瞬間慎くんの体から力が抜けた。気を失ったのだ。その目からは静かに雫が伝い落ちた。
「榊。慎を頼むよ。」
「承知しました。」
理事長がヘリの中に乗っていた男に声をかけて慎くんを託す。
「待て。そいつをどこへ連れて行く。」
今まで黙っていた東が理事長に問う。
「君は?慎の何なんだい?」
「あんたこそそいつの何だよ。」
「君は聞いていなかったのかい。私はこの子の保護者だよ。」
「あんたはいろんなところで子供つくってんのか。」
「いやいや私はこの学園と同時に幾つかの施設を経営していてね。その一つに孤児院があるんだよ。慎と千はそこの子供だよ。」
「でも転校生はあんたのことをパパと呼んでいた。息子だと。」
「施設の子は言ってしまえばみんな私の子だよ。もちろん慎もね。でも、私は千を私の籍に入れた覚えはないし、姓だって違う。ああ。私の名は神宮 楓。それで?君はこの子の何なんだい?」
「俺…いえ私は東家が次男東 理世と申します。慎は私の…後輩です。」
東が名乗った瞬間理事長の雰囲気が一変した。
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