夏休みですよ。一匹狼くん

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夏休みですよ。一匹狼くん

黒瀬 慎side  『慎』 呼ばれた気がして重い瞼をゆうるりとあげる。まず視界にとびこんできたのは—— 「院長(おやじ)?と梨沙義兄(にい)…いや梨華義兄(にい)か?」 「慎くん!よかった。目が覚めたんだね!」 「慎!お前…本当に…頑張ったな。」 「頑張った?それより梨華義兄(にい)その呼び方やめろ。キモい。」 「何言ってんの?慎くん。俺は梨沙だよ。」 「そうだぞ。慎。この子は——」 「はあ。梨華義兄(にい)?いつまでこんなこと続けるつもりだ。」 「…ククッやっぱりお前は気づくか。楓はあっさり騙されてくれたのに。」 「なっ!梨華だと?」 「久しぶりだね。梨華義兄(にい)。2年ぶり?」 「梨沙が孤児院(うち)を出てからだから3年だな。てか、お前何死にかけてんだ。」 「はあ?」 「おい楓。こいつ覚えてないようだぞ。」 「ああ…ってお前!いつから代わってた。」 「あ?梨沙が寝てからだよ。もう1時間になるな。こんなに出てたのはあの日以来だ。」 「何しみじみとしてるんだ。戻れ。梨華。」 「チッうっせえなあ。おい慎。ちったあ自重しろよ。じゃあな。」 梨華義兄(にい)は淋しげに笑ってゆっくりと目を閉じた。 「あっおい立ったまま寝るなよ。」 言い終わる前にくらりと傾いた梨沙義兄(にい)の体を腕を伸ばして支えようとした。だが、梨沙義兄(にい)の腕を引いたところで力が抜けた。「トスッ」と音を立てて梨沙義兄は俺の胸に倒れ込んだ。瞬間全身にぞわりと鳥肌がたち、吐き気が込み上げる。やばい。 「っ痛!って慎くん?起きたんだね。大丈夫?」 「梨沙義兄…!悪い。退いてくれ。」 「ああ。ごめん。重かったね。」 梨沙義兄が体を起こしても不快感は消えない。ぐっしょりと汗をかいた服が肌に張りつく。その感覚が異様に気持ち悪いのだ。 「院長(おやじ)悪い。シャワー浴びてくる。」 「えっ?あっおい。」 繋がれた線を引き抜いて俺はふらふらと脱衣所に行き服を脱ぐ。その間も不快感は増すばかりだった。シャワーを浴びた。汗の気持ち悪さは薄れたが、シャワーの水が肌にあたると気持ち悪い。そして何より湯が熱い。設定温度をかなり低くして使わなければ到底浴びられたものではなかった。シャワーを浴びながら気持ち悪さに何度かえずいたが胃に何も入っていないのか唾液と胃液しか出なかった。脱衣所に出て体を拭こうとした。だがやはりタオルが触れただけでも気持ち悪い。胸の不快感に蹲る。 その時脱衣所の扉が開いて瑞希さんが入ってきた。 「慎くん。どうしました。l 肩に触れようとした瑞希さんを制す。 「触るな!…悪い。瑞希さん。肌が変なんだ。敏感すぎるというか、肌に何かが触れると気持ち悪い。」 「やはり後遺症はでますか。少し待っていてください。」 少しして瑞希さんが戻ってきた。 「慎くん僕が今から君の体を拭きます。気持ち悪かったら素直にだしてください。」 と手渡されたボウルに袋を張ったものを受け取る。俺は気を紛らわせるために口を開いた。 「瑞希さん。楽しかったか?」 「えっ?」 「ククッ瑞希さん事後だろ。」 「チッこれだから勘のいい子供(ガキ)は。」 「瑞希さん出てる。黒いんが出てる。…だって瑞希さん綺麗だから。」 「大人を揶揄うのも大概になさい。」 「はい。すみま——ウッ…」 「もう少し我慢してくださいね…はい。できました。お疲れ様です。」 「ありがとうございます。」 「やはり何も出ませんか。慎くん、とりあえず立てますか?」 「手は大丈夫なので引き上げてもらえますか。」 「分かりました。」 差し出された手を取って立ち上がる。そのまま病室に戻る。瑞希さんの着せてくれた服は着るときこそ気持ち悪かったが一度着てしまえば体の一部のように感じる服だったので、気にならなかった。 「慎。大丈夫か。」 「ああ。悪い。大丈夫だ。」 「慎くん。貴方の大丈夫を信用している人などここにはいないんですよ。…楓くん。慎くんは高熱の後遺症で肌がとても敏感になっています。肌に触れたものは何であれ不快感を生みます。」 「…治るのか。」 「ええ。1週間ほどは気になるでしょうが。」 「ちょっと待て。瑞希さん、俺が高熱を出したって?」 「慎くん覚えてないの?」 「ない。というか梨沙義兄がなんでここにいるんだ。」 「慎。説明するから座りなさい。」 促されてベッドに浅く腰掛ける。 「まず学園からここに運ばれたのは覚えているか。」 「ああ。そんで瑞希さんが俺を診たあとなんか打たれて眠りに落ちた。そのあと一度起きて——あれっ?どうしたっけ。俺。」 「もう一度睡眠薬を打ちました。そしてその日…いえ、次の日の朝方に体温が上昇を始めました。最高40度3分まで。それからは丸二日貴方は眠り続けていたんです。」 「マジか…」 「もともと楓くんはその日にくる予定でしたから、連絡させて頂きました。梨沙くんは——」 「楓ちゃんの付き添い!理世くんの代わりだよ。」 理世。その名を聞いた瞬間、胸を過るのは後悔と自己嫌悪。あのとき何故俺はあんなことを言った?そのあと何故あんな態度をとり続けた?……考えても仕方のないことだ。 「あのあとどうなった。」 「役員を呼んで弁解を聞いた。最終的に千は退学。あの子は波瀬に預けていたんだけどね。逃げたよ。…それから役員たちは話し合いの結果、お互いに解りあえたよ。そのまま役員を継続してもらう形で収まった。役員たちにはそれぞれ補佐を探すように言ってある。」 「補佐?」 「ああ。仕事を進めるうえでスピード、効率は大事だからね。もちろん補佐の安全は補償する。」 それを聞いて安心する。 「それで会長補佐なんだが…」 「俺は辞めるよ。」 「そうか。では黒羽に——」 「俺は学園(あそこ)を辞める。」 「っ何で!俺は…俺はねっ慎くん!あそこで食堂の料理長をしてるんだ。他にも楓ちゃんのお手伝いいっぱいできるようになったんだ。あの頃何も出来なかった俺がだよ?…一緒に帰ろうよ。」 「っ…ごめんね。梨沙義兄(にい)。」 「駄目だ。辞めることは許さない。」 「なんで?俺が孤児院(うち)に戻ったら金がかかるからか?自分の食いぶちぐらい株でもなんでもやって——」 「そういうことを言ってるんじゃない!」 「っ!あっ…ウッ」 体が跳ねた瞬間太腿がシーツに擦れた。咄嗟にボウルを掴んで口内に溜まったものを吐き出す。固形物は何も出ない。 「クッけほっ…ウッ」 「急に怒鳴って悪かった。…でもそういうことを言ってるんじゃないんだ。金なら孤児院(うち)を出た子はみんな毎月送ってくれているから正直お前一人が増えたところで何も変わらない。俺が言ってるのはお前の現状だよ。お前は——逃げたいだけだろ。」 「っああ!そうだよ。刹那義兄に会いに行った。でも俺のことなんて忘れてた。…何より会長に合わす顔がねえ。」 俺は俯き片手で顔を覆った。 「慎くん!クロくんは何も気にしてないよ。むしろ心配してた!紗夜くんだって理世くんだって!」 「その名を口にするな!」 「っ⁈」 「梨沙義兄…ごめん。院長(おやじ)、俺は戻らない。孤児院(うち)に帰してくれ。頼む。」 「…分かった。いいだろう。」 「楓ちゃん⁈」 「ただし夏休みが終わるまでだ。期末試験は受けに行け。刹那と夕羽に伝えておく。手は抜くな。夏休み中に補佐を続けるか考えておきなさい。」 「ありがとう。楓さん。」 それからは他愛もない話をして、梨沙義兄の近況報告を聞いて。梨沙義兄は本当にすごいなと思った。意欲も吸収力も俺とは桁違いだ。俺の退院はそれから1週間後になった。梨沙義兄は途中で帰った。院長(おやじ)はずっと側にいてくれた。 徐々に体の感覚も戻り今日は退院だ。 「ありがとう。瑞希さん。」 「いえいえ。またここに来ることのないようにお願いしますよ。」 「本当にな。じゃあ瑞希。また連絡する。帰るぞ。慎。」 「ああ。榊もありがと!しばらくの間お幸せに!」 「ちょっと慎くん。雅を揶揄わないでください。」 「ククッじゃあね。」 「あっおい。走んな!」 こうして俺は孤児院(うち)に戻ってきた。本土の山の中にある小さな洋館の扉を叩く。 「はーい!どちら様?…って慎?楓も。」 「ただいま。義姉(あねき)!」 「貴方(あんた)学校…ううん。おかえり!慎。」 「「慎にい帰って来たの?わーい!おかえりなさーい。」」 「ただいま。茜。葵。でかくなったな。」 「僕たちもうしょうがくせいだもん。」 「ふはっ小学生くらい漢字で言えよ。あ?お前新入りか?」 「そうだよ。結奈ちゃん!」「僕たちの新しい妹!」「そうか。じゃあ俺の妹だな。おいで結奈。」 手を広げたところで「「「「「「慎にい!」」」」」」と大合唱が聞こえた。男も女も6人分。振り返る間もなく飛びかかられる。俺の不意をつけるのは義兄弟(こいつら)だけだ。 「よお!お前ら慎様のおかえりだぞ。」 「言ってんなよ。…おかえり。慎。」 「唯義兄(にい)ただいま。」 チビどもの後から歩いて来た青年に挨拶をする。昔、俺を妬んで嫌がらせをしていた主犯。今は一番仲のいい義兄(あに)。 「お前たち慎は病み上がりだ。大人しくしなさい。」 「いんだよ。院長(おやじ)。とりあえずお前ら中入ろうぜ。ほら結奈も。」 手を差し出すと素直に掴むので抱き上げる。 「うわっ!」 「ずるい!結奈ちゃんだけ。」 「ほら櫻子も。」 ともう片方で抱き上げた瞬間ふらつく。やばい!思った瞬間後ろから支えられた。 「っと危ないだろ。調子乗んな。」 「悪い。唯義兄(にい)。助かった。」 「慎にい大丈夫?」 「大丈夫だって。怖い想いさせて悪かったな?櫻子。結奈も。」 「ううん。中入ろ。」 促されて中に入る。 「慎にい声変わった?」 「変声期だ。お前も来るぞ。茜、もちろん葵も。」 「梨沙にいは可愛い声だったよ?」 「梨沙義兄は努力してんだよ。」 「「ふーん?」」 絶対分かってないやつだ。 それから期末試験のある7月半ばまで、俺は孤児院(うち)で下の子に勉強を教えたり、遊んだりして過ごした。義兄も義姉も何も訊かなかった。院長(おやじ)は次の日学園に戻って行った。 期末試験当日、俺は簗瀬さんが操縦するヘリで院長(おやじ)の島内にある家まで行き、そこから車で学園まで行った。真っ直ぐに保健室に向かう。 「失礼しまーす。伊吹いますかー?」 「久しぶりだな。黒瀬。相変わらずで何よ…髪型変えたか。というかなんか大人になったな。」 「おう。いろいろあってな。大人に云々は声だろ。中身はガキだよ。 それよりテスト寄越せ。昼までに終わらせねえと迎えが来る。」 そうなのだ。俺は髪型を変えた。後遺症で苦しむ日々の中でどうしても髪が肌に当たるのが耐えられなかった。今はなくなったが気に入ってしまって上の方で三つ編みしたものをお団子にしてシュシュで留めている。ちなみにシュシュは梨沙義兄から送られてきたものだ。以前していた青いリボンといいシュシュといいセンスがいい。 「ああ。テストな。筆記用具は?」 「貸して。」 「おっまえ何しに来たんだ。」 「ふふっテスト。」 「何笑ってんだ。ほらよ。」 「あんがと。」 そして俺は1時前15教科のテストを終えた。 「さて、帰るか。」 「もう終わったのか相変わらずどんな脳してんだ。」 「伊吹。」 「あ?」 「誰に何言われた。」 「…なんのことだ。」 「しらばっくれてんじゃねえよ。俺の目見て言え。」 「っ東にお前のこと覚えてねえのかって。考えた。けど思い出そうとすると頭が割れるような頭痛がする。…楓様にも訊いたけど何にも教えてくれなかった。」 「余計なことを…!伊吹。思い出さなくていい。」 「でもっ!」 「いいんだよ。じゃあな。」 「おい。次はいつ来る。」 「二学期。」 俺は笑って手を振った。 「じゃあな。」 伊吹の返事を聞かずに戸を閉める。昇降口で靴を履き替え外に出た瞬間、俺の足は止まった。 「——んで。なんで貴方(あんた)がここにいんだよっ!」
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