105人が本棚に入れています
本棚に追加
「——んで。なんで貴方がここにいんだよっ!」
立っているだけで画になる綺麗な男はこちらに黙って視線を寄越す。そのときアラームが鳴った。迎えの時間だ。俺は黙って男の横を通り過ぎようとした。彼の腕が俺を捕らえる。その瞬間俺は彼の腹に渾身の拳を叩き込み——全力で走った。校門を目指してひたすらに走る。車が見えてきた。今日の運転手は波瀬だ。俺は叫んだ。
「波瀬!ドア開けたまま車出せ!早くしろ!」
波瀬はこちらを認めると運転席に乗り込み車を出した。ゆっくりとスピードが上がる。俺は後部座席に飛び込みドアを閉める。ちらりと見えた後ろには既に彼が迫っていた。波瀬は俺が乗った瞬間アクセルを踏み込んで車を加速させた。もうミラーにも映らない。彼から逃げただけで息が上がっている。
「体力落ちたなー。」
「よろしかったので?」
「何が?あんなん怖すぎるやろ。リアル鬼ごっこか。」
波瀬はそれ以上何も言わなかった。俺はそのまま孤児院に帰った。
「唯義兄。ちょっと体力づくり手伝って。」
「は?お前俺のこと馬鹿にしてんの。お前俺より体力あんだろ。」
「それがさ今日ちょっと走っただけで息が上がってさ。」
「確かに楓が病み上がりって言ってたもんな。けどここに来てもう一ヶ月だぞ?」
「だから言ってんじゃん。な?付き合ってよ。」
「わあったよ。それにしてもなんでテスト受けに行って走るんだよ。体育の実技でもあったか。」
「そんなとこ…」
本当になんで俺が今日学園に行くって分かったんだ。俺が今日学園に行くのを知っているのは院長と担任。伊吹くらいだ。梨沙義兄も知っているがテスト期間のどの日に行くかは伝えていない。ましてや彼もテスト中のはずだ。では、あれは幻覚か。だったら恐すぎる。
柊 火鈴side
慎が帰ってきて一ヶ月半が経った。私たち義兄弟は慎にも楓にも何も聞かなかった。まあ唯義兄以外は単に慎が帰ってきて嬉しいってだけだと思うけど。新しく孤児院にきた結奈も慎には懐いている。私や唯義兄には懐いてくれなかったのに。
そんなある日滅多に鳴らない呼び鈴が鳴った。途端に下の子供たちが浮き足立つ。
「お客さんだ!あねき、お客さんだよ!」
「真琴!慎の真似して姉貴なんて呼ばなくていいの!」
「それより!お客さん!」
「はいはい。ごめんなさい。今開けます。」
開けた扉の先には——とても綺麗な男が立っていた。
「こんにちは。」
男は低く響く声で言った。私は声を発することも忘れて魅入っていた。
「「こんにちは。お兄さんだーれ?何しにきたの?」」
双子の声にハッとする。
「どちら様ですか?」
「俺は東 理世と言います。…黒瀬 慎くん。こちらにいますか。」
「慎にいはね——」
話し出そうとした真琴の口をおさえる。
「どうした。」
そのとき東と名乗った男の背後に唯義兄が立った。
「義兄さん!この人が——」
「慎に用事があってきました。あいつはどこに?」
「…悪いが帰ってくれ。」
「何故です?」
「今ここに慎はいない。」
「いない。梨沙さんはここにいると言いました。」
「!梨沙を知っているのか。」
「梨沙さんに聞いて来ました。」
「…慎は裏の森にいる。昼寝をしているはずだ。」
「義兄さん⁈」
「…ありがとうございます。」
「あいつを…傷つけんなよ。」
「もちろんです。」
綺麗な男は裏手に回って行った。
黒瀬 慎side
裏の森の開けた広場で昼寝をしていた。夏は暑い。浴衣を半分はだけさせて木の影でうとうととしていると気配が近づいてくる。院の誰とも違う気配。よく知っている…気配。気配はどんどんと近づいてくる。俺の上に影を落としてピタリと止まる。ゆっくりとかがんで俺の顔を覗き込んだ彼の腕を引いて引き倒す。
「俺の寝込みを襲うとはいい度胸だな。…何しに来た。」
「話を。」
「ハッ貴方と話すことなんかねえ。帰んな。」
「嫌だ。」
「チッガキかよ。…そうだ。俺と勝負しろ。俺に勝ったら話を聞いてやる。もちろん拳だけでだ。刃物なんか使ってみろ。二度と貴方とは口利かねえ。」
「分かった。」
俺はゆっくりと体を起こす。彼が体を起こしたのを確認した瞬間、腹に拳を入れる。卑怯?そんな言葉俺は知らない。彼は声も発さずに、耐えた。そして俺の鳩尾を狙って拳を振る。遅い。背中に蹴りを叩き込む。下から築き上げてくる拳を躱す。そこで違和感に気づく。既に相手の息は上がっているのだ。まだ5分も経っていない。それに気づいた瞬間俺はキレた。
「てっめえ…!ざけんのも大概にしろよ。何が話に来ただ。何が分かっただ。なんだその顔は!俺を馬鹿にしてえのか⁈」
「馬鹿にするつもりなどない!…本当にお前と話したかっただけだ。慎!ゲホッゲホッ…ウッ…」
ひどく咳き込んで地に崩れた彼は意識を失った。
「クッソが!」
俺は彼を横抱きにすると院に向かって走り出した。彼の体はひどく熱かった。
「義姉!氷枕出せ。あとタオルと水!」
「慎!おかえり。大丈夫だっ——って彼どうしたの⁈」
「説明は後だ。早くしろ。」
「分かった。まってて。」
俺は彼を自分が使っている寝台に寝かせ服を脱がせる。大粒の汗が頬を伝っている。
「慎!」
持ってきてもらったタオルで体を拭いていく。綺麗な青髪も汗でぐっしょりと濡れている。義姉が持ってきた体温計で熱を測ると38度2分と見た目よりはマシだった。
そこで「バンっ」と扉が開く。
「ねえね。結奈ちゃんがいなくなった!」
真琴が義姉の袖を引く。
「はあ⁈おい。真琴。なんでだ。」
「わかんない!慎にいを探しに行くって森の中入って行った。」
「ざけんなよ!クソっ!唯義兄は?」
「ヒッ。唯義兄は下に買い物行ってる。雨が降るからって。」
「チッ義姉、探しに行ってくる。こいつ頼む。真琴。」
「な、何?」
「怖がらせて悪かった。よく教えてくれた。」
「っうん。慎にい気をつけてね。」
「ああ。行ってくる。」
「えっちょ慎⁈」
結奈はなかなか見つからなかった。一度彼に会った場所まで戻ったが気配はなかった。雨雲が広がり薄暗い。この森に獣は少数だがいる。森に入って小一時間経ったころ、耳がかすかに音を拾った。
「——けて!助けて!慎にい!」
「結奈!」
声のした方に進むと血を流した結奈が倒れていた。周りには数頭の狼がいる。俺は躊躇うことなく飛んだ。輪の中に降り立ち結奈を抱える。狼を見据えて挑発する。「グルルゥ」唸った狼が飛びかかる。
「キャーーーーーーッ」
現在、俺たちは洞窟の中にいる。
「結奈、泣くなって。」
「だって慎にい!腕が…!」
「ちょっとミスっただけだろ。それよりほら膝出せ。」
結奈は幸いにも膝を擦りむいているだけだった。俺は浴衣を引き裂いて紐状の布を作ると結奈の膝に巻く。そして袂からスマホを取り出して電話をかける。
「もしもし義姉?ああ。結奈は見つかった。雨が降ってきたから雨宿りして帰るわ。どっちにしろ朝には帰る。あいつはどうだ?」
『さっき目を覚ましたわ。待って彼が代わりたいそうよ。』
「あっおい!」
『慎か?どこにいる。』
「…森ん中。貴方大丈夫か。」
『ああ。迷惑をかけた。お前にも。妹さんにも。』
「クッハハハハッ妹?そいつは義姉のことか?よかったな。姉ちゃん。幼く見えるってよ。」
『若く見えるって言いなさいよ。』
「まあいいや。切るぞ。充電がやばい。…帰ったら聞いてやるよ。」
『本当か?』
「ああ。俺が帰るまでにそれどうにかしとけ。」
『善処する。』
「ふはっじゃあな。」
その晩俺と結奈は洞窟で過ごした。
「慎にいごめんなさい。私がお約束守らなかったから。」
「気にすんなよ。というか俺が悪かった。お前が無事でよかったよ。」
俺は結奈を膝に座らせて後ろから抱え込む。
「結奈見たか?青い髪のお兄ちゃん。」
「うん。綺麗な人だった。」
「ああ。綺麗だよな。あのお兄ちゃん頭いんだぜ。」
「慎にいより?」
「ああ。何せあの人は俺より2歳も年上だからな。結奈。寒くないか?」
「大丈夫だよ。慎にいはあのお兄ちゃんが好きなんだね。」
「好き…?わかんねえ。」
「なんで?」
「俺な、あのお兄ちゃん避けてたんだよ。」
「避けるってなあに?」
「ああ。難しかったな。避けるってのはうーん。あのお兄ちゃんとお喋りしないように、遊ばないようにしてた。」
「私もするよ。唯おにいちゃんは怖いから。」
「ふはっ。唯義兄は怖いな。でも中身はいい人だ。おやつ買ってくれるだろ?髪乾かしてくれるだろ?唯義兄は俺より強いぞ。」
「嘘だ!慎にいより強い人なんていない。」
「唯義兄は俺よりよっぽど強い…だから唯義兄に守ってもらえ。」
「慎にいは守ってくれないの?」
「結奈の近くではな。俺はもうすぐ出てくから。」
「やだ!慎にいが守ってよ…」
「あーほら泣くなって。可愛い顔が台無しだぞ。」
「だって…」
ぐずぐずと泣く結奈を片手であやしながら、考える。あいつのことが好きかって?分かんねえ。でも、あいつが倒れたとき心底焦った。父親が車に撥ねられたときと同じくらい…いやそれ以上に。いつのまにか結奈は眠っていた。もうすぐ夜明けだ。雨はまだ止んでいない。俺は白みゆく空を見上げていた。
最初のコメントを投稿しよう!