夏休みですよ。一匹狼くん

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柊 火鈴side 慎が帰ってきたのは太陽が昇り切って間もなくだった。扉を叩く音で青髪の彼に断って玄関へと向かう。扉を開けた先には——ズタズタに引き裂かれた浴衣を着た義弟が結奈を背負って立っていた。 「慎!何があったの?」 「静かにしろ。結奈が起きるだろ。」 「っごめんなさい。それより——」 「慎!結奈は無事か!」 その時義兄さんが降りてきた。 「ああ。無事だよ。膝を擦りむいているがな。」 「そうか。よかっ——ってお前血塗れじゃねえか!」 「うるせえ。シャワー浴びてくる。」 「慎!待ちなさい!」 慎は私の声を無視して脱衣所に向かった。義兄さんは結奈を部屋へと連れて行った。 「慎が帰ってきたんですか?」 「ええ。でも——」 「キャー!慎にい⁈」 「うっせ。真琴。朝っぱらから叫ぶな!」 「だって!」 「はあ。黙れよ。こちとら寝不足でイラついてんだよ。」 「…ごめんなさい。」 「…悪かった。お前にあたることじゃなかったな。悪いが真琴。浴衣脱いじまうから捨ててきてくれるか?血が付いてるから外はダメだぞ。」 「分かった。」 私たちのいる部屋はバスルームの向かいにある階段の上だ。そこまで聞いた青髪の彼は慎の元へ行こうとふらつく体を立たせた。 「理世!そこで大人しくしてろ!」 慎が声をかけた瞬間、彼は固まった。それからゆっくりと寝台に腰を下ろす。膝に両肘をつき手を組んで額を乗せる彼を見て私は彼が慎にむけている感情を悟ってしまった。 「東くんは慎のことが好きなのね。慎はねお父さんを亡くしてここに来て、でも唯義兄たちとうまくいかなくて。本人はそんなこと思ってないでしょうけどとても頑張り屋さんなの。」 「唯さんというのは。」 「ああ。さっき会ったでしょ。」 「彼があの傷を?」 「ええ。でもいろいろあってみんな解りあえたわ。」 しばらくしてドアが開いてシャワーを浴び終えた慎が入ってきた。 「なんの話してんだ。」 「慎!あんた——」 言い終わる前に彼がふらりと立ち上がる。 「座ってろよ。病人。」 言って彼の横を通り過ぎ唯義兄のベッドに寝転がる。 「わり。ちょっと寝る。」 言うとそのまま寝息をたて始めた。 「火鈴さん。」 私を呼んだ彼の声は震えていた。彼が目で指した方を見ると左腕がぱっくりと裂けていた。 「は⁈ちょっと慎!寝てる場合じゃないでしょ!」 「どうした。」 「ちょ義兄さん。見てよ。てか結奈起こしてきて。」 「結奈なら今起きた。っておい慎!」 「うっせえなあ。寝かせてくれよ。」 「あのねえ。その前に傷の手当てしなさいよ。」 「したよ。洗って消毒した。見た目より浅えよ。」 「残るのか。」 「知らねえ。」 「槙!」 「んだよ。」 「説明しろ。」 「いやだ。」 「結奈に訊くのとどっちがいい。」 「チッ狡い。…狼だよ。結奈は悪くねえ。」 「狼?」 「ああ。ここには少数だけどいるのよ。肉食の獣が。唯義兄。」 「ああ。行ってくる。」 「やめろ。あいつらは悪くねえ。俺がミスった。」 「でも!」 「慣れてるよ。そうだろ。。」 「っ!起きろ。手当てする。」 「いいってば。残ろうが残るまいが。腹減ってたんだろ。悪いことをした。あれじゃ生殺しだ。」 東くんが私の服の袖を引く。私は首を振る。説明なんてできない。この会話の意味なんて。説明したらきっと彼は義兄を殴るだろう。殺すかもしれない。 「っ悪かった。」 「唯義兄が謝るところがどこにある。そもそも俺が結奈を見てなかったのが悪い…また同じやりとりをするのか。」 「「「「ねえねーお腹空いたー!」」」」 そのとき起き出した子供たちが騒ぎ出した。 「やばい。なんもしてない。」 「手伝うよ。もともと俺がミスったのが悪かったし。」 「貴方(あんた)寝るんじゃなかったの。てか腕動かして大丈夫なの。」 「誰かさん達のせいで目が覚めちまったんだよ。あっ結奈おいで。」 いつの間に戸口に来たのか結奈がおずおずと入ってくる。 「慎にい。腕、大丈夫?」 「大丈夫だよ。」 結奈は座り直した慎の胸に飛び込んだ。 「ごめんね。ごめんなさい。」 「いいって言ったろ?もう一人で森へ行くなよ。行くなら唯義兄と行け。」   「おい。慎!」 「唯おにいちゃんと?」 「ああ。面白いもんが見れるぞ。」 「本当?唯おにいちゃん?」 「それは…」 「見せてやれよ。仲間外れは可哀想だ。」 今まさに仲間外れの人間を無視して話を進める。そして結奈を抱いて立ち上がった慎は少し考えて結奈をおろす。 「結奈。今から俺はお前らの飯を作る。その間このお兄ちゃんがちゃんとおねんねしてるか見といてくれるか?そうだな。報酬は英世くんでどうだ。」 「英世くんはいらない。代わりに慎にい、いなくならないで!」 「昨日の話を覚えてたか…はあ。どうするかね。」 「昨日の話ってなんだよ。」 「二学期になったら戻ってこいって院長(おやじ)に言われてんだよ。」 「慎。お前戻る気ないだろ。」 「…戻るよ。」 「よし。結奈。慎の拘束に手を貸してやろう。」 「本当?唯おにいちゃん!」 「話が逸れてんだよ。…ったく。じゃあ結奈は使えねえから唯義兄頼むわ。この人見といて。」 言って意地悪く笑う。あっ確信犯だ。 「結奈、使えるもん。お兄ちゃん。見とけばいんだよね?」 「ああ。頼んだぞ。」 「慎。」 踵を返す慎に彼が呼びかける。 「大人しくしといてよ。。」 「っ!」 彼が息を呑むのも構わずに慎は部屋を出て行く。確か先程は理世と呼んでいた筈だ。 慎を追って廊下に出る。不意に聞こえた悲鳴。 「慎にい!慎にい!助けて!」 瞬間慎が走り出す。悲鳴は家の裏手からだ。慎を追って行った先には—— 「慎!真琴!」 狼に片腕を喰われた慎と泣き叫ぶ真琴がいた。 「真琴!…黙れ。」 「ひっぐ…」 「いい子だ。義姉(あねき)んとこまで下がれ。背中見せんなよ。」 真琴に声をかける。 「クイン。離せ。」 慎は狼の名を呼んで命令した。ゆっくりと狼が腕を離す。慎はその体勢のままだ。狼がゆっくりと離れていく。慎はやっと腕を下ろした。手首から指先を伝って血が流れる。 「唯義兄!追うな。甘噛みだ。」 狼を追おうとしていた義兄さんに慎が叫ぶ。 「でも!躾は必要だ!」 「躾?いたぶるの間違いだろ。」 その応酬の間に狼の姿は消えていた。 「さて、真琴。なんで外に出た。」 「外で…ひっぐ…音がして、最近泥棒が入ったから…ひっぐ…」 「だから?自分一人でどうにかできると思った?…はあ。俺が悪かったよ。お前に服捨てて来いって言ったからな。」 「う…あっごめんなさい。ごめんなさい!」 「全員中に入れ。」 慎の言葉に我にかえる。茜、葵、真琴、凛、吏羅、椎名、櫻子、美紅。全ての子供たちが外に出ていた。 「慎にい!」 真琴が慎に駆け寄る。 「寄るな!血がつく。義姉、唯義兄。あと頼む。悪いな。飯作れなくて。」 「おい。慎!」 慎は義兄さんの言葉を無視して家の中に入って行った。 「ねえね。慎にいが!」 「ねえね。ねえねっ!」 「火鈴ちゃん。慎にい大丈夫?血がいっぱい出てた。」 「お前ら中入れ。」 義兄さんの声でやっと体が動き出した。一人一人をソファに座らせて宥める。 「大丈夫だよ。怖かったね。」 徐々に落ち着いていく子供たちの中一人だけ泣き続ける者がいる。真琴だ。 「ふ…ヒッ…ウッあっ…ヒューふ…あっ…ヒュー」 過呼吸になっている⁈やばい! そのとき慎が部屋に入ってきた。 「真琴っ!俺を見ろ。そう。いい子だ。ゆっくり息吐け。そうだ。そう。………よくできました。」 慎は真琴の頭を撫でた。 「慎にい!ひぐっごめん…ごめんなさい!ふ…ぅあ…」 「大丈夫だよ。…真琴手ぇ出せ。」 おずおずと出した真琴の手をとり噛まれた方の手を出して一本一本真琴の指に重ねていく。 「ほらどこも無くなってないだろ?クインが手加減してくれた。あの子は優しい子だよ。何をした?」 「石…石投げた。怖かったっ…からっ!」 「怖かったな。でも、狼を見かけてもそっと見守ってあげて。他のみんなも。分かったか。」 「うん。」 「よし。いい子だ。食事にしようか。」 言って立ち上がる。 「おい!慎。楓に電話する。病院行け。」 「やめろ。院長(おやじ)には言うな。言ったろ。甘噛みだよ。犬に噛まれたようなもんだ。消毒だってした。」 「でも!」 「騒ぐな。上に聞こえるだろ。」 そのとき—— 「慎。」 声がした。低く響く綺麗な声。 壁に手を突いて、片方の手を結奈に握られて、東くんが立っていた。 「慎。おいで。」 「黙れ。結奈、お前は監視失格だ。」 「慎。」 ゆっくりと壁を伝って結奈の手を借りて歩み寄る。 「来んな。病人は寝てろ。」 「慎。」 彼は慎の言葉を聞いていない。あと一歩のところで慎が叫ぶ。 「理世(りぜ)!」 瞬間、彼は慎を抱きすくめた。 「ぅあ…」 慎の喉から音が漏れる。声にならない「音」 慎の頬に雫が伝う。静かに静かに。それは滅多に見ることのできない綺麗な綺麗な「雫」  「慎。」 「理世!理世…理世!」 慎は彼の腕の中で。皆その光景に見惚れていた。綺麗な男と決して綺麗とも不細工だとも言えない。けれども綺麗な雫をその頬に伝わせて泣きじゃくる慎。誰もが静かに見入っていた。
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