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黒猫の夢と話者
わたしはだだっ広い草原に立っていた。周りを見渡しても、人どころか、木すら一本も生えていない。果てしなく続いている地平線に、意識が吸い込まれそうな感覚に陥る。
わたしはこれが夢だとすぐに理解した。芝生の上に寝転がって、流れる雲を見つめると、世界と一つになったような気がする。わたしはこの世界に生まれた一個の人間だ。わたしにだって、自由を得る権利はあるはずだ。
チリンと鈴の音がして、わたしは体を起こした。黒猫がこちらに近づいてくるのが見える。黒猫はわたしの側まで来ると、前足を揃えて座った。
「どこから来たの?」
わたしが聞くと、黒猫はにゃんと一声鳴いてわたしを見た。宝石のような青い瞳に見惚れてしまう。毛艶もよく、首輪に着けたピンク色の鈴が可愛らしい。撫でようと手を伸ばしたとき、身体が揺れる感覚があって、意識が飛んだ。
カタカタと車輪が回る音が聞こえる。わたしはぼうっとする頭を振って、顔を上げた。心地よく馬車に揺られているうちに眠ってしまったらしい。前で手綱を握るブラウンの背中が見える。わたしは今、馬車で移動しているのだ。
* * *
「わたしと逃げるって言うの?」
差し出されたブラウンの手を見たまま、わたしは聞いた。
「お望みであれば」
ブラウンは澄ました顔で答えた。
「……わたしを試してない?」
わたしが睨むと、ブラウンの口元が緩んだ。
「ほら、やっぱり」
ブラウンはいつもこうして、わたしのことを小馬鹿にして弄ぶのだ。
「私は本気ですよ、リシェット様。馬車もご用意しております」
そう言って、ブラウンは森の方を指さした。
「いいわ、そこまで言うのなら、お父様の目が届かないところまで、連れ出してよ」
今度はわたしがブラウンを試す番だ。いつも涼しい顔をしているので、たまには困った顔をさせてみたい。しかし、ブラウンはわたしの企みなどどこ吹く風で、胸から手袋を取り出してはめた。
「では、失礼」
一言断って、ブラウンはわたしを抱え上げた。
「えっ、ちょっとっ」
「舌を噛まないようにお気をつけください」
慌てるわたしに構わず、ブラウンはすごい速さで走り出した。そのまま森の中に入っていく。ブラウンはわたしが揺れないようにしっかりと支えているようだが、怖いものは怖い。
ブラウンはどんどん奥へと進んでいく。遊歩道が途中で切れて、道なき道を縫うように駆けていく。わたしは途中で目を開けていられなくなってしまった。
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