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第5話 たとえばコランダムのように
連休明けの登校日。校内は、オーケストラ部の指揮者が実の娘に殺害され、その事件を良介と隼人が解決へ導いたという話題で持ち切りになっていた。
「凄いじゃない、会長! また有名人になっちゃったわねー!!」
「おいおい、梅宮! オレだって結構貢献したんだからな!?」
放課後の、会議前の生徒会室。昌子は、何故か得意げになって校内新聞の一面記事を眺めていた。そこには満面の笑みとブイサインでご機嫌な隼人と、いつも通りの仏頂面で写っている良介の写真が大きく掲載されている。
「同じ生徒会役員として鼻が高いわー! ね、薫!」
「……うん、そうだね」
興奮気味な昌子とは裏腹に、薫の笑みにはどこか影があった。もしかしたら、自分と良介が共演した舞台『眠れる森の美女』の練習中に起こった事件だから素直に祝福できないのかもしれない。
「ところで、会長さん! 今回のポイントは、ズバリ何だったんでしょうか!?」
記者になり切ったつもりなのか、葵がペンをマイクに見立てて良介に向ける。彼は、少し思案してから呟くように言った。
「敢えて言うなら、違和感……だな」
「違和感?」
「ああ。例えば、被害者はカフェイン中毒だったのに現場にあったのがカフェイン入りコーヒーだったり、留守にしているはずの時間帯にデリバリーの注文が入っていたり……そういった不自然な点が多かったからこそ、解決できたという印象だな」
「なるほど! さすが会長さん!!」
左手の掌に右の拳を置き、合点した様子の葵。その傍らでいちごオレを飲んでいた達也は、頬杖をつきながら呟いた。
「違和感、なぁ……」
まぁ、わいには関係のない話や――と思いつつ、飲み干したパックを折り畳む。
「ちょっと、何これ!?」
達也がパックをゴミ箱へ投げ捨てた直後、昌子が悲鳴のような声を上げた。
「どうしたの、昌子」
「この辺りで、また女子大生が殺されたらしいわ……!」
そう言って、校内新聞の二面記事を指す。薫と葵が左右から覗き込み、目を見開く。
「本当だ、学校のすぐ近くで見つかったんだね……」
「ここ、普通に私たちの通学路じゃないですか!!」
「またか……早めに下校するよう、注意を呼びかけるしかないな」
溜め息を吐きつつ、良介が言う。先月、先週、そして今週と類似した事件が近隣で発生しており、狙われたのは全て一人暮らしの若い女性だった。記事によると、三件目の被害者も自宅で強姦された後殺害され、遺体が放置されていたようだ。事件は全て水曜日に発生したため、巷では『水曜日事件』と囁かれているらしい。
「職員室にも掛け合ってみようぜ、良介。とにかく、暗くなる前に帰らせねぇと!」
善は急げだ、と言って生徒会室を飛び出す隼人。その後を、慌てて追う良介。
「……吉川。自分、大丈夫かいな」
「えっ?」
「確か、バイト始めたんやろ? 本屋で。帰り、結構遅いんちゃうん?」
「ああ、ご心配ありがとうございます! でも、地元の駅前の本屋さんですし、帰り道も明るいので平気ですよ! それに私、一人暮らしじゃないですから!」
「ふぅん、ならええけど……」
けど、正直狙われやすそうでごっつ心配やな――と言いそうになったが、彼女の機嫌を損ねてしまうかもしれないので、彼は口を噤んだ。
華奢で小柄な体形、大人し気な顔立ち、丁寧な言葉遣い、謙虚な性格。そのどれを取っても、男の狩猟本能を刺激してしまうのではないか。それとも、そう思ってしまうのは自分だけなのか――答えが出ないことはわかり切っているのに、つい考えを巡らせてしまう。
達也は、昨年の文化祭からずっと、葵のことが気になっていた。心の底から彼の夢を応援してくれていること、事件の容疑者にされたら真っ先に彼を庇ってくれたこと、そして何より無垢でとびきり明るい笑顔。その全てが、彼の心を惹きつけてやまない。
けれど、体育会系の自分とは違って、彼女は文化系だ。きっと、趣味の合う知的な男性が好みなのだろう――そんなことを延々と考え続け、彼はもう半年以上、恋煩いに悩まされている。
達也は、コンビニで買った菓子パンの封を開けながら大きな溜め息を吐いた。
*
「いらっしゃいませ!」
資格コーナーに佇むサラリーマン、参考書コーナーで教材を物色する受験生、漫画コーナーで新刊を眺める塾帰りの小学生、雑誌コーナーで目的のものを探すOL。平日の夜の本屋は、老若男女問わず様々な客が足を運んでくる。葵がアルバイトを始めた店舗はすぐ目の前に大学がある駅のビル内にあるため、やはり一番多いのは大学生らしき私服の若者やリクルートスーツに身を包んだ就活生たちである。
「葵ちゃん、レジお願い!」
店長に呼ばれ、慌ててレジへ向かう葵。
「いらっしゃいませ。お預かりいたします」
最初は不慣れだった会計も段々とスムーズにこなせるようになり、釣銭間違いもカバー取り付けの失敗もなくなった。部活動は文芸部、職場は本屋。毎日大好きな小説に関われて、彼女はとても幸せだった。
「お待たせいたしました! 次の方、どうぞ!」
手を挙げて、次の客を呼ぶ葵。差し出されたのは、昨今話題となっている高校生作家・『一匹狼』の話題作、『たとえばコランダムのように』の文庫本だった。現在、映画が公開されていて再び注目を集めている。
「あっ……ありがとうございます!!」
「はい?」
「あっ、いえ……こちら、一点で千九百八十円になります!」
嬉しさのあまり、つい叫んでしまった葵。怪訝な顔をされ、咄嗟に我に返る。彼女の頬は羞恥でかなり火照っていた。
「どうしたの、葵ちゃん。あっ、もしかして、葵ちゃんが『一匹狼』なの!?」
「あ、いえ、違います! お気になさらず!!」
まるで自分のことのように喜んでしまったせいで、あらぬ誤解を招いてしまった。しかし、『一匹狼』は現役の高校生であること以外何もわからず、性別さえ明かされていない謎めいた人物なので、無理もないかと溜め息をつく。
だが、葵だけは、『一匹狼』の正体を知っていた。
「吉川さん。お疲れ様」
「先輩! お疲れ様です!!」
次に葵のもとへやって来たのは、彼女の所属する文芸部の三年生、大神(おおがみ)司(つかさ)だった。眼鏡をかけた、物腰の柔らかな好青年である。
数学の問題集を葵に差し出した時、彼は可笑しそうに微笑み、小声で言った。
「吉川さん。さっきはありがとうね」
「えっ……あ、もしかして……!」
先程の愚行を本物の『一匹狼』に見られていたのだと気づき、再び顔を真っ赤にする葵。
いつも通り会計を済ませ、司の背中を見送ると、傍らの店長がまた口を挟んできた。
「なぁに、頬染めちゃって! もしかして、さっきの先輩のこと好きなの!?」
「ちがっ、そんなんじゃありませんって!!」
もー、恥ずかしがっちゃって!と言いつつ、葵の背中を叩く。これは信じてもらえそうにないな、と半ば諦める葵。
しかし、ある意味彼らは特別な関係であった。なぜなら、司が自らの隠し事を明かした人物は、葵だけだからだ。彼女は『一匹狼』がデビューする前からネット上で公開されていた作品のファンで、ずっと応援し続けていたのである。
彼らが秘密を共有することになったのは、三年前、二人がオフ会で直接顔を合わせたことがきっかけだった。彼らは中学も同じで当時から文芸部に所属していたので、すぐにお互いのことがわかってしまったのだ。つまり、司は自身が『一匹狼』であることを白状せざるを得なかったということである。
けれど、彼にはもう一つ秘密があった。それは、彼女のことを信頼し、自身の意志で伝えたことだった。
仕事が終わり、更衣室で着替えようとした時、葵のスマートフォンがメッセージの着信を知らせた。送り主は司で、次の日曜日に、『たとえばコランダムのように』の映画を一緒に見に行かないかという誘いだった。
ぜひ、と葵はすぐに返した。
*
「素敵な映画になってましたね、先輩! お誘いありがとうございました!!」
「いえいえ、こちらこそ。一緒に見れて、僕も嬉しかったよ」
日曜日の正午過ぎに、二人は映画館から出てきた。良い出来だったようで、揃って満足げな笑みを浮かべている。
「ところでさ、吉川さんはあの作品のどんなところがいいと思う? ぜひ、聞かせて欲しいな」
「えっと……やっぱり、色々なセクシュアルマイノリティの方々とそうでない人との恋愛の難しさを描写しながらも、その人たちなりの幸せの形を追求しているところが魅力だと思います」
女性同性愛者(レズビアン)、男性同性愛者(ゲイ)、両性愛者(バイセクシャル)、性同一性障害者(トランスジェンダー)。その他の多種多様なセクシュアリティとジェンダーを総称した『LGBTQ+(プラス)』という言葉が少しずつ認知度を高めている現代を生きる、性的マイノリティたちの恋愛模様を描いた物語。それが、『たとえばコランダムのように』であった。
コランダムとは酸化アルミニウムの鉱物のことだが、美しい赤色のものはルビー、青色のものはサファイアと呼ばれている。つまり、ルビーとサファイアはもともと同じものであるということだ。
しかし、サファイアと分類されるものは青一色ではない。紫、ピンク、オレンジ、黄色、緑、白――その色彩は、実に様々である。
サファイアは青、ルビーは赤。青といえば男、赤といえば女。そんな固定観念を持つ人々が多い世の中だが、コランダムが赤いルビーと青いサファイアだけではないのと同じように、人間も男と女の二種類だけではない――司は、そんなことを伝えたかったのだろう。
「同性が好きな人や、心と体の性別が一致しない人、体や心に性別がない人、恋愛感情を抱けない人、恋はするけど性行為をしたくない人……色々な人がいるんだっていうことを、この作品でたくさんの人に知ってもらえるといいですね、先輩!」
「うん、ありがと……」
司が言いかけると、空っぽになった葵の胃袋の音がそれを遮った。結構な音量が出てしまい、周囲の視線を感じた葵はたちまち真っ赤になる。
「す、すみません……!!」
親の顔色を窺う子供のように傍らの司を見遣ると、彼は愉快そうに笑っていた。
「ううん、もうお昼時だもんね。何食べようか、吉川さん」
「……あの、先輩!」
「うん、何?」
「お昼ご飯食べたら、私、先輩と一緒に行きたいところがあるんです。お時間、大丈夫でしょうか……?」
うん、いいよ。司は、二つ返事で快諾した。
*
「来ぉへんなぁー……」
新緑の眩い、初夏の日曜日の昼下がり。達也は、色とりどりのケーキが並ぶショーケースの上で頬杖を吐きながら、独り言を漏らした。時計の針は、午後三時半を指している。
「達也、なんて恰好してんだ! お客さんに見られたらどうする!!」
「はいっ、すんまへん!!」
奥の厨房から『パティスリー・ル・アブリール』の店主である桜田(さくらだ)春輔(しゅんすけ)が顔を覗かせ、気の抜けた態度の達也を叱責した。
「……まぁ、しょげちまうのもわかるけどな。珍しいじゃねぇか、あの眼鏡のお嬢ちゃんが遅れるなんて」
胡麻髭の顎を無意識に掻きながら、春輔は言った。毎週日曜日の午後三時に達也の試作品を食べてもらう約束をし始めてからもう半年以上になるが、葵が遅れるのは今回が初めてのことである。
「もしかして、カレシとデート中だったりしてな!?」
彼氏。春輔が何気なく放ったその一言が、矢となって達也の心に突き刺さる。直後、店の扉の開く音がした。
「こんにちは、渡邊くん! 遅くなっちゃってごめんなさい!」
「吉川っ……て、え?」
目を輝かせ勢いよく振り向いた達也の姿は、まるでスーパーの外で飼い主を待ち侘びていた子犬のようだった。しかし、その直後に彼は硬直する。彼女のすぐ傍に、見知らぬ男性が立っていたからだ。
「よう、お嬢ちゃん! ちょうどお嬢ちゃんのこと話してたんだよ、カレシとデートでもしてんじゃねぇかって! どうやら、本当にそうみてぇだな!?」
そんな達也を他所に、いつも通り豪快な声で話す春輔。
「もう、違いますよ! この方は大神司さん、文芸部の先輩です!」
「どうも、初めまして。この近くにある、大神レディースクリニックの院長の息子です」
「ああ、大神さんとこの倅か! 知ってるよ、うちの女房が世話になってるからな!」
「えっ、春輔さん奥さんいらっしゃるんですか! 初耳です!」
「おうよ、今妊娠六か月目でな……って達也、ボーっとしてねぇで今日の試作品とっとと出せ!」
「あっ、は、はい!」
呆けた表情で突っ立っていた達也が、慌てて厨房へ行こうとする。しかし、葵はそれを止めた。
「あ、渡邊くん! 今日はお持ち帰りでお願いします」
「えっ? な、何でや!」
「何でって……この後、先輩のご自宅に伺って食べようと思いますので」
「ご、ご自宅……!?」
衝撃のあまり、開いた口が塞がらない。ついさっき、彼氏とちゃうって言うたばっかりやんけ――そう言いたかったはずなのに、なぜか言葉が出て来ない。
「持ち帰りか! 司くんは何にする!?」
「僕は……そうですね、モンブランをお願いします」
「おう、まいどあり!」
達也が使い物にならないことを察した春輔は、彼を押しのけて箱にケーキを詰め、会計を済ませた。結局、二人が店から出るまで達也は固まりっぱなしだった。
「お前……やっぱり、好きだったんだな? あのお嬢ちゃんのこと」
「なっ、そ、そんなんとちゃいますって!!」
「違うわけあるか! 猛烈にわかりやすかったぞ、お前!」
青春してんな、と白い歯を覗かせ肘鉄を食らわす。
「しかし、まぁ……あの様子だと、付き合い始めるのは時間の問題だろうなぁ」
腕を組み、溜め息交じりに言う春輔。達也の心は、鉛のように重くなる。
「……やっぱり、ああいうのがタイプなんや……」
あからさまに暗くなり、力なく呟く達也。そんな彼の肩を、春輔は黙って叩いてやった。
*
「何だ、渡邊。今日は妙に暗いな」
翌日の放課後。会議のために生徒会室に集まった彼らは、机に突っ伏し、いつになく落ち込んでいる達也を怪訝そうに見つめていた。良介が尋ねても、達也は一向に顔を上げようとせず、すんまへんと蚊の鳴くような声で答えるだけだった。
「ところで、吉川はどうした。今日は休みか?」
「休みではないねんけど……」
「そうなの? 珍しいわね、葵が遅れるなんて」
昌子が言い、薫が頷く。すると、ドアの向こうから何者かが走ってこちらにやってくる音がした。
「会長さんっ、大変です!!」
足音の主は、葵だった。息を荒げ、緊迫した表情で訴える。
「どうした、何があった」
「けっ、警察がっ、来てて……文芸部の先輩が、強姦殺人事件の犯人だって、疑われてるんです!!」
「何だと……!?」
「それって、さっき放送で呼ばれてた大神ってヤツか!?」
立ち上がり、叫ぶ隼人。
「そうです、今、応接室にいて……とにかく、早く来てください! お願いします!!」
「……わかった。すぐ行く」
涙目で助けを求める葵に応え、生徒会室を後にする良介。その背中を、思わず追いかける隼人たち。
「違うんです、本当に僕じゃないんです!!」
「違うって言われてもねぇ……昨日現場で発見された髪の毛は、間違いなく君のものなんだよ。それに、被害者は全員大神レディースクリニックの患者だった。君なら、病院のカルテを勝手に見ることもできなくはないんじゃないかい?」
卑しい表情をした刑事が、灰皿に煙草を押しつけながら言う。応接室の外の廊下には野次馬が群がっていて、聞き耳を立てている。刑事と向かい合ってソファーに腰掛けている司の傍らには、彼の両親と思われる中年の男女の姿があった。
「司……まさか、真面目なお前がこんなことをしていたなんて」
「違うよ、父さん!! 僕はやってない!!」
禿げた頭に肥え太った腹が特徴的な司の父・卓(すぐる)が、責めるような目で息子を見る。
「でもね、司くん。君が通っている予備校にも聞き込み済みなんだけど、最近、水曜日は必ずサボっているらしいじゃないか。事件は必ず水曜日の夜十時から十一時頃に起きていた。その時、君は何をしていたのかな? ん?」
青ざめ、俯きながら震える司の顔を、揶揄うように覗く刑事。
「司! あなた、予備校サボってたの!?」
パーマをかけた白髪交じりの母親が、発狂するように叫ぶ。しかし、司は黙ったままだった。
「……何も話さないってことは、自分が犯人だって認めたってことかな?」
「違います! 先輩は犯人じゃありません!!」
辛抱堪らず、応接室に乱入した葵。その場にいた全員が、驚いて彼女を見つめる。
「誰だい、君は?」
「私は、文芸部の後輩の吉川葵という者です!」
「ふぅん……で? 彼が犯人じゃないっていう根拠でもあるの?」
二本目の煙草を取り出し、苛立ちながらライターで火をつける刑事。
「……先輩、言ってもいいですか? 先輩の、もう一つの秘密を」
声の抑揚を落とし、優しく尋ねる葵。しかし、司は肩を強張らせただけで返事をしない。
「先輩。今言わないと、このまま犯人にされてしまいますよ。でも、今言えば、真犯人はすぐわかります。そうですよね、会長さん?」
「ああ。その通りだ」
葵の背後には、続けて応接室に入った良介が立っていた。彼のことを知っているのか、その姿を見た途端に眉を吊り上げる刑事。
「これはこれは、真田くんじゃないか! 会えて光栄だよ、名探偵!」
「刑事さん。残念ながら、彼にはアリバイがある。つまり、犯人は彼ではないということだ」
「何だって……!?」
茶化すように言った刑事に、冷たく返す良介。
「しかし、そのアリバイ証明をするためには、彼の抱えている重大な秘密を明かさなければならない。言ってくれるか、大神さん」
「…………」
良介が言っても、彼は拳を握り、歯を食いしばるだけだった。その秘密を打ち明けるには、相当な勇気が必要らしい。
「先輩。大丈夫ですよ、私も、私の秘密を言いますから」
俯いたままの司の耳に口を寄せ、囁く。
「吉川さん……!?」
目を見開いて、正気か、と無言で問う司。しかし、それで覚悟が決まったのか、司は深呼吸をしてから立ち上がり、言った。
「ありがとう、吉川さん。でも、君がそれを言うことはないよ。僕のせいで、って思いたくないからね」
「先輩……」
「父さん、母さん。僕はね……実は、ゲイなんだ」
「ゲイ……!?」
息子が同性愛者であったことを、両親は知らなかったようだ。瞬きを忘れ、口をわなわなと震わせている。
「最初にゲイだって気づいたのは、中学の時だった。文芸部の顧問の先生が好きだったんだ。自分でも戸惑ったし、怖くて何もできなかったけど……でも、自分の気持ちを誤魔化すことができなかった。だから、小説のための取材と称して、大学生だと嘘を吐いて近くのゲイバーに出入りするようになった。そして、また、好きな人ができた。水曜日に予備校をサボってたのは、ゲイバーに通って、その人に会うためだったんだ……黙っててごめんなさい」
「…………」
俄かに信じ難いのか、両親は言葉を失っていた。刑事も呆然としている。そんな中、良介は淡々と話を進めた。
「つまり、そのゲイバーの店員に聞けばアリバイは立証できるということだ。すると、彼は濡れ衣を着せられたことになる。彼の髪の毛を回収することができ、且つレディースクリニックのカルテを見ることができる人物は……必然と、あんた一人に絞られる。あんただろう、真犯人は!」
「ひっ……!!」
良介に睨まれ、悲鳴を上げたのは卓だった。
「ちっ、違う、私じゃない!!」
狼狽える卓の腕を、刑事が強く掴んだ。
「息子さんのアリバイはこれから調べるとして……卓さん、取り敢えず、署に行きましょうかね?」
観念したのか、卓は大人しく刑事についていき、パトカーに乗せられた。その晩、ゲイバーのオーナーによって司のアリバイは証明され、卓は罪を認めることとなった。
司の容疑は晴れたが、彼がゲイである噂は学校中に広まってしまい、陰口のみならず、いじめまで発生してしまった。居づらくなった彼は退学届けを出した。事件解決から僅か二週間後のことだった。
*
「なぁ、吉川」
「何ですか、渡邊くん」
「……自分、大丈夫かいな。ショックだったんと違うか、先輩が退学してもーて……」
司が去ってから初めての日曜日。葵は時間通りに『パティスリー・ル・アブリール』にやって来たが、虚空を見つめるような目をしていて、達也は心配になっていた。
「そうですね。でも、先輩とはいつでも連絡取れますから」
そう言って葵は笑ってみせたが、自然な笑顔とは程遠いものだった。
「……なぁ、一つ聞いてもええか?」
「はい、何でしょう」
やめろ、聞くな。聞いてどうする――懸命に己に言い聞かせたが、もはや後戻りはできない。激しく脈打つ、達也の心臓。
「自分、あん時、付き合っとらんって言うとったけど……本当は、先輩のこと、好きだったんと違うか……?」
「…………」
葵は、神妙な顔をして黙り込んでしまった。達也の口は渇き、鼓動は強くなる一方だ。聞きたいような、聞きたくないような答え。しかし、それでも達也は彼女の返答が欲しかったのだ。
「渡邊くん」
名を呼ばれ、心臓が跳ねる。葵は、来てくださいと言う代わりに彼を手招きした。
「耳を貸してくれますか?」
「お、おう……」
素直に従い、屈んで首を傾ける達也。
「渡邊くん。このことは、誰にも言わないでくださいね」
「えっ……?」
私、レズビアンなんです。だから、男の人を好きになることはありません。
「食べ終わったかい、お嬢ちゃん! どうだった、今日の達也のケーキは!」
「はい、今日もとっても美味しかったです!」
何事もなかったかのように、厨房から顔を出した春輔に笑顔を見せる。今度こそ絶望の淵に突き落とされた達也に、二人の声は届かなかった。
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