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「あんた、大学行って明るくなったね」
正月の帰省の時。
母はなにかのついでにそう言った。「別にフツーだし」と答えておいて、心の中では(まぁ、真由もいないしね)とつぶやいた。
親戚の集まりではやはり真由が主役だった。地元の大学に進学した彼女は、花が咲き乱れるような魅力を放っていた。私達は台所仕事、彼女はお酌をして回って「まだ学生だもんね」とお年玉をもらっていた。
皆が帰った後。風呂の順番待ちで、私は真由とこたつに入っていた。
「ねぇお姉ちゃん、なんで遠いところに行っちゃったの。真由寂しい」
つんつん、と足が当たってくるので私は体勢を変えた。
「勉強したいの。
それより、いい加減自分のことを真由って言うのやめなさい」
「うん……カズくんからもそう言われた。
いいなぁ、お姉ちゃんは頭良くて」
口をとがらせて言う。私の努力を知りもしないで。
どうせそのうち「カズくん」は別な男の名前に変わるだろう。
真由のことはそのときどうでもよかった。卒業後、海外の大学院に行くことを打診されていたのだ。
どう父親に切り出すのかが悩みの種だった。
社会人2年目の兄が突然難題を持ち込んできたのだ。彼女が妊娠して、結婚するのしないのと家がドタバタしていた。お金はあるが、親戚の集まりではその話題で父親は冗談交じりにつつかれていた。
この上娘が海外へ行くなど、父親が難色を示すことは必至だった。
風呂から上がったタイミングで、父親に話をした。
教授から目をかけてもらっていること。奨学金制度もあるし、なるべく自力で迷惑をかけないようにする。就職だって有利になるとメリットを並べ立てる私の話を聞いているのかいないのか、渋面からは読めなかった。
元々気さくな母親とは違い、父とはろくに日頃話をしていなかったことが悔やまれた。
「何もこんなゴタゴタした時に行かなくてもいいだろう。
それに日本じゃダメなのか」
こんな回答に何度も切り返し、私は疲れていた。
険しい道だけど、自力でどうにかしないといけないかな、という考えが頭をかすめた時。
「お父さん、いいじゃない。お姉ちゃん頑張ってきたんだから」
和室のふすまを急に開けて、真由が入ってきた。
彼女はお盆を持っていた。グラスからは日本酒のにおいがした。さきいか、豆菓子――晩酌セットだ。
「今日は集まりで疲れてるかなと思って」
「おお、真由は気が利くな」
瞬間、こちらが時間をかけて説得したのに、頑として動かなかった父親の雰囲気ががらりと変わった。にこにこと手を伸ばす。
グラスを受け取ろうとしたところで、真由は手を止めた。
「お姉ちゃんにいいよ、って言わないとあげない」
「ええ~、厳しいな」
おどける父親はさっきとはまるで別人だ。目を疑った。
真由の援護射撃は続いた。
しばらく腕組みをして悩んだ後、「舞花、やるからには頑張りなさい」と父親は言った。
「さすがお父さん! お姉ちゃん、よかったね!」
「ありがとうございます」
私はすっかりしらけていた。
「よかったね、お姉ちゃん」
二人で和室を出ると、真由が肩を軽く叩いた。
「うん……」
真由は鼻歌を歌いながら二階の自室に上がっていった。
客間の布団に入ってもなかなか寝れなかった。せめて懐かしい自室で寝たかったが、自室は真由に取られていた。
頭の中でさっきの場面がリフレインする。
真由の方が、父親の扱いを心得ていた。
それだけのことだ。
だけど、私が努力して進んできた道を汚された気がした。
「そんな考えはよくない、真由は助けてくれたんだ」というまっとうな心の声が小さくなっていく。嫌な人間になってしまった、それは誰のせいだという声が大きくなる。自分で自分が嫌になる。
翌日、真由が出かけた隙に私は東京に戻った。
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