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「見てよ、兄弟!綺麗だろ?」 チリ、チリ、と風鈴の音が鳴る。夏の暑い夜に、心を落ち着かせてくれるような涼やかな音色だ。 青年の優しくも懐かしい手に頭を撫でられ、兄弟と呼ばれたクロは、嬉しそうに目を細めた。 ここは、小さなガラス工房“みちかけ”。住居を兼ねたその工房は、とある村の外れにあった。 風鈴を手にしているのは、まだ年若い青年、時仁(ときひと)。この工房の主だ。普段着と化した紺地の作務衣に、藍色の髪と優しげな目元。線の細い体は生まれつきで、時折咳き込んでいるが、それでも汗を流しながらガラス作りに向き合っている。 この工房は、祖父の道仁(みちひと)から受け継いだもので、他に家族のいない時仁は、一人でこの工房で生活をしていた。 だが、そんな時仁に最近、兄弟と呼べる相棒が出来た。それが、犬のクロである。体が一般的な犬より大きく、黒い毛並みは、月夜に照らされれば、艶やかに煌めいた。 二人の出会いは、数日前。狼が山から下りて来たと、村が騒ぎになり、時仁が駆けつけると、そこには村人に囲まれたクロがいた。 村人達は、鍬やらほうきやらを持って、クロを追いたてようとしており、それを見た時仁は、慌てて彼らに声を掛けながら、クロを庇って立ちはだかった。 「待って、この子は狼じゃないよ!」 「狼じゃない?あんなに凶暴そうなのにか?」 「それは、皆が追い出そうとするからだよ。覚えてる?うちのじいちゃんが飼ってた犬とそっくりなんだ」 時仁の言葉に、村人達も、そういえばと口々に呟き始めた。小さな村なので、お互いの家の事は大体知っている。 祖父の道仁は、クロにそっくりな、コンという犬を飼っていた。道仁が亡くなると、気づいたらコンも姿を消していたので、それ以来消息不明となっているが、目の前で怯えるクロが、時仁にはコンの生き写しのように見えたのだ。 時仁は村人達を背に、踞るクロに近寄った。 「ごめんな?もう、怖くないから」 そう優しく声を掛ければ、クロにもその気持ちが伝わったのか、時仁の手をぺろりと舐めた。 「君、野良?一緒にくる?」 「ワウ!」 時仁は、コンを思い出して懐かしくなったのかもしれない。助けて貰ったクロの方も、瞳を輝かせて、嬉しそうに頷いた。 それから、時仁とクロは共に生活をしている。 クロという名前も、時仁がつけたものだ。 「本当、じいちゃんが飼ってた犬とそっくりなんだよな。もしかして、コンの子供だったりする?」 時仁がそう思うのも無理はない。クロはコンの子供ではなく、コンそのものだからだ。 ただの犬だと思われているが、クロは妖狼だ。あの時、クロを狼だと思った村人達は、実はあながち間違っていなかった。勿論、クロは村を荒らしに来た訳ではない、道仁との暮らしが恋しかったからだ。 道仁がこの世にいないのは分かっていたが、どうにも恋しくて、クロはガラス工房へ向かった。 時仁が村人から守ってくれた時は、変わらない懐かしいその匂いに、クロはすっかり安心していて、時仁の側にいたいと、その誘いに頷いたのだ。 時仁がクロの事を兄弟と呼ぶのは、コンとの日々を思ってだろう。道仁が生きていた頃、幼い時仁は、このガラス工房に遊びに来ては、コンといつも一緒に遊んでいた。どろんこになるのも、川でびしょ濡れになるのも、本を読むのも、何をするのも一緒だ。コンの体は当時から大きく、幼い時仁と同じくらいだった為、道仁はよく「お前達は兄弟みたいだな」と笑っていた。それが時仁には、偉ぶれる弟が出来たみたいで嬉しかったようだ。 だから、道仁が亡くなってコンも姿を消した時は、時仁も寂しくて仕方なかった。 妖狼は、人間より遥かに長生きだ。コンは犬として生活を共にしていたので、長くは人間の側にいられず、工房を去るしかなかった。 なので時仁としては、コンとの日々が戻ってきたように感じるのだろう。時仁にはもう両親もない、家族というものへの恋しさから、その孤独を埋めるように、クロの事を兄弟と呼ぶのかもしれない。
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