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「さ、兄弟!今夜は縁日だ!張り切って売るぞ!」 「ワウ!」 時仁(ときひと)は、町へ行って出店を出す事で収入を得ていた。風鈴の他に、器やガラス細工と、商品の種類は多い。それらは全て時仁の手作りだ。 商品を積める時仁を、クロはじっと見つめる。まるで、道仁(みちひと)との日々が戻ったようだと思うと、その温もりが、クロの寂しさを塗り変えていくみたいだ。 犬の寿命は、あとどれくらいだろう。クロは、犬ではないと思われたら終わりだ。いつかはまた、時仁の前から去らなくてはならない。それまでは、少しでも長く彼の側にいたい。 突然消えてしまった道仁の命、人間とはこんなにも儚い生き物なのかと、ショックで暫く立ち直れなかった。今でも思い出すと胸が苦しくなる。 それでも、クロは人と一緒にいたい、時仁と一緒にいたかった。 兄弟という言葉に、特別な思いを持っているのは、クロも同じだ。クロも仲間を失い孤独の身、無条件で共に居られる家族という絆に憧れた。 それが今、ここにある。 だって時仁とクロは、兄弟なんだから。 そう思うと、とても胸が温かくなって、とても誇らしくも思えて。クロは時仁といられるだけで幸せだった。 「兄弟、本当にお前はかしこいな」 「ワウ!」 撫でられ、クロは上機嫌に尾を振る。クロは道仁の仕事振りを思い出しながら、時仁の仕事を率先して手伝っていた。荷物を咥えて運んだり、愛想を振り撒いて呼び込みもばっちりだ。狼だと思われたのが嘘のように、クロは道行く人々に可愛がられ、大いに商売の役に立っていた。 そんな中、店の前に一人の女性が足を止めた。着物姿に長い黒髪、その頭から胸元までベールを被っている。そのせいで、紅をさした口元しか見えなかったが、それでもその姿はまるで羽衣を纏った天女のようで、時仁はすっかり彼女に見惚れていた。 どこかの踊り子さんだろうか、今日は縁日だし、どこかで舞っていたのかもしれない。その姿はさぞ美しいだろうなと、時仁は想像した。 すると、その不躾な視線に気づいたのか、彼女は戸惑った様子でベールを更に下げ、その顔を隠してしまった。 「ぜ、是非、手に取ってご覧下さい」 このままでは、いやらしい男だと思われるかもしれない。時仁が焦って声を掛けると、彼女は躊躇いがちに頷き、チリと風鈴を鳴らした。紅い唇が微笑み、時仁はほっとした。 とそこへ、「いたか!」という声と共に、悲鳴や大声があちこちで飛び交い始めた。 通りが騒然とする中、彼女も驚いた様子で風鈴から手を放し、店の前から去ろうとするが、逆の道からも声を上げながら男達が駆けてくるので、彼女は足を止めた。 戸惑うその様子を見て、男達と関係があるのかと察した時仁は、「こっち」と彼女を手招くと、店の荷物を箱積みにしているそこへ、その体を隠させた。 大声を上げていた男達が店の前を駆けていく。その焦った姿に、「一体何事だ?」と敢えて尋ねてみれば、男は「何でもない、人を探しているだけだ!」と、時仁の言葉を突っぱね、立ち去ってしまった。 「人探しって、随分荒れてるな」 「何でも、屋敷の坊っちゃんがまた逃げだしたんだってよ」 時仁の呟きにそう教えてくれたのは、隣の出店の店主だ。 「屋敷って、あの?」 「そう、高台にある富豪のお屋敷だよ。幹弥(みきや)って言ったか。あんなお屋敷に生まれると、わがまま放題になるのかね」 「窮屈で逃げ出したくなるのかもよ?」 「だとすりゃ、贅沢な悩みだな」 肩を竦めて店に戻る店主を見送り、時仁はそっと背後の荷物を振り返った。彼女が座って身を隠しているその前に、クロも座り込んで、何やら首を傾げている。時仁からは彼女の足元しか見えなかったが、彼女は何だか怯えているように感じた。 「兄弟、あまり近づいちゃ、」 「ワウ!」 「え、」 大きな犬に怯えてるのだろうと、時仁がクロを下がらせようとすれば、タイミングを計ったかのように、クロは彼女に飛びかかった。 「こ、こら!クロ!」 「ウウ!」 「ダメじゃないか、」 時仁は大慌てでクロを抱え上げたが、踞る彼女を見て、その目を見開いた。 彼女は顔を隠して俯いているが、長かった髪が、何故かさっぱりと短くなっている。 時仁がクロに視線を落とすと、クロは彼女のベールを咥えて、どこか得意気な表情を浮かべていた。そのブーケをよく見ると、ブーケと一緒に長い黒髪がついている。ぎょっとしたが、すぐにそれがカツラだと分かった。 困惑しながら彼女に目を向ければ、彼女は顔を俯けて戸惑っている様子だ。 「あ、あの…」 声を掛ければ、びくりと肩が跳ねた。時仁はクロから手を離し、戸惑いつつ彼女の前に膝をついた。良く見れば、女性にしてはがたいが良い。パッと見の美しさに見惚れて、彼女の違和感に気づくまで頭が回らなかったようだ。 「…クロがすみません、失礼な事をして、」 どう言葉にしたら失礼にならないのか、時仁は悩みながらも、とにかく謝罪をして、そっとベールを彼女の頭に被せた。長い黒髪が再び彼女の元に戻ると、彼女は戸惑いつつ、そろそろと視線を上げた。 「…こ、こちらこそ」 声はやはり、男性のものだった。そして気づく、彼はお屋敷から逃げ出した、幹弥なのではないかと。 「…見苦しいものを見せて、申し訳ない」 彼女だった彼は居ずまいを正すと、そっと頭を下げた。その姿に、時仁も慌てて頭を下げた。それから、ちら、と彼に目を向ける。紅い唇、その表情は戸惑いを滲ませているが、伏せる睫毛が影を作り、月夜に愛されたような彼は、男だと分かっていても、ただただ美しかった。 「あなたは、綺麗です」 「え?」 きょとんと、丸くなる瞳が時仁を見つめると、時仁ははっとして「いや、そういう意味では!」と、慌てて首を振るが、そうも何も彼は何も尋ねていない。 勝手にあわあわとする時仁をぽかんと見つめていた彼は、その様がおかしかったようで、やがて口を開けて笑った。その屈託なく笑う姿に、彼の畏まったお坊ちゃんのイメージが少しずつ消えて、笑ってくれるのが嬉しくて、時仁も同じように声を上げて笑ってしまった。 クロはといえば、突然笑い始めた時仁達を交互に見つめ、不思議そうに首を傾げながら、パタパタと尾を振った。
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