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苦難の始まり
日曜日は、保健所に同行してくれた友人のSが顔を見せた。
たとえ四匹猫を飼っていようと、子猫は別枠。別腹なのだ。
幼馴染みMは薬膳料理を差し入れてくれた。ありがたや、ありがたや。
子猫の数も減って、囲いの中が少し広くなったので使っていない大きめのタッパーに砂を入れて置いた。
ちょっとずつでも、トイレを覚えて欲しいと思ったからだ。すると夜にもふちゃんがトイレで小をしたのだ。覚えが早い子だなあと驚いた。
友人たちが帰宅した後、月曜日からは私の仕事場も使うし……ということで、子猫たちのケージ(囲い)を和室へと移した。和室はリビングの隣、洗面所の向かいだ。普段わたしが裁縫するときに使う部屋なので、ミシンが出しっぱなしになっている(のちに片付けた)。
キッチンにも少し近くなったことで、ミルクの準備がちょっとだけ楽になった。
五月とはいえ、北国は寒く電気座布団は付けたままにした。湯たんぽも朝晩取り換えて保温した。
子猫がいることで家事が滞ってはまずいので、夜のうちから暇を見て卵や野菜を茹でて夫の弁当の下ごしらえをしておいた。
明日からは平日、子猫のお世話と普段の仕事・家事が並行してできるか、不安もあった。
それでも、湯たんぽのうえに二匹乗って眠る猫たちのために、頑張らねばとケージのすぐ横に薄い長座布団を敷いて毛布をかぶった。電気を消すと、ミシンの豆電球だけがぽちっと着いて思わず笑った。
そして、夜中も授乳して翌朝の六時あたり。
もふちゃんの様子がおかしかった。いつもなら、ミルクのときにはいの一番で駆け寄ってくるのに、くったりと眠ったままだ。しまちゃんはいつも通り、すぐにミルクを飲んでくれたのに(5cc…もっと飲んで、しまちゃんっっ)。
もふちゃんを抱っこすると、首がぐらんと後ろにかしぐと自分では戻せない状態。明らかにおかしい。
慌てて、みうみさんに電話をする。このときはかなり悲観的で、もふちゃんが死にそうだと思った。
みうみさんから、とにかく保温して病院へとアドバイスをいただいた。
病院が開く九時までがとてつもなく長く感じられた。もふちゃんを娘が子供浴衣着るときに使った兵児帯で抱っこしていた。
※後で考えれば、ケージに入れて保温しておけばよかったんだろうけど、この時は心配で離しておけなかったのだ。
九時前少しに家を出て、獣医さんのところへ。
獣医さんも原因が分からず首をひねる。とりあえず、気付け薬を注射した後、それは起こった。
「ちょっとーーーすごいオシッコ出るよーーーっ」
そう、もふちゃんは排尿がうまくできいなかったのだ。否、わたしの排尿のさせ方が足りていなかったのだ。
先生の白衣と診察台をびしょぴしょにして、もふちゃんはいきなり快癒した。
先生、すみません……。
すっかり元気になったもふちゃんを連れ帰って、しまちゃんと一緒の囲いのなかへ。
しまちゃん、ひとりでお留守番がんばりました。
回復したことを、みうみさんへも電話してこの日はわたしも仕事へ。もちろん、合間に授乳。
しかし、もふちゃんの不調はこれから始まるだったのだ。
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