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母と子
そして列車は、翌朝を迎えた。
真っ直ぐに伸びる線路の表面が、秋色に染まった田園風景の中で、2本の閃光の帯の様に鮮やかに反射し輝いている。それは文明という力が自然を貫き、自らを誇示しているかの様である。繁栄しているという姿は、揺ぎ無く、確固としているように見えているもの。この世には、永遠の物事など存在しないことが分かっているからである。
尚子は、まだ眠りについている尚正の様子を確かめると、朝食を食堂車へ取り寄せに行った。通路を歩いて行くと、ここかしこの窓から差し込む陽の光で溢れている。車内には光と影のコントラストが空間にまで鮮やかに入っている様子は、晴れやかさを感じる。夜通し、悲しみに暮れた昨日の今日で、気持ちを整理できるはずもなかったが、何とかして心を前に向かせようと努めていた。それは、今の自分に支えるべき者がいるからである。
‘母親である尚子ちゃんを頼りにしているんだよ。’
尚子は、兼次が言った言葉を自分に言い聞かせていた。
「えっ、本当ですか。ありがとうございます。それではお言葉に甘え、お待ちしていますので。」
北畠と新田は、朝食の手配もしてくれていた。給仕が、食事を座席まで持って来てくれるということになっていたのだ。
# コトン、コトン コトン、コトン・・・
尚子が座席に戻って来ると、既に尚正は起きている。寝台の上で、キョトンとした顔つきで座っていた。
「尚君、起きていたんだ。寂しかった、ごめんね。」
すると、尚正が喋り出した。
「あのね、あのね、おじさんが、来たよ。」
「あら、昨日の夕食のおじさんなの?」
尚正はうんと頷くと、何やら紙を持っている。
「これ、これ。これ、これ。」
その紙を目の前で振って見せる。
「それ、おじさんに貰ったの?」
また、うんと頷くと、尚子に紙を手渡した。そこにはこう書いてあった。
~幸福を願い、またの再会を楽しみにしています 孝四郎~
「髭(ひげ)のないおじさんだよ。」
『新田様が、来られたんだ。』
# カチャカチャ カチャカチャ・・・
給仕達が食事を運んできた。列車の中ではあるが、一等級ホテルに引けを取らない賄いである。窓辺に朝日が差し込んで来る。車中での母子2人の朝食、ぎこちなくフォークを握って食べている尚正の様子をじっと眺めている。
『母さん・・・私はこの子を育てて行く為に、何をしていかなければならないのでしょうか? 私が尚君くらいの時、私のことをどう考えていたの?』
以前にも触れたように、尚子の母は、尚子が幼くして亡くなってしまった。しかし、その時の覚えはない。それに尚佐は、全く語ろうとしなかった。経緯を知ったのは、ずっと後、大人になってからである。遠い昔の母の記憶。しかしながら、母から受けた温もりの感覚は、はっきりと覚えている。
『私にも、母さんの様な愛情の温もりを尚君に与えることが出来ているのかしら。ホセ、私達家族を一番に考えてくれていた愛しい人、貴方になら、今の不安を優しく受け止めてくれるだろう・・・でももう今は、私が独りで悲しんでいても、尚君には何も良いことはないのよ。』
朝が過ぎれば、更に車内は気持ちが華やぐほど柔らかな陽射しで溢れている。皮肉にもそれとは反対に、尚子の心は憂いでいっぱいだった。暫くすると、列車が速度を緩め始めた。終点前のM駅への停車が近いのである。
「お母さん、おいしいよ、食べないの。」
「そうよね、食べないとね。」
重い気持ちに耐えることで空腹感が無かったが、無理に朝食を口にする。そして懸命に笑顔を作った。
「うんうん、美味しいわね。」
「うん、美味しいよ。」
尚正が、満面の笑顔を見せてくれる。哀しみに染まった心が少し癒された。
『尚君、ありがとう。今度は、貴方が力を与えてくれている。』
家族の素晴らしさを思わぬところで感じさせられた。そしてその喜びが、心身に伝わってくると、いつの間にか頬に涙を誘っていたのだった。
すると、列車の窓から既に駅舎の一部が見えていた。
# フォンフォーン シュシュシュ シュー
ブレーキのかかる音が鳴り出すと、列車はゆっくりと静かに止まった。
『北畠様が、下車するところが見えるかしら。』
尚子は、出来れば見送りがしたいと思っていた。
# キュキュキュキュー
“Y駅~、Y駅に到着しました。”
新田ではなかったが、車掌の1人が車内に到着を連呼する。やがて降車する乗客達が、列車から歩いて出て行く姿が見えてきた。その中に、背広を来た男達の集団が見える。先頭には、あの中司少尉。後続の男達は、皆、カンカン帽やフェドーラ帽をかぶっているので顔がよく見えない。
すると、尚正はおもむろに窓から顔を出し、男達に向かって声を出した。
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