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私は案内された席につき、彼に問いかけた。
「あの、私は伊香夕梨っていいます。あなたの名前も聞いていいですか?」
すると、彼は痺れるような微笑を見せ、エプロンのポケットから名刺を取り出した。
「紫波才人です。ご注文が決まりましたら、お声掛けください」
うわあ、何だこの名前。芸能人かよ。それとも少女漫画のキャラクターか。名前からしてモテるの確定っぽい。名前負けしなかった才人さんもすげえや。
「あの、」
そんなキャラじゃないけど、女の子っぽく恥じらってみせる。
「才人さんは、カノジョいますか? 私、立候補しちゃってもいいですか?」
言うと、彼は嫌な顔一つせず、にこやかに言った。
「いえ、カノジョはいませんよ。立候補されるのならご随意に。ただ、僕は夕梨さんのことを何も知りません。関係を築くまでは、特別扱いすることもありませんので」
さりげなく私を名前で称んでくれた。やっぱりこの男は慣れている。私程度の女なぞ、その辺の雑草ぐらいにしか思っていないことだろう。
「じゃあ、とりあえず立候補しておきます。私も名刺持ってるので、差し上げますね」
私はゲームセンターで作った名刺を渡した。ちょっと加工してある写真が、今となっては恥ずかしい。才人さんはビミョーに渋い顔をした。
「ふむ、夕梨さんは加工しない方が素敵ですね。自然のままがきれいだと思います。とは言え、最近はやたらと加工されてしまいますからね。誰だか分からないときもあります」
すげえな、こいつ。放つ言葉一つ一つが、えぐいぐらいにときめきを刺激する。現在進行形でカノジョがいなくても、とっかえひっかえ遊んでただろう。こんな人に捧げられたら、私の初めてもきっと彩られる。昔の恋に思いを馳せることもあるかも知れない。
「当店のお勧めは、自家ブレンドのカリーナ・コーヒーになります。社長夫妻が妥協せずに選び抜いた逸品ですので、よろしかったらどうぞ」
名刺に視線を落としてみると、『喫茶カリーナ』と書かれていた。なるほど、このお店はそういう名前か。カリーナとはどういう意味か、興味ありげに訊ねてみた。
「ええ、由来は、りゅうこつ座からきています。明るい星が多いので、お客様を照らし、喜んでいただけるように、と社長が名付けました」
りゅうこつ座……。知らない。そもそも星座に詳しくないし。りゅうこつって何だ。そんな単語は日常生活で使ったことねえや。
「そうだったんだあ。りゅうこつ座いいですよね。私も大好きです」
キャッキャとはしゃいで言うと、才人さんはくすっと笑った。どういう意図がある笑いか判断しづらい。まさか日本では見えない星座、なんてことはないよね?
「では、ごゆっくり。ご注文の際は、お手を挙げてください。すぐに参りますので」
言って才人さんは去っていった。残り香が肺を満たす。もう一度話しかけたいけど、相手は仕事中だ。あんまり押せ押せでも印象悪いし、とりあえず何かいただくか。
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