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13 少年の日の約束
ミュージカル俳優という肩書でのテレビの仕事は久しぶりだった。
「そろそろ時間です、ソラさん!」
「はい、今行きます」
ソラは、楽屋から撮影スタジオに向かう。
確か今日の現場はヒビキさんと一緒。
いつ以来だろう。ヒビキさんと会うのは。
劇団での初舞台を観に来てくれた時……だったかな。
期待と不安が入り混じる。
ソラは、よし、と自分に喝を入れた。
「おはようございます! 本日は宜しくお願いします!」
ソラの容姿は、長身で細身。
眉目秀麗の美男子。
低音のイケボが特徴的で、元アイドルだけあって華やかな雰囲気をもつが、今は落ち着いた大人の色気も兼ね備え、優しい眼差し、穏やかな表情が、周りに癒しに似た安心感を与える。
「はい、オッケーです! では本番まで休憩でお願いします!」
ディレクターの言葉で出演者たちは一斉に動き出す。
ソラは、周りをキョロキョロとした。
やっぱり、リハは一緒じゃなかったんだ。
少しガッカリしたが、本番では会えるだろう。そう思って楽屋へと向かった。
楽屋に入ってすぐ。
トントン、と扉を叩く音。
「よう! ソラ! 久しぶりだな!」
「……ヒビキさん!」
いきなりの登場に、ソラは息が止まった。
しかし、すぐにいつもの自分に戻る。
「お久しぶりです! ヒビキさん!」
ソラは、満面の笑みでヒビキに飛びついた。
ヒビキは、驚いて言った。
「バカ、人前で抱きつくなって! 仮にもミュージカルのスターだろ! 子供みたいな事を」
「いいんですよ、そんなの。オレとヒビキさんの仲なんて誰もが知っている事ですから! ああ、ヒビキさんの匂い! スーハー、最高!」
「しかし……まぁ、元気そうだな」
「そうでもないです……ここのところ喉の調子悪くて……」
「そっか、無理はするなよ」
「ええ」
その時、ソラは、二人の様子を呆気に取られて見ている人物に気が付いた。
「あのヒビキさん、そっちの方は?」
「ああ、ダイチだ」
ソラは、ダイチの方を向いた。
そして、手を差し出しながら言った。
「あなたがダイチですか。はじめましてソラです」
「は、はじめまして……俺、ダイチです。ソラさん、俺、実はファンで……感激です!」
「そう? 嬉しいな……」
ヒビキは、ダイチとソラが楽しそうに会話をしている姿をぼんやりと眺める。
ソラの笑顔。
それは、ヒビキの心を多少なりともホッとさせた。
何故なら、ヒビキはずっと引きずっている事があったからだ。
それは、ソラがまだアイドルだった時の事。
ソラは人気の絶頂にあった。
しかし、それは、ソラの美貌やキャラクタの魅力に負うものが多く、ヒビキの目には歌唱力の成長は止まっているように見えた。
ブロードウェイの舞台に立つ。
その目標の為には、どうしても歌の表現力を伸ばさなくてはいけない。
ヒビキは、悩んだ末にソラをミュージカル俳優に転向させる決意をした。
それをソラに伝える。
「劇団には話をつけてある。そこで経験を積むんだ。いいな?」
「……はい。ヒビキさんがそう言うなら、オレは従うだけです」
「お前の歌に足りない物はきっとそこで見つかるはず。俺がお前に出来る事はここまでだ。すまない」
「いいんです」
ソラは、ヒビキに抱きつく。
「本当に今までオレを育ててもらい、ありがとうございました。オレは力をつけて必ずヒビキさんの元に帰ってきますから……」
ソラは、涙で頬を濡らす。
「オレ、ヒビキさんの誇りになれるようにがんばります! だから、期待していて下さい!」
泣きたいのを懸命に我慢し、健気にも微笑むソラ。
その姿が今のソラと被る。
ヒビキは思う。
その笑顔の下には別の思いがあるに違いない。
あの日、俺に突き離され、捨てられ、裏切られた。そう思ったに違いない。
心の奥では、さぞ俺の事を恨んでいるのだろうな……。
ソラとダイチの自己紹介を兼ねたちょっとした会話が終わったところで、ヒビキはソラに声を掛けた。
「ソラ。それじゃ、本番で」
「はい、ヒビキさん。また後で」
****
ヒビキとダイチが楽屋を出て行き、ソラは一人になると、その場にヘナヘナと座り込んだ。
「ダメだ。手が震えてる……ヒビキさんの顔を見たからだ」
ソラは、両手で顔を覆う。
あの子、ダイチは、絶対にヒビキさんに恋してる。きっとヒビキさんに抱いてもらったんだ。胸が痛い。締め付けられる……。
オレもヒビキさんの胸に飛び込みたい。そして思う存分抱いて貰いたい。
でも、ヒビキさんと約束した。劇団で頑張るって。オレの歌が観客を魅了出来るようになる迄って。それは、全てヒビキさんの夢を叶える為……。
「でも、オレ、負けそうです……ヒビキさん」
ソラの頬に涙が伝いこぼれた。
ソラは裕福な家庭に生まれた。
お屋敷に住み、使用人からお坊ちゃんと呼ばれる生活。
小さい頃から、文化芸術に触れる機会が多く、ソラのお気に入りはミュージカルだった。
週末には、両親と一緒に歌劇場に足を運ぶ。
そんな優雅なソラの幼少期。
しかし、ある日突然転機が訪れる。
家が破産したのだ。
散財癖のある両親は、先祖から受け継いだ財産をきれいさっぱり使い果たしてしまったのだ。
そして、あろう事か、多額の借金を残しソラをおいて何処かへ消えてしまった。
ソラはひとりぼっち。
ソラは、痩せた飼い猫に話しかけた。
「なぁ、ポンタ。僕たち捨てられちゃった……」
「にゃあ」
橋の上で歌を歌い、その日の糧を稼ぐ生活。
好きなミュージカルの曲を歌った。
「ポンタ、今日は沢山貰えたよ! 缶詰め買ってあげるね!」
「にゃあ」
「ちょっと待ちや、坊主。誰に許可を取って商売しとるんや?」
「え?」
ひどいものだ。
ソラが稼げるようになったのを見計らって、ヤクザがみかじめ料を取り立ててくるようになったのだ。
「ギリギリの生活なんです! お願いです、そんなに持って行かないで下さい!」
「子供でもルールは守らないかん。いい大人になれんさかいに……わははは!」
「ああ、ちくしょう……ポンタごめんよ……ごめんよ」
そんな時に、手を差し伸べてくれたのがヒビキだった。
「なぁ、君。俺のところで歌を歌わないか?」
当時、ヒビキはプロデューサーとして活躍し始めた頃だった。
「いいの?」
「ああ、その猫も一緒にどうだ?」
「本当に? やった!! やったぞ、ポンタ!」
「ぼ、僕、ソラって言います! よろしくお願いします!」
ヒビキはまさにソラの足長おじさんだった。
衣食住の援助だけではない。
学校にも通わせてもらい、歌の先生も付けてもらった。
なまじ生活にかかる金額を知っていたソラは、ヒビキへの感謝もそれは大きなものだった。
そして、感謝が尊敬に変わり、尊敬がいつしか愛へと変わっていった。
年老いたポンタがこの世を去った時、泣き崩れたソラの肩を優しく抱き、
「大丈夫だ。これから俺がポンタの代わりになってやる。いつまでも一緒だ」
と慰めてくれた。
明確に愛に気づいたのはこの時だった。
ヒビキさんの為に僕の人生を捧げる。
そう心に誓ってからのソラの行動は早かった。
「ヒビキさん、僕を抱いて下さい!」
ヒビキは、目を見開く。
そして、優しく微笑みながら言った。
「いいのか? 男同士だぞ」
「はい! 構いません! 僕の全てをヒビキさんに貰って欲しいんです!」
「しかし、お前はまだ若い……これから好きな相手もできるだろう」
「僕は、ヒビキさんが好きです。ヒビキさんとの絆が欲しい……身も心も繋がりたいのです。お願します!」
「そっか……そこまで言うのなら、いいだろう。こっちに来なさい、ソラ」
「はい!」
ソラは、ヒビキの胸に飛び込んだ。
あったかい。そして、いい匂い。
僕の居場所はここ。
ここが、僕の生きる場所なんだ。
「ヒビキさん……僕、ヒビキさんを愛しています。心の底から……」
初めて男を受け入れた時は辛く苦しいものだった。
しかし、ヒビキに繰り返し抱かれるうちに、男同士の至福の快楽を得られるようになっていった。
ある営みの後。
ベッドの上でヒビキは言った。
「なぁソラ。俺は、お前の才能を高く買っている。ゆくゆくはブロードウェイの舞台に立たせたい。それが俺の夢だ」
「ブロードウェイ?……僕にはとても無理です……」
「大丈夫だ。俺を信じろ。俺の言う通りにすれば、お前は成長できる」
「分かりました! 僕、一生懸命、ヒビキさんのお言付けを守って頑張ります!」
「うん、いい子だ……」
そして、ヒビキは、ソラに優しくキスをした。
ソラにとって、あの日の事は一生忘れない出来事となった。
ヒビキさんの夢は僕の夢。二人の夢を叶えるんだ!
その一心がソラを過酷なレッスンやあまたのステージを乗り越えるための支えとなった。
しかし、ここに来てその決意が揺らぎ始めた。
「ごめんなさい、ヒビキさん……。オレ、もうダメみたいです……我慢できない……うっううう」
ソラは、楽屋で一人再び泣き出した。
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