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少なくても私は幸運だったと思う。どこの出かもはっきりしない小娘に辛く当たる様な人間は一人もおらず、この舞形見神社で働く者はみな優しく私に接してくれた。
朝起きると境内の掃除をするのが日課になった。料理も洗濯も、以前までは母親に任せていれば良かったがここではそうはいかない。自立する事で、出来るだけ神社の者に迷惑をかけないようにして生きなければいけない。居候をしている身として、それが当然だと思っていた。
やがて、金勘定の仕方を教わると巫女として働きはじめた。
ある時、神社に訪れた参拝者に旅巫女という仕事の存在を聞かされた。全国各地を歩き回り、お札やお守りを売り歩いて生計を立てるという人達がいるという。歩き巫女ともいうそうだ。売上から旅の資金を差し引いたお金はもちろん神社に奉納される。
巫女の役割はそれだけではない。お札やお守りを買った人達にありがたい御利益があれば、神を信じる信奉者は増える。旅巫女の仕事は、いわば布教活動も兼ねているのだった。
生涯をかけて家族を探してみようと考え始めたそれからだった。
ある静かな早朝、私は決意した。
自室で旅支度を整えると、荷物袋に入るだけのお札やお守りを詰め込んだ。背負うとどっしりと肩にのしかかってくる。これはなかなかの重さである。旅の許可をもらおうと、神主様の部屋へと向かう。
「やあ、シキ。そんなに大荷物を背負ってどこかにおでかけかい?」
偶然にも廊下で鼻歌混じりの彼に出くわした。
「神主様。ちょうど良いところに。あなたに話があります」
「まさか、歩き巫女として全国各地を旅したいなんて言わないだろうね」
「そのまさかです」
神主様が手に持っていた笏を床に落とした。がしゃん、という音が廊下に響く。
「ぼ、僕は反対だ。君がいなくなったら、誰がお風呂で僕の背中を流してくれるというんだ」
「私、そんな事した覚えありませんけど」
「いったいどうして旅巫女になんてなりたがるんだい?…いいかい、シキ。考えてごらんよ。旅に危険はつきものだ。町を外れれば野盗や追い剥ぎだっているし、山には猛獣が住んでいる。それに、変な男に騙されるかもしれない。小娘一人で自分の身を守れるのかい?」
神主様はきっと反対するだろうという事はあらかじめ予想していた。
「私は気付いたのです。この不条理に溢れた世の中で苦しんでいる人達がたくさんおります。そのような者達を神のご加護で救ってあげる事こそが私の使命。それを成し遂げるためであれば我が身の危険など、どうでも良い事です」
「ふうん。いつからそんなに良い子になったんだろうね。本当かどうか怪しいもんだなぁ」
昨晩から用意していた言葉を見透かされ、私は窮していた。しばらく神主様と睨めっこの時間が続く。
「神主様、旅巫女も立派で尊い仕事ではないですか。私がそれをやってはいけない理由がどこにあるというのです?」
「ふう。じゃあはっきり言おう。僕は、シキのご両親とお姉さんから君を預かっている立場だ。危険な仕事を任せる事なんて出来ないよ。わかっておくれ」
その言葉であの日の事を思い出してしまい、思わず感情が昂ってしまった。
「…もう五年になります。それで…じゃあ一体いつになったらお父様とお母様は迎えに来てくれるというの?姉は…どこで何をやっているの?無事にいるのならどうして会いに来てくれないの?あなたはそう言うけれど、そんな…生きているのか死んでいるのかさえ判らない人に義理立てする必要があるのですか?」
言い終わってから、自分がひどい事を言っているのに気付く。神主様に当たっても仕方ない事だ。恥ずかしくなって顔を伏せた。
「ごめんなさい。あなたを困らせるつもりは…」
腕組みして黙って私の話を聞いていた神主様があきらめた様に言った。
「君は昔から一度言い出したら聞かないし、無鉄砲なところがあるから、僕がいくら止めてもきっと無駄なんだろう。もしかしたら、夜中に人目を盗んで神社を抜け出そうとも考えかねない。さてどうしたものかな…」
一つため息をついた神主様はくるりと私に背中を向ける。
「わかった。シキ、僕についてきなさい。君は今日まで良い子にしてたし、それにこの古くて汚い神社で文句も言わずよく働いてくれた。だから、お礼をしないとね」
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