幸せな男の門出

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 貧乏だから稼ぎ手が欲しくて子沢山になるのか、子沢山で養育費がかさむため貧乏になるのか? 娘のキャルシールからの、そんな素朴な質問に対し、彼女の父親アルフォンソ・モナラムール・ハアドゲイ十三世は言葉もなかった。既に故人だから答えようがないのは確かだが、たとえ存命であっても、問い掛ける娘が納得しうる返答を用意できたか疑わしい。没落貴族の末裔である彼は先祖伝来の旺盛な繁殖能力を除けば、ほぼ無能な人物だった。様々な職業を渡り歩いたが、どの仕事も給料は安く生活は常に不安定、であるにもかかわらず女には不自由せず、逃げた女房は追わず! の姿勢だけは一貫していた。繰り返すが繁殖力は高い。宝は何一つ残していないけれど、子宝だけは有り余るほど恵まれて、少々困っていたくらいだ。ある意味、男らしい生涯を送ったと言えなくもないし、それこそが彼の偉大な才能だったと言ってもあながち間違ってはいないだろう。  その娘キャルシールは物心が付く前に父と離別したので、幼少の子供によくある「あれなに?」とか「これなに?」といった質問から始まって「お母さんのどの辺が好きになったの?」等の答えに窮する難問を父にぶつける機会がなかった。今こうして、棺桶の中で永遠の眠りに就く父と対面していると、尋ねたいことや言いたいことが山ほど浮かんでくるような、そうでもないような、不思議な気分になってくるから、これも不思議だ。  棺に納められた父との対話は、それだけで終わった。会話にすらなっていないのが自分たち父娘の関係らしいと思わなくもない。そんなことを考えながらキャルシールは棺から離れた。そのまま教会の外へ出ようとして呼び止められる。 「葬式代を、お代を払ってください」  キャルシールは振り返った。参列者が一人しかいない葬式会場となった教会の神父が険しい表情だ。 「故人の財産は何もないんです。葬式代すら持っていなかった。それじゃ困るんですよ。誰が葬式を挙げてやっているっていうんです? 私たちです。私たちが神の身元に送り届けているんです! その代金を支払ってください。さもないと、とんでもないことになりますよ」  立派な黒の僧衣に身を包んだ太った神父が小柄なキャルシールを見下ろしている。神父の背後に立つ石造りの教会をちらりと見上げ、彼女は口を開いた。 「とんでもないこと? それは何なの?」 「地獄に落ちるのです。教会に金を払わない罪人は皆、地獄に落ちるのですよ!」  キャルシールは教会の隣近所を見渡した。朽ち果てた廃墟のような掘っ立て小屋が並ぶ貧民街が広がっている。糞便の臭いと死臭が入り混じる地獄の真っただ中に建つ神の建物に再び目をやって、彼女は言った。 「私は払わない。その男と私には、何の関係もないから」 「関係ないですって? あなたは故人の娘さんでしょうが!」 「もう縁は切っている。娘でも何でもない」 「それじゃ、なぜ、ここへ来たのです?」  まず、父の危篤を知らせる電報がキャルシールの実家に届いた。とある貧民街で意識をなくして倒れ、そこの教会に担ぎ込まれたという。再婚した家で電報を受け取った彼女の母は、自分にはもう関係のない人間だが、娘はそうではないと考えた。そして娘に伝えたのである、お前の本当の父親がもうすぐ死ぬ、と。  冷たい風が貧民街に吹き荒れた。教会の裏手にある墓場に植えられた樹木の枝が揺れる。キャルシールは警察から支給された分厚いコートの襟を立てた。 「どんな死に様なのか、この目で見てみたかった。それだけ」  神父は死にそうな声を出した。 「あなたは警察の人でしょう? 行き倒れた貧乏人を担ぎ込まれるこっちの身にもなってくださいよ。我々は慈善事業をしているわけじゃないんです。棺桶代だって馬鹿になりません。身寄りのない人間ならまだしも、こうして家族がいるんですから、葬式の費用は払っていただかないと」  だから身内じゃないって、と繰り返してからキャルシールは神父に尋ねた。 「私以外の弔問客は誰も来なかったの? 借金取りとか」  神父は首を横に振った。 「誰も来ていません。だけど電報は来ました」 「弔電?」 「違います。故人の子供が来ると」 「誰からの電報?」 「アルフォンソ・モナラムール・ハアドゲイ」 「それはくたばった男の名」  実家に届いた電報も送り主は偽名だった。そんな胡散臭い電報を真に受け、そこに記された住所にやってきた自分はどうかしている、とキャルシールは思う。それでもこの教会を訪れたのは、父の顔を見てみたかったのと、幼い頃に同居していた異母兄弟や姉妹と再会できるかもしれないと考えたからだ。  その頃の記憶は、寝ていると天井から星が見えるほどのあばら家に暮らしていたことと、兄弟姉妹と一緒に楽しく遊んだこと、これぐらいしかない。自分の実家に匿名の連絡が来たように、他の兄弟姉妹にも同様の電報が来たとすれば、そのうち何人かは教会に来るかも……と期待したのだが、期待外れに終わった。  期待外れなのは神父も同じのようだった。 「どうしても払わないおつもりですか? それならこちらにも考えがあります。あなたがお勤めの警察に苦情を伝えますから。婦人警官が葬式代を踏み倒そうとしているってね!」  警察なら退職予定だ、と言おうとして止めた。相手にするだけ馬鹿らしい。第一、この神父は私の名前を知らない、と彼女は思った。記帳したわけでもないので、分かるはずがないのだ。 「キャルシール・カチリさん、でしたね? 勤務先は知りませんけど、それは警察の苦情ダイアルに電話すれば向こうで調べてくれるでしょう」  キャルシール・カチリは唾を飲み込んだ。得意げに語る神父の顔に鋭い視線を浴びせる。 「その名前は、どうして分かったの?」 「電報に書いていたんです。そういう名前の若い女性が来ると」  他の兄弟や姉妹が来なかった理由は、資産ゼロの父の葬式に参加する意義を見出せないから、ではなかった。その危篤を知らせる電報が届けられたのは、キャルシールの母親だけだったのだ。  なぜ自分たち母娘にだけ危篤の通知が来たのだろう? とキャルシールは考えた。思い当たる理由がない。そのとき、背後に人の気配を感じた。怪しい空気が鼻腔の奥に刺さる。数多くの危険を潜り抜けてきた彼女は、自分の直感を信じた。コートのポケットに入れていた拳銃を引き抜く。安全装置を解除し振り返りざまに撃つ! 前に声が届いた。 「久しぶりだね、キャルシール」
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