おしゃべり。

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「あの子?犬とか猫ですか?」 「ああ、ごめんなさい。募集広告には仕方なくペットと書いたんですけど、実際はペットじゃなくてうちの孫なんです。ひより、という名前なんですけど……あの子の話し相手をしていただきたくて。あの子の親は忙しくてうちで預かってるんですけど……夏休みの間は、あの子も学校に行きませんから。その上、わたくしも仕事があるでしょう?相手をしてあげることができなくて」  なるほど、そういうことらしい。  しかし、夏休みの時期と言っても、俺が会社に来るのは一週間だけだ。それだけで足りるのかな?というのはちらっと思った。 「相手をすると言っても、難しいことは何もないです。ドアごしに、お喋りしていただければそれでいいですわ。なるべく、あの子のお話を聞いて、機嫌を損ねないようにしていただければ」 「ドアごし?」 「とても恥ずかしがり屋なんです。いろんな人と話すのは好きだけど、初めての人と会ったら多分緊張してパニックになってしまうと思うの。だから、少し不便ですけど廊下に座って、ドア越しにあの子とお話をしていただけないかしら。お願いしたいお仕事は、それだけですから。申し訳ないけれど、お昼ごはんもドアの前で取ってくれると嬉しいです。机と椅子はこちらで用意しますから」 「はあ……」  変なバイトだな、と思った。女の子とお喋りするというのはさすがに想定していなかったが、俺にできるだろうか。 「俺、話すのそんな得意じゃないですよ」  俺がそう言うと美津子さんは“大丈夫よ”と笑った。 「あの子が、喋るのが大好きだから。ほとんど聞き役に徹して貰ってもいいのです。ただ、何度も言うようだけどドアは開けないでくださいね。それから、機嫌を損ねないように気を付けてください。万が一あの子が怒りだしたら、すぐに私の携帯に電話をくださいね。怒って暴れると、手がつけられなくなっちゃうので」 「はあ……」  一体どんな子なんだ、と少しだけ怖くなった。でも、背に腹は変えられないし、契約書も仕事内容が“事務”ってなっていること以外はちゃんとしてる。俺は結局お金欲しさに、その書類にサインをしたのだった。  一週間後。丁度七月の末日から、俺のアルバイトが始まった。言われるがまま俺は四階に連れて行かれる(ちなみに、美津子さんたちが仕事をしている事務所は二階だ)。ビルは横に平べったい形をしていて、真ん中に階段があり、左右に四部屋ずつ部屋があった。都会のビルよりよっぽど大きいけど、“ひより”ちゃんがいる左手奥の部屋以外は現在使われていないという。
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