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「その小さな集落は、集落そのものが蓋だったの。その下にあるものを、人間の力で抑え込んでいたというわけ。でも、過疎化によって集落の人間そのものが減ってしまって、どんどん地下にあるものが上に出てきてしまった。このままでは、抑え込むための儀式をやる人間もいなくなってしまう。地下にあるもの、が地上に出てきたらどうなるかなんて目に見えている。既に、人がどんどん喰われて死んでいるのだから。……でも、弱い人間達には、神様にも等しい存在を斃すことなんてできないし。結局集落もなくなっちゃうし。……仕方ないから、地上にでてきた存在に妥協案を示すことにしたの」
「妥協案?」
「その存在が人を食べるのは、お腹がすいているからじゃなくて他の楽しみがなかったから。なら、何か面白いことがあればきっと人を食べないでいてくれる。弱い人間達は土下座して、その存在のご機嫌を取って宥めるという方法を取った。まあ、唯一打てる最善策だったというわけね。その結果、ここ数年は人が喰われる頻度が格段に減ったというわけ」
機嫌を取って、宥める。俺は急に怖くなった。
まさか、と灰色のドアを見つめて固まってしまった。
ドアの向こうには僕の恐怖が伝わったのか、くすくすと楽しそうに嗤い続けている。
「夏の夜は、一番退屈するの。だって人間達も、妖怪たちもお祭りに怪談にと楽しそうにしているのに、自分だけのけものにされるなんて淋しいでしょ?」
その後。
自分が彼女に何を言ったのか、よく覚えていない。彼女がそこから先どんな話をしてくれたのかも全然思い出せない。
気が付けば、俺は美津子さんに手を引かれるまま二階の事務所まで降りてきていた。彼女は俺にお給料として、現金で十二万円と交通費を手渡すと――心の底から嬉しそうに笑って言ったのだった。
「ありがとう。おかげで、今年は誰も死なないですみそうだわ」
結論を言えば。
俺はドアの向こうの存在を見てないし、集落の下にあったもの、が何なのかも知らないまま終わってる。でも、多分、それは人間が知らない方がいいやつなんだと思う。もし誘惑に負けてドアを開けていたら?――こんな高額なお金を貰っておいて、ただの悪戯でしたなんてオチがあればいいけどな。
まあ、お前らも妙な高額バイトがあったら気を付けてくれよ。
俺が生きて帰れたのは多分、運が良かっただけなんだから。
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