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2章 跡継ぎ騒動 第2話 偶然の出会い
数日後、まだまだ夏の盛りの盆休み。立秋をとうに迎え、お盆が明けたら残暑ではあるが、まだまだその暑さと湿度は衰えない。
長居植物園のひまわりウィークはそろそろ終わりを迎えるが、今でも大輪の鮮やかな黄色がお日さまに向かって起立しているだろう。
茉莉奈と香澄も期間中、午前に見に行ったのだが、広い空間を埋め尽くすひまわり畑は絶景だった。今は亡き佳正と行った時と変わらない景色に、茉莉奈は安心感を覚えたものだった。
「はなむら」は個人経営ということもあり、お盆休みを数日いただく。今年は14日と15日の2連休だ。
お盆の祝日は11日の木曜日で、12日は暦通りだと平日だ。13日と含めて休みにしてしまうのはもったいないし、ご常連も残念がられる。
「はなむら」の定休日は月曜日なので、実質1日増えただけになるのだが、連休というのは心が浮き立つ。1泊旅行だってできてしまうのだ。
しかし茉莉奈は旅行では無く、香澄と外食するのだ。「はなむら」のための勉強である。例えばお店の内装、雰囲気、おしながき、おすすめなど、勉強になる部分は盛りだくさん。
茉莉奈がネットで予約を入れて行くことにしている。勉強ではあるがもちろん美味しいご飯も楽しみである。
14日の17時に予約を入れ、茉莉奈と香澄は予約時間の少し前にお店の最寄り、天王寺駅に降り立った。
茉莉奈が成人し、お酒が飲める様になった年から、こうして香澄と連れ立って勉強食事会を催して来た。
今回は初めて行く店では無い。茉莉奈たちが気軽に行ける距離にある小料理屋は無限では無い。それら有限の中から評判などを見てお店を決めるのだ。
ネットの口コミだけを当てにするのは危険だが馬鹿にはできない。そこには実際に食べた方の率直な感想が掲載されている。
良い評判と悪い評判が極端なら疑うが、良いものが多ければ参考になる。
茉莉奈と香澄はいくつかのご贔屓の小料理屋に順繰りでお邪魔していた。連休を取れるのがお盆と年末年始なので、その期間に商っていることも条件になる。「はなむら」の様に休みにしている小料理屋も少なく無いのだ。
天王寺の様な繁華街は立地条件が「はなむら」とは違うので、打ち出し方が異なる。だが共通している部分は多いので、茉莉奈はひとつでも多くのものを吸収したいと意気込んでいる。
こうした勉強食事会は定休日に行うこともあるが、やはり翌日が休みだと思うと気持ちが楽になる。いつもよりゆっくりできる、お酒も多めに飲める、翌日朝寝坊だってできる、と思うと心が躍ってしまう茉莉奈だった。
夏の夕方、西にいる太陽はまだ活発で、遮る雲もほとんど無いものだから、茉莉奈と香澄は並んで歩きながら、首筋に伝う汗をハンカチで押さえた。
天王寺はJR西日本と大阪メトロ、近鉄電車に阪堺電車が乗り入れている。あべのハルカスやキューズモール、MIOなどの大きな商業施設があり、ほとんどが地下道か屋根付きの陸橋で繋がっている。
なので目的地によっては陽や雨に当たらずに行くことができるが、今日茉莉奈と香澄が予約を入れたお店は裏天王寺と言われる界隈にある。そこに行くには屋根の無い外に出る必要があるのだ。
今日、茉莉奈たちはJR阪和線で天王寺に出て来ていた。中央改札口を出て、右に行くと裏天王寺だ。
中央改札口を出たその辺りは「天女下」と呼ばれ、待ち合わせ場所として有名だ。頭上に黄金色の天女像が吊るされているのである。
お盆休み中ということもあって、かなりの人出だった。はぐれない様に人の波をかき分けながら歩いていると、見覚えのある後ろ姿が目に映った。人波からひょこっと頭が出ているその人は寺島さんだった。
茉莉奈は一瞬声を掛けようかと思った。だが、「はなむら」の外で声を掛けられるのはご迷惑かも知れないと、出掛かった言葉を飲み込んだ。
「ママ、ほらあれ、寺島さんや無い?」
「あら? ほんまやねぇ」
香澄が茉莉奈の視線を辿って言った。
「でもお声掛けは控えよか。ご迷惑になってしもたらあかんもんね」
ああ、自分と同じことを考えてくれたと、茉莉奈はほっとする。
だが寺島さんはくるりとこちらを振り返ってしまった。あ、と思った時には、寺島さんと目が合っていた。
「あ、女将さんと茉莉奈ちゃん」
寺島さんは懐っこい笑顔を浮かべると、人波をするりと縫ってこちらにやって来た。
「こんなところで会えるなんて、やっぱり運命やなぁ」
寺島さんは嬉しそうににっと口角を上げた。外でお会いしても、寺島さんは相変わらずである。
「おふたりはどこに? 俺はこれから大学ん時の連れと会うんです。この辺で待ち合わせで」
寺島さんは大学の農学部に通っておられたのだ。高校を出てすぐに就農することも考えたそうだが、最新の農業や科学を学ぶためにも、お父上が進学を勧めたとのことだった。ちなみに高校は農業高校だった。
「私たちはお勉強も兼ねて、小料理屋さんでお食事やねん」
香澄が言うと、寺島さんが「へぇ?」と意外そうに目を丸くした。
「女将さんも茉莉奈ちゃんもあんなに旨い料理作るのに、まだ勉強なんてのが要るんですか?」
「そりゃあそうよ。お料理にも経営にも、正解がある様で無いんやもん。いつまでもお勉強やで。寺島さんも日進月歩する農業を学ぶ毎日でしょう?」
「そうなんですよ。これから会う連れも家の農家継いでて、情報交換の意味合いもあるんですよ。へぇ、お店経営も本当に大変ですよね」
「寺島さんかて自営業なんやから大変でしょ? お互い頑張らんとね」
香澄と寺島さんは会話を弾ませ、茉莉奈はそれに相槌を打つ。寺島さんが慕ってくれていることもあって、ふたりはまるで親子の様にも見えた。実際寺島さんはそれぐらいの歳でもあるし。
「ほな、私らは行くわね。寺島さんも楽しんでねぇ」
「はい。また「はなむら」で」
「お待ちしてるね〜」
香澄が軽く手を振り、茉莉奈は「お待ちしてます」とぺこりと頭を下げた。
その時、柱の陰から3人の様子を見つめる人影があることに、誰も気付かなかった。
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