1

11/12
前へ
/62ページ
次へ
 芝田のいう先生が存在しないことも、芝田があちらこちらにカメラを持って出かけていることも。芝田の来歴だってわかるだろう。  車窓に映る無表情な自分の顔と見つめ合う。  N氏なら、すでに調べているかもしれない。  それでなにか困るだろうか。  後ろ盾などいらないが、面倒なことにならなければどうでもいい。  芝田はN氏の――彼らの感性に期待している。  おぞましいものをおぞましいと、禍々しいものを禍々しいと、そう正しく感じ取れる剥き身の人間がああなっていく。  感性を持つものたちは、日常に身の置き場がないものが多い。だからこそはけ口が必要になる。  芝田の届ける写真を見つめ、これこそが闇なのだ、と納得する必要がある。汚泥を相手取り、陶酔しながらまだ自分は闇にいないと確信するのだ。  ただそこにあるだけの闇を感じ取る感性こそが、彼ら自身を苦しめている。  そのことから目を背けなければ、彼らの正気は保たなくなる。  感性さえなければ、闇を瘴気を汚泥を見たところで、そうとは感じないのだ。  おもてに出ないで暮らせる財力があるものたちは幸運だ。
/62ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加