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芝田のいう先生が存在しないことも、芝田があちらこちらにカメラを持って出かけていることも。芝田の来歴だってわかるだろう。
車窓に映る無表情な自分の顔と見つめ合う。
N氏なら、すでに調べているかもしれない。
それでなにか困るだろうか。
後ろ盾などいらないが、面倒なことにならなければどうでもいい。
芝田はN氏の――彼らの感性に期待している。
おぞましいものをおぞましいと、禍々しいものを禍々しいと、そう正しく感じ取れる剥き身の人間がああなっていく。
感性を持つものたちは、日常に身の置き場がないものが多い。だからこそはけ口が必要になる。
芝田の届ける写真を見つめ、これこそが闇なのだ、と納得する必要がある。汚泥を相手取り、陶酔しながらまだ自分は闇にいないと確信するのだ。
ただそこにあるだけの闇を感じ取る感性こそが、彼ら自身を苦しめている。
そのことから目を背けなければ、彼らの正気は保たなくなる。
感性さえなければ、闇を瘴気を汚泥を見たところで、そうとは感じないのだ。
おもてに出ないで暮らせる財力があるものたちは幸運だ。
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