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 先生は決して名乗らない。  世俗を避け、唯一の窓口が芝田だ――そう話すと、扱うものが扱うものなだけに、顧客たちは信じた。  写真を届けに現れる芝田は、ただの運搬人にしか見えないのだろう。おぞましいものを写し取れるとは思われない――たとえどんな人物でも、提示する汚泥を撮影できるとは思われないはずだ。  芝田は部屋の押入を写真の現像室にした。  改造してつくった暗室は狭くて換気が悪い。  そこで柴田は流れ落ちてくる汗をぬぐう。  ふすまの向こうはエアコンを効かせているが、閉じ切った暗室に冷風はまったく届かない。  現像液の酸っぱく重苦しいにおいのなか、印画紙に浮かび上がるものに芝田は目を凝らす。  並べて置いた薬液で満ちたバットのなか、黒く黒くそれは浮かんだ。  浮かび上がった歪みを印画紙に定着させるべく、現像液のバットからそれを引き出した。  そしてとなりの定着液のバットへ入れる。  適当にあり合わせの道具ではじめた芝田の暗室は、菜箸や物置から出てきた平べったいバットを使っている。  あり合わせの――即席の暗室に、それはよく馴染んでいた。
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