推し事

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陽が傾きだしたころ、夏期講習を終え、帰宅した真寛(まひろ)は、自室のドアを開けるなり固まった。 「ふん、ふん~♪やっぱりこの曲カッコいいなあ~。MVの(らん)ちゃんのダンス最高だなあ。 でもライブで歌って踊ってる姿が一番好きかなあ。あー、ライブ行きたい!でもなあ、チケットがなあ・・・。 ・・・でも、やっぱり最高なのは顔なんだよねえ~。蘭ちゃんの顔面最強!」 ベッドにだらしなく寝そべり、無防備に脚を投げ出しながら、ニヤケ顔でタブレットに見入る少女。 「あ、真寛おかえりー!」 ようやく真寛の存在に気付いた少女、一花(いちか)は、うつ伏せの姿勢で脚をバタバタと上下させながら、悪びれる様子もなく笑顔を向けてくる。 「・・・間違えました」 そう言って、少女を封印するように、バタンとドアを閉めると、真寛はリビングへ向かった。 「ちょっと真寛!」 声がして、すぐさまドアが開き、一花が追いかけてくる。 「ちょっと真寛!あそこは真寛の部屋でしょ!あたし待ってたんだから!」 真寛は、鞄を放り出してソファに座り、制服のネクタイを緩めながら、涼しい顔で、冷たく一花を突き放す。 「今からこのソファが俺のベッドだ。あの部屋はおまえにくれてやる。喜べ。だからもう俺とおまえは無関係だ。話しかけるな」 「はあ!?意味わかんないんだけど、何その理屈!」 一花は短いスカートを翻しながら真寛の対面に座ると言った。 今までとは打って変わった猫なで声で。 「ねえ真寛。駅前のCDショップに『ジュエル』のサイン入りパネルが展示されてるの。等身大の蘭ちゃんと写真が撮れるんだよ?これはもう行くしかないでしょ!」 「勝手に行けばいいだろ」 真寛は心底嫌そうな表情を浮かべ、苦々しく顔を歪めた。 「なに言ってんの?行くなら真寛も一緒に決まってるでしょ」 「俺はあんなアイドルのファンじゃない。一人で行け」 シャツのボタンを外し、手で顔を扇ぎながら真寛が言うと、一花は鼻を鳴らした。 「真寛、あんた、この歳にもなって、まだあたしの方向音痴を舐めてるんじゃないでしょうね?あたしは一度行った場所でも100パーセント迷子になるのよ!」 何故か優越感たっぷりに言われた。 自慢するようなことではないはずだ。 思わず真寛は、自分の持つ常識という概念を疑った。 しかし、いくら真寛が常識を説こうとしても、目の前の少女には通じない。 俺の育て方が間違っていたのか・・・。 喋り続ける一つ年下の幼馴染みの少女、宮沢(みやざわ)一花を、眺めながら、ぼんやりと真寛はそんなことを思った。 帰宅して10分も経たないうちに、真寛は炎天下の渋谷へ連行されていた。 夏休みは始まったばかりだが、暑さは厳しく、早くも梅雨空が懐かしくなる。 人混みを歩く途中で、一花はふと隣を歩く真寛を見上げる。 背が高くすらりとした体形で、涼しげな目元が印象的な文句なしの美少年。 頭が良ければスポーツもできる。 当然、女子からモテる。 信じられないくらい、モテる。 一花は、『顔面至上主義』を信条としている。 人間、顔は綺麗に越したことはない。 内面は二の次。性格はいかようにも変われる。 だが顔面は、生まれつき決まっていて、本人の力ではどうあっても変えようがない。 美しければ美しいほど人の価値は上がる、と一花は本気で思っている。 その点、真寛は完全無欠だ。 ぶっきらぼうで、取っつきにくいが、自分の懐に入った人間には、とことん優しい。 面倒見もいいので、何かトラブルがあったとき相談するのは真寛だった。 真寛ほど信頼できる人間を一花は知らない。 「真寛の連絡先教えてくれって女子がしつこいんだけど。もう面倒だから真寛のアドレスばらまいていい?」 「アホか!」 そんな会話を繰り広げているうちに、ふと一花にむくむくと悪戯心が芽生える。 ぐい、と引っ張ると真寛の腕に自身の腕を絡め、ドヤ顔をする。 「・・・なんのつもりだ」 「別に?他人からみたら、あたしたちも恋人にみえるのかなって」 そう言いながら、一花が体を密着させる。 「暑い、離れろ」 「まひろのケチ~」 笑いながら体を離し、再び彼を横目で見やる。 高3になってから、色気が半端ではなくなった幼馴染みを改めて近くで見ると、超絶美形なんだなあ、と思う。 そんなわけだから、幼馴染みの一花に、真寛との橋渡しを頼んでくる女子があとをたたない。 一花が痛いアイドルファンであることは知れ渡っているから、一花がどれだけ真寛の近くにいようと、ライバル視する者はいないのだ。 雑踏の中、順調に迷子への道を突き進んでいる一花の腕を掴んで、引き寄せると、その手と自分の手をがっしりと繋ぐ。 「ひゃっ。なに、急に!」 「こうでもしないと、おまえはすぐ迷子になるだろ」 そうだけど・・・、と空いている手で鼻の頭を掻きながら、一花は胸の高鳴りをおぼえていた。 自分から悪戯を仕掛けた相手に、何を今更、と一花の心は大いに乱される。 意識している?真寛を自分が? そりゃ真寛の顔面はいうことなしだし、『ジュエル』のメンバーと比べたって遜色ない気もしないでもないけど・・・。 でも『蘭ちゃん』にだけは・・・そうだ。 「蘭ちゃん!」
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