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異世界人幽霊はじょしこーせー?
道化師の素顔は黒い髪に黒い瞳、平坦な顔立ちの……オッサン? オニイサン?
年はアラサーくらいに見えた。
「皇女とは契約していない」というジゼルの言葉に「えっ」と目を見開いたから、どうやら召喚獣の声が聞こえるらしい。魔力がないのになぜ?
不思議に思って魔力感知に集中してみたら、ゼンの体内にわずかな魔力が巡っていた。その気配にあたしは思わずブルッと背を震わせる。これは、ニール研究所でイアンに初めて会ったときと似た感覚だ。
おそらく、ゼンの体を循環しているのは人間の魔力ではなく魔獣の魔力。
彼は胸に抱いていたホワイトタイガーを床におろして背を撫でる。ジゼルがしなやかな跳躍で机から飛び降り、ゆっくりと彼らの方に近づいていった。二匹の魔獣のファーストコンタクトをノードは興味深そうにながめている。
「ゼン、その仔猫はジゼルと言います。契約者は死んでしまいましたが、なぜか召喚解除されることなくこの世界に留まっているんです」
「死んだ? ……その契約者って誰なんですか?」
「ゼンもあの夜ここにいたのだから分かるでしょう?」
ゼンはすぐ答えに気づいたようだったけど、言葉にするのを躊躇っているようだった。あの場にゼンがいた、ということは従者だと思っていたローブの男?
ホワイトタイガーの視線は「おまえだろう?」とでも言うようにずっとあたしに向けられたままだ。
「契約者って、もしかしてあのときの死体ですか?」
「死体はここにいるよー」
あたしは手をヒラヒラさせてみたけど、ゼンに見えてないのは確実。
死体、という言われ方は好きじゃないけど、ナリッサがえずいてたくらいだから客観的には〝死体〟以外の何物でもなかったんだろう。
「ゼンの言った通りです。召喚直後はまだ息があり、ジゼル殿が魔法陣の中で彼女の血を浴びて血の契約が成立しました」
「そういうことですか。でも、契約時には名を与えることが必要なはずでは」
「名前はあった」とジゼル。
「前の世界で、主は野良猫のぼくに勝手に名前をつけて餌で手懐けようとしてたんだ」
ゼンは足元の小さな白い仔猫をじっと見ると、「かわいいからなぁ」とつぶやいた。その瞬間、ずいっと胸を張るジゼル。召喚獣は主に似るっていうけど、あたしはこんなにナルシストじゃないはず。たぶん。
「ところで魔塔主様、あのとき集めた骨はどこに埋めたんですか?」
「そんなこと聞いてどうするんです?」
「えー、……えっと、花でも供えようかと」
舞台上ではあれほど滑らかだった道化師の舌が、今はなぜかしどろもどろ。
「ゼンの国にはそういう習慣があるのですか?」
「そういうわけではないですが」
「では、ゼンが生まれた国にはそういう習慣が?」
いつの間に酔いが醒めたのか、ノードはいつも通りの笑顔でゼンを威圧する。彼がビクッと肩をすくめると、大人しく座っていたホワイトタイガーがフウと嘆息した。
ふと、この魔獣はコトラじゃないかと頭を過る。
体は小さいし尻尾は一本しかないけれど、コトラが上級召喚獣なら尻尾の数や体の大きさを変えるのもお茶の子さいさい。魔力量が増えたら人間の姿にでもなれるとジゼルが言っていた。
思い立ったら即確認。
「コトラちゃん、おいで~」
餌付けのちゅ~るはないけれど、あたしは床にしゃがみ込んで手を出してみた。チビ白虎とチビ白猫が同時にあたしの方へ足を踏み出し、短足ネコが「主はぼくのものだ」と言わんばかりにダッシュであたしの傍まで駆けてくる。ういやつ♡
一方、チビ虎さんは王者の風格を漂わせ悠々とあたしの前まで歩いて来た。そしてフイッと魔塔主を振り返る。
「魔塔主殿、まわりくどい質問はやめにしませんか。わたしに異世界人のお嬢さんの姿が見えているのはわかっているでしょう?」
「異世界人ッ?」
声を裏返らせ、ゼンはキョロキョロと部屋を見回した。ノードはそれを放って白虎に声をかける。
「コトラ殿、どうして彼女が異世界人だと思うのです?」
あ、やっぱりこの子コトラだ。
「お嬢さんが着ている服は召喚前の世界でよく見かけました。ですが、この世界に来てから見たことがありません。サーカス船でずいぶん多くの場所を巡ったというのに」
「ガクセイが着るらしいですね」
コトラは不機嫌な顔でノードを睨みつける。
「異世界人のお嬢さんが幽体でこの場にいるということは、ゼンが同席した召喚術で亡くなった方なのでしょう?」
「うん、そうなの」
ノードではなくあたしが先に答えると、コトラは神妙な顔つきで「ご愁傷さまでした」と頭を下げた。あたしも「お気遣いなく」とお辞儀を返す。上級の召喚獣さんは生まれも育ちも上級なのかしら?
「なあコトラ、本当にそこにあのときの女性がいるのか?」
会話から置いてけぼりのゼンは一人困惑しているご様子。こっちはあまり上級感がない。
「ああ、いるよ」
幽霊には丁寧な物言いなのに、ゼンにはずいぶんぞんざいな口調だった。コトラの召喚はゼンには無理だろうし、契約者でもなさそうだけど、一体どういう関係なんだろう。
「わたしはあのときの召喚に立ち会っていないから断言はできないが、お嬢さんはそうだと言ってる」
「本人が? いくらコトラでもこの状況でドッキリはないだろうし……」
ドッキリって、この世界にもあるのかな。
あたしはゼンの正体に確信を持ちつつあった。ノードが確かめようとしているのもきっとあたしが考えてるのと同じことだ。
「ねえコトラ、ゼンはもしかして異世界人なの?」
コトラは「本人に聞けば?」とでも言いたげにゼンに視線を向ける。そのゼンはおそるおそる近づいてきて、白虎の隣にしゃがみ込んだ。
「どこ?」
「そこ」
素っ気ない会話を交わし、眉間にシワを寄せてあたしを探す黒髪の男。ノードと違って短髪で、キュンとはしないけど懐かしい顔つきだった。向かい合った状態であたしはじっと彼を観察しているのに、いくら待っても目が合わない。
「面倒な人間だな」
ジゼルがケケッと笑った。
「ああ、面倒で手がかかるんだ」
コトラが小馬鹿にするように鼻を鳴らすと、ムキになったゼンは思いっきり手を伸ばした。惜しい、もうちょっとで届きそうだけど、たぶん届いても触れない。コンニャクがあったらペロンとなでつけたい気分。
「コトラ、ちょっとマナ出力アップしてくれない?」
マナ出力とは?
「はいはい」
テキトーに返事するコトラ。あたしの疑問はすぐに解消した。
コトラから魔力混じりのマナが放たれ、それはゼンの両肩と太もも、両手と両足の八か所から体内に流れ込む。ジゼルは興味深そうにその様子をながめていた。
「なるほどな。魔力ゼロの魔術師は召喚獣から魔力もらって魔術を使うわけか。血の契約ではないようだが」
「この魔力差でおれとコトラが契約できるわけないだろ」
「お前とその召喚獣がどういう関係なのかは知らんが、体にマナ石を埋め込んで魔獣の魔力を分けてもらうなんて酔狂なやつだ。体に流すならせめて人間の魔力だろう」
「魔獣と人間の魔力の違いを判別できる魔術師はそういないし、魔獣の警戒心が薄れるからサーカス船ではこっちの方がいいんだ」
「ほう」とジゼルは少しだけ関心したようだった。あたしはゼンの目の前でずっと手を振っていたけれど、彼の魔力が増えてもなかなか気づいてもらえない。
「ゼン、そろそろ諦めたほうがいい。団員の誰にも見えていなかったのだから、お前に見えないのは当然だ」
コトラは蛇口を閉めるようにゼンに流すマナを減らした。
「魔塔主殿、エドジョーにはこのお嬢さんを紹介されたのですか?」
「いえ、内緒でお願いします」
「エドジョーにも明かしていないことをどうしてわたしたちに?」
警戒するコトラと笑みを浮かべるノードの間にバチバチと火花が散っている。ゼンはまだ諦めきれないらしく一生懸命目を凝らしていた。
「なあジゼル、お前の主はどこにいるんだ?」
肩を落とし、ジゼルの頭を撫でるこの人はなんとなく日本人のような気がする。日に焼けてガサガサに荒れた手には小さな傷痕がたくさんあった。もし本当にこの人が異世界人なら、どれだけ苦労したことだろう。
ひび割れた指先が痛々しくて、あたしがそっと手に触れたその時だった。
「見えたっ!」
「えっ?」
あたしは驚いてパッと手を引っ込め、ガタッと音をさせてノードが机から立ち上がった。
「と思ったけど消えた……」
ゼンは落ち込んで床に手をつき土下座状態。あたしはもう一度ゼンの指先にチョンと触れた。うなだれた頭が持ち上がり、彼はハッと目を丸くする。
「……じょ、じょしこーせー?」
その反応にあたしのテンションは爆上がりした。
「女子高生じゃなくて女子大生なんですけど、色々あって妹の姿の幽霊になりました。この服はラブルーンのコスプレです。マジカル戦士ラブルーンって知ってますか?」
「……らぶらぶるんるんまじかるぱわ~?」
あたしはうれしくなってゼンの手を握りしめ――ようとしたけど、そのとき初めて彼の手に触れられないことに気づいた。
「金髪に青い目だけど、日本人?」
「はい。元は黒髪黒目です。*%$#サラと言います」
――あれ、どうしてあたしの苗字は異世界後翻訳不能なの?
驚くあたしにゼンがフッと表情を緩めた。
「苗字を口にしても言葉にならないんだよな。おれも元は%#$¥ゼンだけど、今はただのゼン」
「ゼンさんはグブリア帝国じゃなくて小説には出て来ない島国の人なんですよね?」
「小説?」
彼が首をかしげ、あたしはハッと思い出す。そういえば、ゼンは小説の発売前にこの世界に来ていたかもしれないのだ。ということは……、どういうこと?
「ゼンさんは『回帰した悪女はお兄様に恋をする』っていう小説を読んだことがありますか?」
「読んだこともないし聞いたこともないけど、その小説って……」
ゼンは何か聞きたそうだったけど、チラッとノードの顔をうかがい、そのまま黙り込んでしまった。
「ゼン、あなたはいつこの世界に?」
目の前まで歩いてきた魔塔主に、しゃがみこんでいたゼンが反射的に腰を浮かせる。触れていた指が離れ、あたしを見失って視線を泳がせた。
「サラさん、立ってください」
スッと当たり前のように差し出されるノードの手。そのスキンシップに深い意味はないけれど、あたしはやっぱり人肌が嬉しい。キュッと握るとノードは同じくらいの力で握り返し、その手をゼンの前に持っていった。
「サラさんの手はここですよ、ゼン」
「……魔塔主様はサラちゃんに触れるんですね」
「ええ、サラちゃんに触れます」
プッとあたしは吹き出した。ジゼルもケラケラ笑っていたけれど、ノードがジロッとひと睨みするとグッと笑いを引っこめる。
「ゼン、どうやらわたしもサラ殿に触れるぞ」
コトラが何の感慨もない口調で言ってあたしのブーツに前足をのせた。ジゼルの愛らしい前足とは違って、子どもサイズでも虎の足には重量感がある。
ゼンは敗北感を滲ませつつ、ノードにうながされてあたしの手に触れた。
「ゼン、さっきの質問の答えは?」
ゼンはいつこの世界に?
「おれはコトラの代わりに間違って召喚されたんです。召喚されたのは魔塔主様に会う三年前くらい。つまり、今から十一年ほど前です」
あたしは驚きで言葉を失った。でも、こっちの時間の流れと元の世界の時間の流れが同じとは限らない。もしかしたらゼンが召喚されたのだって小説の発売後だった可能性もある。
――でも、『回帰した悪女はお兄様に恋をする』のことを知らないのなら、どうして彼はこの世界にいるのだろう。異世界転生が常に知ってる世界に飛ばされるわけではないけれど。
「ゼンはサラさんがさっき言った小説を本当に知らないのですか?」
「記憶にありません」
「ゼンがサラさんと同じ本を読んでいればもっと情報が得られると思ったのですが、残念ですね」
「〝本を読んでいれば情報を得られる〟というのはどういう意味ですか?」
ゼンのまっすぐな視線を受け止め、ノードは考えをまとめるようにほんの数秒黙り込んだ。
「……ゼンがわたしに初めて会ったのはこの世界に来て三年経った頃、ですよね?」
「はい」
「それにしては、出会った当初からずいぶん帝国事情に詳しかった。辺境地でのマナ滞留症状に気づいていましたし、それが魔獣生息域の移動の影響だと指摘したのもあなたです。その知識と情報はどこで得たのでしょう?」
ゼンは言葉に詰まってグッと喉を鳴らす。
「……おれが指摘しなくても魔塔主様も気づいていたはずです」
「答えになっていませんが、まあいいでしょう。では、ゼンはこの世界でこれから何が起こるかご存じですか?」
部屋に沈黙が落ち、パチとロウソクの炎がはじける音がした。
「やはり、あなたも小説を読んだことがあるのですね?」
「……ありません。ありませんが、小説の設定を書いた構想ノートを読んだことがあります」
「構想ノート?」
なにそのレアアイテム!
「そのノートには何が書いてありましたか?」
「おれが読んだ通りなら、あと数年で災厄が起こるはずです」
「災厄……」あたしとノードとジゼル、三人のつぶやきが重なった。
〝災厄〟と聞いた瞬間頭を過ったのは魔獣討伐エピソード。押し寄せる魔獣、隻眼の黒龍を従える元白影の魔術師シド。
確かなのは、目の前の男が読者のあたしよりもこの世界に詳しいということ。この人は小説で触れられていない〝魔獣生息域の移動〟も〝マナ滞留症状〟も知っていたのだ。
「ゼン、災厄とは何なのか具体的に教えてもらえますか?」
集まる視線にたじろぎつつ、彼は罪を告白するような顔で口を開いた。
「魔獣の襲来です」
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