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地図にない島国と悪魔の集会
ゼンの言う災厄は魔獣討伐エピソードのことで間違いなさそうだった。
「じきにグブリア帝国とバンラード王国の国境付近でマナ循環のひずみが生じはじめます」
彼は確信を持った言い方をする。
原作から外れたら黒龍と戦わなくて済むかも、という楽観的観測は頭の隅へと追いやられ、それでも希望が完全消滅しないのはあたしが「善意と楽観でできている(ジゼル談)」からかもしれない。
「マナ循環のひずみが生じるということは、上級魔獣が局所的に発生するということですか?」とノード。
「上級魔獣が増えるだけでなく、それよりもっと危険な最上級の魔獣の卵が孵化します。バンラード王国は魔獣の襲来を利用してグブリアに侵攻し、戦争が起きる」
最上級の魔獣って、たぶん黒龍。
「でも、戦争が起こるのはまだ先です。小説の始まりは皇太子が十七才、皇女が十四才のときですから」
「ナリッサ様は先日十四才になられたばかりですので、今がちょうど小説の冒頭あたりということですね」
「はい。災厄は物語のクライマックスなので数年の猶予があると思います」
たしかにゼンの言う通りクライマックスはユーリックが二十歳を過ぎてからのはずなんだけど……。
あたしが知ってる話だと十三才でジゼルを召喚して物語がスタート、最初のヤマ場が麻薬事件だった。そのあと十四才の誕生日を迎えてデビュタントの舞踏会。構想段階ではジゼルの召喚シーンを描く予定はなかったってことだろうか?
「ふむ」
ノードはあたしの手とゼンの手を握ったまま思考の旅に出た。
あたしの姿が見えなければ魔塔主と道化師が手をつないで向かい合ってる奇妙な光景。重なり合って置かれたあたしとゼンの手を、ノードはどんなふうに感じているんだろう。
むくっと悪戯心が芽生え、あたしは指先でコショコショとノードの手のひらをさすった。ピクッと彼の手が反応する。
「サラさん」
冷たい視線をあたしは笑顔で受け止める。ゼンは何も気づいていないらしく、あたしとノードを不思議そうに見比べていた。そのときタラッと彼の鼻から赤いものが垂れた。
「あぁぁ……やっぱり出た。限界来たっぽい」
ゼンは手を引っ込め、ポケットから出したハンカチで鼻血を拭った。
「そろそろ出る頃だと思った」とコトラ。どうやらよくあることのようだ。
「マナの量は少なめにしてたんだが、魔術の発動と違ってマナを流してる時間が長かったからな。魔塔主殿、椅子を借りてもかまいませんか。なにぶん魔力耐性の低い男なので休息が必要です」
コトラはノードの返事を待たずゼンのズボンを咥えてグイッと引っ張る。
「ゼン、無理せず座ってください。治癒してあげられず申し訳ありません」
「いえ、慣れっこなのですぐ回復します」
ゼンは机のそばに置かれた座り心地の悪そうな木の椅子にドサッと腰を下ろした。顔色は悪くないし心配はいらなそうだけど、
「ノードでも治癒できないんですか?」
魔術師は治癒師より優れてるはずだし、ノードは麻薬中毒でガリガリに痩せ細ったリアーナも治癒したくらいだ。
「ゼンにはマナ経路がありません。血管を利用して無理やり全身にマナを巡らせた結果、鼻血を出したんです。今わたしが魔力で治癒しようとしても悪化するだけですよ」
なるほど。
「じゃあ、ゼンさんは皇宮医に診てもらったほうがいいですね」
「たしかに」
ノードがクッと笑う。
「魔術も魔力も使わない皇宮医の治療ならゼンにピッタリです。マナ経路がないなんてずいぶん特殊な体質だと思っていましたが、異世界人だったとは」
「魔塔主様はいつからおれを異世界人だと疑ってたんですか? サラちゃんが来てから?」
ハンカチで顔を抑えたまま、ゼンは鼻づまり声でノードに聞いた。
「ごく最近ですよ。サラさんとゼンを結び付けて考えたきっかけはこれです」
ノードは手のひらに亜空間ゲートを開き、ライフル銃の写真を取り出してゼンに渡した。欲しい物をすぐ取り出せるなんてさすが魔塔主様は猫型ロボットと違う、と今さらながら感心する。
のんきにそんなことを考えてるあたしとは裏腹に、写真を持つゼンの指が震えていた。
「……銃ですね」
声が緊張している。ノードはそれに気づかないフリをして話を進める。
「そう、これは〝銃〟です。魔法具製造許可申請時にこれをジュウと名付けたのはゼンでしたよね?」
「はい、おれです」
「綴りは違いますが、わたしは魔獣の〝獣〟からこの魔法具の名前を付けたのだと思っていました。ですが、これを見たサラさんが迷いなく〝ジュウ〟と口にしたんです」
そうだっけ?
よく覚えてないけど、銃は銃としか言いようがないからきっとそうなんだろう。
「それでゼンもサラさんのいた世界から来たのでは、と仮定した瞬間にこれまでの違和感が解消しました」
「違和感はずっとあったってことですか」
「違和感だらけでしょう?」と、ノードはゼンではなくコトラに微笑みかけた。
「ゼンだけでなくコトラ殿も十分怪しいです。そもそも魔力のない異世界人がどうしてコトラ殿のような上級魔獣を連れて歩くことができるのか、コトラ殿の契約者は何を企んでいるのか」
「企んでなんかいません!」
ゼンはノードを睨みつけ、立ち上がろうと腰を浮かせたところをコトラが強引に膝に乗って座らせる。
「ゼン、興奮すると血が止まらない。それに、魔塔主殿相手ではわたしの主も勝てない。彼女を危険に晒したいのならわたしは躊躇いなくおまえを見捨てるぞ」
「……わかったよ」
不承不承にうなずき、ゼンはまだ興奮の収まらない表情で魔塔主を見上げた。
「おれが魔塔主様に近づいたのは、この世界でお世話になったリンドバーグ家を守るためです」
リンドバーグ、と復唱したノードはその名前に心当たりがあるようだった。
「災厄が起こればおれの国にも被害が及ぶかもしれません。だから、魔塔主様に世界の変異をなるべく早く把握してもらい、被害を最小限に食い止めるのが目的でした。この世界に災厄が来るからどうにかしてくれって、いきなり言っても信じてもらえないでしょう?」
「怪しいことこの上ないな」と、ジゼル。
「悪魔の情報網でもお前のいたという島国の話は聞いたことがない。その虎は集会でも会ったことがないしな」
集会?
ジゼルってばいつそんな会に参加してるの?
あたしの視線に気づいたジゼルが思わせぶりにニヤと笑う。「ゲートと同じですよ」と教えてくれたのは魔塔主様だった。
「召喚獣たちは亜空間に集まって情報交換しているようです。わたしのゲートと同じで亜空間にいる間は外の時間が止まったままですから、きっと魔塔の林に行ったときにでも参加してるんでしょう?」
あたしをからかう機会を奪われ、ジゼルはつまらなそうに「まあな」と口を尖らせた。
「じゃあ、ジゼルもゲートが使えるの?」
ジゼルがゲートを使えたらすごく便利だけど、返ってきたのは予想通りの答えだ。
「亜空間には行けても魔塔主みたいに場所移動はできない。他人を亜空間に連れてくのも無理だ」
そりゃそうだよね。できたらやってるはずだもん。
「ぼくみたいに低級の魔力で生まれた召喚獣は亜空間が命綱なんだ。万一のときは逃げ込めるし、そこで情報を集めてなんとかしてきた。主が大量の血を恵んでくれたおかげで魔獣を狩れるようになったが、低級のままだったら魔塔の林も危なくて近寄れない」
じゃあ、小説の中のジゼルは低級のままだったのだろうか。あたしの疑問を置き去りにジゼルは喋り続ける。
「低級のときは魔獣相手に戦ったりできなかった。契約者に命じられるまま人間相手に悪さして、契約者が死んだらまた召喚待機世界に戻る。貧乏人と同じだ。貧乏人があくせく働いても奇跡が起こらない限り貧乏人のまま。亜空間に頼らずとも生きていける生まれながらの上級魔獣に、低級の苦労は一生理解できんだろうな」
僻みっぽい視線をコトラに向ける小さな白猫。あたしは無性になでなでしたくなってジゼルを胸に抱き上げた。ゼンには白猫が宙に浮いて見えたはずだ。
「ジゼル」と、ゼンはどこか申し訳なさそうに眉を垂らした。
「ジゼル、コトラは何度か悪魔の集会をのぞきに行ってる。コトラを見たことがないのは姿を変えてたからだ」
「召喚獣同士で正体を隠すとは嫌らしいな」
「コトラのせいじゃない。亜空間では国と家門の名前や内情は一切口にしないよう、召喚魔法陣にあらかじめ禁呪が組み込まれてるんだ。そうしないと王国では召喚許可が下りない」
「グブリア帝国を警戒してのことですね」とノード。ゼンが「はい」とうなずいた。
「アルヘンソ領を奪われた上に本島まで帝国に乗っ取られるわけにいきませんから。まあでも、グブリアが攻めてきたところで魔術王国のウチに海を越えて上陸することはできないと思います。グブリア皇家もそれが分かってるから帝国地図に載せない。アルヘンソ辺境伯領で島影が見える場所は皇室直轄領になっているはずです」
よくご存じですね、とノードが皮肉めいた笑みを浮かべる。ゼンは顔を引きつらせ、喋り過ぎたのを後悔したようだった。どうやらバルヒェット辺境伯領とバンラード王国だけでなく、アルヘンソ辺境伯領とゼンの召喚された島国にも二百年前の侵略戦争の因縁が尾を引いていそうだ。
「それにしても、亜空間での発言を禁じていようが現実世界で召喚獣同士が接しては禁呪の意味がないのでは? ゼンに至ってはお国のことをペラペラ喋っているではありませんか」
「それは、相手が魔塔主様だからです」
「召喚獣を連れて国を出ることを、よく王室が許可しましたね」
ゼンは苦笑を浮かべ、コトラと視線を交わした。
「リンドバーグ侯爵家には王国最強の大魔術師がいて、それがコトラの契約者なんです」
「ゼンの婚約者でもあります」
コトラがすかさず情報を追加し、ノードが「はっ?」と珍しく声を出して驚いた。
ゼンがさっきから〝おれの国〟とか〝ウチ〟と言うのを、異世界で長く暮らせば愛着も湧くのだろうと思いながら聞いていたけれど、婚約者がいるのならそれも納得だ。
魔力ゼロの道化師の婚約者が大魔術師なんて、どこかにありそうな異世界ネタ。もしかしてあたしが死んだ後に小説の外伝でも出版されてたりして。
「ゼン、あなたは婚約者をほったらかしてサーカス船で働いていたのですか?」
「年に一度は帰ってます。サーカス船が寄港しますから」
ハァ、と呆れ顔のノードがちょっと意外だった。この様子だと、ミラニアが生きてた頃はイチャイチャラブラブしてたんだろうな。
「婚約者の方はよほどコトラ殿を信頼しているのでしょうね。召喚獣を連れた異世界人なんて、グブリア帝国ではお尋ね者にしかなりませんよ。捕まったら火あぶりです。それなのにグブリア皇室公認のサーカス船に乗り込むとは」
言葉だけだと心配しているようにも聞こえるけれど、ノードの表情はさほど心配しているように見えない。むしろ面白がっている。
「魔塔主様に会う最短ルートがサーカス船だったんです。それに、グブリア皇室公認というより、むしろ皇室放任。あの船は魔塔に任せっきりのはずでしょう?」
「ゼンはそれを構想ノートで知っていたということですね」
「はい。魔術あるところから距離を置くのが現グブリア皇帝ですから」
チート感漂い始める構想ノート。
「リンカ・サーカスについても詳細が構想ノートに書かれていましたから、魔塔主様がこの船に出入りしていることも、団長があなたに協力していることも、団員の半数が獣人であることも知っていました。乗船の機会を得たのはまったくの偶然。おれの悪運の強さです」
ノードはあたしを振り返り、コトラとジゼルもつられるようにこっちに目を向けたけど、ゼンの視線だけが定まらなかった。
「サラさんもゼンの喋った内容を知っていましたか?」
あたしは首を横に振る。
ゼンの話を聞く限り、構想ノートにはラブコメ小説には必要ない詳細な設定が書かれていたらしい。しかも、グブリア帝国と因縁がありながらも一切小説に登場しない島国のことまで。ボツネタなのかもしれないけど、ボツだとしてもその設定はこの世界に反映されている。
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