崖の上の洞穴と奇妙な船

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崖の上の洞穴と奇妙な船

子供の頃、土曜の朝九時半は妹のエリとふたりでマジカル戦士ラブルーンのオープニング曲に合わせて踊っていた。ピンクのヒラヒラ服を着て魔法で悪の組織と戦うラブルーンは、普段は制服を着て学校に通う中学生。 なぜ急にそんなことを思い出したかというと、目の前の光景がラブルーンの敵、ダークビースト団のアジトにそっくりだったから。 ダークビースト団は人間に捨てられた元ペットたちから成る闇の組織。中学校の裏山にある洞穴に潜み、人間への復讐の機会を虎視眈々とうかがっている。鬱蒼とした木々に囲まれ、蔦に覆われた洞穴はうっかりすると見過ごしてしまうけれど暗闇にはダークビーストの目が光っている。 野良猫に腐った牛乳を飲ませようとしたラブルーンのクラスメイトがダークビースト団に捕らえられた放送回で、ラブルーンはダークビースト団員に変装して洞穴に潜入した。その格好はというと、黒毛の猫耳と尻尾、肉球付きのもふもふ手袋。 そう! エリのコスプレ衣装にはラブルーンの黒ニャンコスタイルがあったんだった! 「……サラ、さん?」 足元の石を拾い上げたノードは、体を起こす途中で固まっていた。向けられた怪訝な瞳にあたしは何が起こったのかもうお気づきですよ。 「ニャン」 もふもふ手袋を顔の両脇にかざしてみた。ノードは「はぁ」とこれみよがしに肩を落とす。つい二十分ほど前には熱い(?)キッスを交わしたばかりなのに。 (※【デビュタントと悪女の出生の秘密編】最終話のことニャン) 「不可抗力です。着替えるつもりなかったのに」 「魔獣と間違えて狩られないようにして下さい」 「わかりましたニャン」 呆れ顔の魔塔主。ダークビースト団は悪役だけど可愛くて、視聴者ウケはかなり良かったのにノードウケはよろしくないらしい。 スカートは相変わらず膝上丈だけど、ラブルーンのイメージカラーであるピンクを排除した大人っぽい仕上がり。コスプレ衣装を自作していた妹の器用さに改めて尊敬の念を抱きつつも、不便なのでもふもふ手袋は外して放り投げた。質量もないのに律儀に放物線を描いた手袋は地面に着く前にフッと消える。よくわからないけどそういうシステム。 「ノード、その石は?」 彼が手にしている石には魔術が付与されているようだった。 「目印です。わたしも適当にゲートを開いているわけじゃないんですよ。特に魔塔からの距離が遠くなると目印は必須です。価値のあるマナ石だと誰かに持ち去られてしまうかもしれないので、こういう普通の石に魔術を込めて」 「ノードが自分で置いたんですか?」 「わたしが置いたものもありますが、これは調査協力者が」 「協力者?」 「はい」 どこからか波音が聞こえていた。潮の匂いはしないから海が近くにあるわけではなさそうだ。 神経を集中させると帝都よりもマナが濃い。帝都のマナが真水ならこのあたりのマナは潮の匂いを漂わせる海水。マナ量ではなくマナの質が違う。 「ノード、近くに魔力の気配がありますよね。魔術の気配も」 「調査協力者の船に付与されたものですから心配いりません」 「船?」 ぐるっと辺りを見回しても河も海もなく、あたしが首をかしげるとノードがからかうような笑みを浮かべる。いじられたいあたしはそれだけでも満足。 「主」 洞穴の前でジゼルが振り返って羽を広げた。 「血の匂いがする」 ノードが石を手にしたまま短い言葉を唱えると、蔦の合間に見えていた洞穴の闇が一瞬だけ青く光る。 「やはりあの中ですね。わたしたちも行きましょう、サラさん」 ジゼルは警戒する様子もなく先に蔦のカーテンをくぐって穴に入って行った。 サクサクとノードが草を踏み分ける音。あたしも歩いてるけど猫の足を模したもふもふブーツは雑草も小石も素通りする。 ノードが蔦を避けて洞穴をのぞきこみ、手のひらの上にポッと青い火を灯した。ジゼルは地面に鼻をくっつけてフンフンと土の匂いを嗅いでいる。 「魔塔主、もしかしてここは聖女降臨の儀式とやらが行われた場所か?」 穴は大きなかまくらのようなドーム状。壁面の目の高さくらいに四箇所、小さな穴が掘られている。ノードはその穴のひとつに顔を近づけた。 「おそらくそうでしょう。(ロウ)が残ってます。召喚術を行う際にマナ石ランプを使うことはできませんから」 「聖女降臨の儀式は召喚術なのか?」 「儀式は魔術ごっこですよ。召喚術をまねた動物虐待とでも言ったらいいでしょうか。ジゼル殿が感じる血の匂いは魔獣のものですね?」 「ああ。土に染み込んでるようだ」 「わたしに匂いは分かりません。人間にとっては蝋が残っているだけのただの洞穴です」 聖女降臨の儀式の後は抜かりなく痕跡を消す。オクレール男爵だけでなく領民も儀式を行っているらしいけど、後始末が徹底されているということはグブリア帝国法に抵触する行為だという認識は領民にもあるのかもしれない。 「あっ」 あたしは壁に掘られた穴のひとつに封筒を見つけて手を伸ばした。土と同化してしまいそうな茶色の封筒に触れる寸前、「ダメです」とノードに腕を掴まれる。 「それは調査報告書です。わたし以外の者が触れたら消えるよう魔術が施されています」 「消える?」 「正確に言うと消えるのではなく調査員の手元に戻ります」 「調査員って魔術師なんですか?」 封書を開けながらノードは「ふむ」と漏らす。どう答えるか考えているようだ。 「封筒に魔術付与したのは調査員とは別の協力者です。その協力者は魔力ゼロなので魔術師と言っていいのかどうか。グブリア帝国では治癒師にもなれません」 魔力がないのに魔術付与できる? ノードは楽しげに口角をあげた。 「いずれ紹介しますよ。サラさんもジゼル殿も、彼とは一度会っているのですが」 「魔力ゼロの魔術師さんに? いつ?」 「さて、いつでしょう」 ノードはいたずらっぽく微笑み、調査書に視線を落とすとスッと真顔になった。ジゼルは羽をパタつかせてホバリングし、ノードが広げた便箋をのぞきこむ。 「魔塔主、調査と言うのは皇太子と話していた獣人がどうのという件か?」 「その調査も頼んでありますが、この調査書は別件です」 「『オクレール領に自然生息する魔獣の魔力量に関する聞き取り調査』?」 ジゼルが調査書の一番上を読み上げ、ノードが「はい」とうなずく。 「魔獣皮革の加工職人たちからオクレール産の魔獣皮革の魔力含有量が上がっているようだと報告があり、魔獣たちの生息域に変化がないか調査を頼んでいました。どうやらオクレール領でも三本尾の目撃情報がちらほら出てきているようです」 「オクレール男爵が絡んでるのか?」 「いえ、魔獣生息域の移動が原因でしょう。大気中のマナも変化しているようですし」 「たしかに帝都とはマナの質が違うようだが、魔塔の林よりは薄い(・・)な」 ジゼルは空中のマナを味わうように何度か息を吸って吐いた。 「魔塔の林は魔獣生息域の環境を再現したものです。このあたりは帝都と魔獣生息域のちょうど中間くらいでしょうか」 「魔獣が増えると魔術の使えない人間は暮らしにくそうだ。襲われても対抗手段がない」 「魔獣は魔力を帯びたものを狩りますし、オクレール領で目撃されている三本尾は小型種ばかりです。人間から刺激しない限りそれほど心配はありません。ただ、植物はマナを蓄積しやすいですので農作物被害が拡大する恐れがあります。隣のバルヒェット辺境伯領は厳しいかもしれませんね。バンラード王国と接していますから」 グブリア帝国の隣国、バンラード王国。魔獣生息域があり、魔獣討伐のための攻撃魔法が発展していて、魔剣士による討伐隊も編成されている、血の気の多い魔術師たちが集まる国。 麻薬事件以降姿を消した魔術師のシドは元々バンラードにいたというし、先日ナリッサを襲った魔術師たちもバンラード王国から来たという話だった。 「魔獣の多いバンラードは魔術王国のようだな」とジゼル。 「バンラード王国からの密入国魔術師を厳しく取り締まらないのには、バルヒェット辺境伯側にも事情があるということです」 「そんな状態でよく二百年も国境を維持できたものだ」 「グブリア帝国国境は、魔術なしで人が暮らせる土地と暮らせない土地の境界線とも言えます。その境界が魔獣生息域の移動で変化している。帝国民を守るには国境線を変えるか、皇帝陛下の魔術嫌いを治すしかないのですが」 「治らんだろう」 ケケケッと他人事のように白猫が笑った。 「ユーリックが皇帝になったらいいのに」 あたしがポロッと本音をこぼすと、ノードが鋭い視線を向けてくる。いつもは完璧な悩殺スマイルで牽制するくせに。 「迂闊に口にしていい言葉ではありませんよ、サラさん」 グブリア帝国では皇帝が死なないと皇太子は皇帝になれない。だからユーリックが皇帝になろうとしたら父親を殺すしかないけど、ユーリックはそんなことしなさそうだ。しようとしたら全力で止める。 「だけど、魔術を規制したり銀色のオーラを受け継ぐ人に剣の修行をするなっていうのはおかしくないですか?」 「魔術が一般化するということは、魔力差による偏見や差別も生まれるんです。オーラについても、反逆の芽をあらかじめ摘むことで帝国は安定してるとも言えます」 「ノードはカインのやり方に賛成なんですか?」 彼が口を開く前に「皇室の下僕ですからっていうのはナシですよ」と先回りして言うと、魔塔主は苦笑まじりに息を吐く。 「最近はサラさんの尻拭いばかりしてますから、サラさんの下僕ですね」 話をそらすってことはノードの本音は言葉と裏腹。 魔塔主を遠ざける皇帝カイン、ことあるごとに魔塔を訪れる皇太子ユーリック。ユーリックとノードはいつも腹の探り合いみたいなやりとりしかしないけど、それなりに信頼関係が築かれているのは見ていれば分かる。 その信頼関係は小説『回帰した悪女はお兄様に恋をする』の二人にもあったはず。ただ、小説の語り手であるナリッサの視点からは見えなかったのかもしれない。魔塔の林にユーリックが出入りしていることも知らなかったんじゃないだろうか。 「ナリッサって、ユーリックが魔塔に頻繁に来てること知ってるんですか?」 話が飛んだせいかノードがパチと瞬きした。 「知らないと思います。正式な訪問は滅多にありませんし、それ以外はお忍びなので」 「お忍びには見えないです。魔塔の人は知ってますよね?」 「皇帝や貴族に知られなければいいんです」 「ノードは皇帝派ですか、皇太子派ですか?」 話を蒸し返すとノードの美しい眉間にシワが寄る。 「そんな派閥争いは些末なことです。反魔術、反オーラ派なども同じこと」 「じゃあ、イブナリア派?」 ノードは真っすぐあたしを見た。彼の手から離れて中空に浮かぶ青い火が、紺碧の瞳の中で揺れている。怒らせたかもしれない。 「サラさん、その話は以前しましたよね。イブナリア王国を復興したいなどとは思っていません。暴力と戦争のない世界を望んでいるだけです」 でも暴力を振るうのは人間だけじゃない。魔獣生息域がグブリア帝国にもかかってきたら帝国民は魔獣の脅威に晒される。魔獣討伐エピソードで登場する黒龍はノードの力だけではどうにもならなかった。 ノードは会話を打ち切るように手のひらサイズの亜空間ゲートからペンと紙を取り出し、サラサラと何か書きつけると調査書が入っていた茶色い封筒に入れる。 「サラさん、これを」 ヒョイと手渡された封筒は、触れた瞬間パッと消えてなくなった。 「追加調査を頼んでおきました。いつもなら封筒を元の場所に戻して調査員が回収に来るのに任せるのですが、サラさんがいるとすぐに送り返せて便利ですね」 あたしを送信ボタン代わりに使い、ニッコリ微笑む魔塔主。ジゼルは何もない洞穴に飽きたらしく「出るぞ」と光の射す方へ歩いて行く。 「ジゼル殿は外にある魔力の正体が気になっているのでしょう。わたしたちも船を見に行きましょう」 洞穴から出てゲートで降り立った場所を通り過ぎ、数メートル行ったところに細い獣道が左右に伸びていた。右方向は緩やかな下り、左を向くと木々の間に空が見える。ノードの黒髪を巻き上げた風が笛のようにヒュウッと鳴いた。 「船だ!」 興奮した様子でジゼルがあたしたちを振り返る。追いついてみるとそこは切り立った崖の上で、眼下に町と港。視界に広がるこの大きな水溜りが海でないとするなら、これは―― 「湖ですか?」 「いえ、ニラライ河です。向こう岸がかすかに見えるでしょう? あれがバルヒェット辺境伯領。上流に行くとオワヒ運河と繋がっています。マリアンナの出身であるトッツィ領は運河沿いにあるので船で行こうと思えば行けますよ。馬車の何倍も早く」 「ゲートだと一瞬ですよね」 「サラさんはゲートがなくても数秒で行けるんでしょう?」 ジゼルは崖に迫り出した松の木に登り、枝先にとまった海鳥を狙っているようだった。 港には大型の帆船が二隻と中くらいの船が三隻、小さな漁船みたいなのは数えるのが面倒なくらい。魔力を漂わせているのは大型船のうちのひとつで、上から見ると奇妙さが際立っていた。 「変な船」 船体の中ほどには扇形に階段状の観客席があり、船首寄りに円形舞台。垂れ幕が吹き流しのように何本も風に靡いている。船体後部にある三階建ての家みたいな部分は操舵室だろうか。屋根にグブリア皇室の紋章である剣と月の描かれた旗が掲げられていた。 「あの船には獣人が乗っています」 「えっ?」 「さっき言った調査員というのは獣人です。獣人ギルドに所属しているので、ギルドの方にも例の件は伝わっていると思うのですが」 〝例の件〟―― 「獣人皮革のことですか?」 「やっぱりサラさんは知っていたのですね」 「獣人が狩られて魔獣みたいに皮を……」 口にしながら胃のあたりが気持ち悪くなった。だって、あたしが知ってる獣人はランド、スクルース、マリアンナ。彼らの皮が剥がれて売られるなんて考えたくもない。 「やっぱり獣人差別があるんですね。獣人も帝国民のはずなのに」 「サラさんのいた世界に獣人は?」 「いません」 いたとしたら、ここと同じように差別を受けるに違いない。 「サラさんのその格好は?」 格好? あっ、そういえば黒ニャンコスタイルだった。 「これは仮装です。お祭りの」 まあ、間違ってないはず。 「それはいいですね。この世界に獣の仮装をしたいという人はきっといません。人間は獣を見下している。獣と獣人がまったく別モノであるにも関わらず、獣だからと獣人を嫌悪する。虐げられるから獣人たちは獣人であることを隠し、そのせいで余計に理解が進みません。悪循環です」 「皇族のユーリックは獣人を大事にしてるのに」 「彼は獣人に命を救われてますから」 ん? 以前同じような会話をしたときは、ユーリックが獣人を重用するのは使い勝手がいいからと言ってたはず。 「その獣人ってランドですか?」 「そうです。本に書かれてましたか?」 「いえ。ユーリックのオーラの発現にランドが関わったって、ノードが前に言ってたから。もしランドと出会ってなかったらユーリックも獣人を嫌ったのかな」 ノードが首を振り、木漏れ日でピアスがキラッと光った。 「皇族が獣人差別をすることは魔塔主であるわたしとの契約に反します。皇家に生まれたからにはそういう教育がされていますし、ユーリック自ら獣人奴隷の売買を摘発したりもしています。ですがその程度では焼け石に水。皇命による獣人保護や優遇は平民優遇施策以上に反感を買いかねないので難しい問題です。ユーリックとしてもランド殿たちに正体を隠させているのは歯がゆいと思いますが」 「……やっぱり」 「やっぱり?」 ノードは小首をかしげる。 「前よりノードのユーリックに対する評価が優しくなってる気がします」 口の端をヒクつかせ、「そんなことは」とノードは視線をそらした。ゴホンと咳払いして口元を隠す仕草に萌えていたらボトッと何か落ちる音がし、松の木の根元に血を流した海鳥が一羽。 「ふつうの鳥に見えるが魔力もそこそこあるな」 ジゼルはいつも通りあたしを気遣って草陰で食事を始める。本当に気遣ってくれるなら見えないとこで勝手に食べてくれればいいけど、狩ったのを自慢したいのだろう。 「オクレール領南部のここは領内で最も魔獣生息地に近い場所です。それに、海鳥ならバルヒェット領から渡って来た可能性もあります」 食事中のジゼルはフウンと生返事。ノードは菩薩みたいな優しい眼差しで白猫の背を見つめていた。ナリッサにも時々そういう視線を向ける。 「ジゼル殿の食事が終わったらそろそろ帰りましょう」 「調査員のいるあの船には行かないんですか?」 乗ってみたいのに。 「おそらく調査に出ているはずです。わたしが訪ねても構わないときは座標指定転移の魔術付与巻物(マジックスクロール)が置かれているのですが、調査書しかありませんでしたから」 「マジック……スクロール?」 「ご存じですか?」 「知ってるというか」 異世界モノを嗜んでいたから知ってるのは知っている。でも、『回帰した悪女はお兄様に恋をする』の世界に移動用のスクロールは存在しなかったはずだ。ノード以外みんな馬か馬車か船。 ――そうだ、船が登場したのはたしか獣人虐殺エピソードだった。 「マジックスクロールは魔力ゼロの協力者の発明品です」 「えっ?」 怪しい。 その魔力ゼロの協力者、怪しすぎる。だいたい、魔力ゼロで魔術が使えるっていう特殊設定のくせに小説本編に登場してないなんておかしい。 「ノード、あたしその人に会ってみたいです」 「そんなに焦らなくても、いずれ紹介すると言ったでしょう。今日のところはこれくらいで」 ノードは含みのある笑みを浮かべてゲートを開き、有無を言わさずあたしをローブで包み込む。 「置いてく気か!」 いつもは真っ先にゲートに飛び込むジゼルがあたしたちの後を追って来て、先に亜空間から姿を消した。 ずっとこうしてノードにくっついていたいと思うのは、ノードだから(・・・)なのはもちろん、ノードだけ(・・)だからかもしれない。幽霊のあたしが触れられる人間は、今のところノードだけ。
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