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船底の密談〜チーター獣人は帝国屈指のサーカス団団長〜
「獣の仮装はダメです」
ノードはにべもなく言って、あたしのお尻に生えた尻尾をグイッと引っこ抜いた。
「サラさん、あの船には獣人が乗っていると言ったでしょう? 魔力が弱くても幽体が見える獣人はいるんですから気を抜かないで下さい」
「はーい」
二度目のオクレール領。前回と同じように洞穴近くにゲートが開き、あたしはつい調子に乗って黒ニャンコになってしまった。だって、猫耳カチューシャと手袋と尻尾を取ればこのコスプレが一番大人っぽい。
「ユニ○ロワンピ、ラブルーン変身時バージョン、ラブルーン制服アレンジバージョン、どれがいいですか?」
何気なく聞いたにも関わらず、ノードは「ふむ」と真面目に考える。尻尾はすでに地面に放られてなくなり、あたしの胸にムクッと悪戯心が湧いて猫耳カチューシャをノードの頭につけた。
にゃーーーー♡
猫耳魔塔主の破壊力!
じっくり鑑賞しようとカチューシャから手を離した瞬間、猫耳はスーッと消えてしまう。
「ああぁぁぁ……」
ガックリ膝をつくと、呆れ気味のため息が頭の上から降ってきた。
「サラさん、紺の襞スカートにしましょう。河港付近は商人や観光客が行き来していますし、ピンクの子どもっぽい服より異国の民族衣装のような襞スカートが無難です。ちなみにあの平民服はほぼ下着なので外で着るのはやめて下さい」
「はぁいニャン」
平民街に行くときは着るけどね――と考えているのはバレバレらしく、ノードの眼差しはまったくあたしを信用していない。
「とにかく行きましょう」
あたしが着替え終わったのを確認すると、ノードは河岸に面した崖でも街へと続く下り坂でもなく、聖女降臨の儀式が行われていたと思われる洞穴へ向かう。重なりあう梢の隙間からのぞく空は茜色に染まりかかっていた。
「日が暮れたらサーカス公演が始まってしまうので急ぎましょう。それまでに話を済ませておかないと」
これから行くのはノードの調査協力者が乗っているというあの奇妙な船。帝国最高峰のサーカス団〈リンカ・サーカス〉が所有するサーカス船ということだった。
皇室から特別な許可を受け、帝国内持ち込み禁止の魔獣もサーカス船内は例外。特殊な結界や魔法具で溢れ、サーカス団員のおよそ半数が獣人。ただ、皇室が団員の素性を把握しているわけではないようだ。
サーカス船のことをノードから聞いたとき、あたしはこの船が獣人虐殺エピソードに登場したことをハッキリ思い出した。でも、小説に描かれていたのは今から二年後のサーカス船。あたしの知ってる裏切り者が今この船にいるのかどうかは分からない。
「魔塔主、また封筒が置いてあるぞ」
ジゼルが羽をパタつかせながら顔を近づけているのは、前回封筒が置かれていたのと同じ壁穴だった。
「触ったら消えるか?」
「消えますよ」
ノードが横から手を伸ばし、封筒を開けて中身を取り出す。コロン、と筒状に丸められ紐で縛られた紙が出てきた。
「座標指定転移の魔術付与巻物です」
紐をほどいて紙を広げた途端、ノードはクッと笑い声を漏らす。のぞき込んだらサーカス公演のチラシだった。
『VIPシート残数2! 魔塔主へのおススメ→ロイヤルシートいつでも可!』
席料一覧の横に手書きの文字。
「まったく、チラシに転移魔術を付与するとは……」
呆れつつも面白がってるノード。魔術付与したのは調査員ではなく例の魔力ゼロの魔術師さんのはずだけど、
「ノード。今日は魔力ゼロの魔術師さんに会えますか?」
「そうですね。彼らとも話したいことがあるので時間が合えば」
「彼ら? 一人じゃないんですか」
「ええ、まあ。それは会ったときのお楽しみです」
企むような笑顔のノードはちょっとだけ子どもっぽくてちょっとだけ色っぽい。つい見惚れていたら、「置いていきますよ」と腕を引き寄せられた。
「紙を破ると魔術が発動します。ふたりともわたしにつかまって下さい」
あたしはノードの左腕に手を絡め、ジゼルは肩に乗ってローブに爪をたてる。
「他人の転移魔術は酔うので好きじゃないんですが」
文句を言いながら、ノードはA4サイズのチラシを真っ二つに引き裂いた。その瞬間グラッとめまいがし、あっという間に室内らしき場所にたどり着く。ノードの亜空間ゲートみたいな青と黒のぐるぐるした光はなかった。
「来たか、ノード」
気安く魔塔主を呼ぶ男の声が背後から聞えてきた。
振り返った先にいたのは長髪を後ろでひとつに束ねた五十絡みの男性。貴族のような格好をしてるけど着崩し方がお上品ではなく、貴族崩れというか、どこか海賊っぽい。
天井は手がつきそうなほど低かった。部屋の広さは十畳くらいで窓はなく、作り付けの机とベッドと木箱がいくつか。木箱の中には無造作に書類が突っ込まれ、机とベッドの上に本や便箋が散乱している。ドア脇にぶら下げられたマナ石ランプは裸電球のようなあたたかなオレンジの光を放っていた。
「エド、久しぶりですね」
魔塔主は相変わらず丁寧な言葉遣いだけど、ノードの正体を知らない人が見たらこれでも不遜な態度に見えるだろう。見た目の年齢差は「エドさん、お久しぶりです」ペコリ、くらい。
「今朝スクロールを置いたばかりだったんだ。例の獣人皮革の情報がなかなか集まらなくてな」
「サーカス公演の方も忙しいのに、すいません」
「おれがいなくても公演はできる。船底でふんぞり返ってるのがおれの仕事だ」
ガハハッと笑いながら、エドと呼ばれた男性はノードの肩に乗る白猫に視線を向ける。ジゼルも対抗するように男性の頭のてっぺんから足先までジロジロ観察した。たぶん彼の魔力を探っているのだろう。
「ジゼル殿、彼を紹介しておきましょう。リンカ・サーカス団の団長でわたしの調査を手伝ってくれているエドジョーです。チーターの獣人なんですよ」
なるほど、メッシュを入れたような髪色はチーターの毛色から来てるらしい。ジゼルはフウンと鼻を鳴らした。
あたしが気になったのは彼の名前。エドジョーなんてインパクトある名前を忘れるはずないから、小説には登場してないか名前のないモブ。でも、チーター獣人ということは小説で獣人虐殺に巻き込まれた可能性がある。
「エド、この子猫が何者か分かりますか?」
ノードが楽しげに問いかけ、エドジョーは歩み寄ってジゼルの鼻先に太い指を近づけた。
「おいおいおいおい。この猫、なんかヤバい紋章ぶら下げてるじゃないか。紫蘭の花っていったら皇太子が使うやつだろう? お前、皇太子の魔獣を連れてるのか?」
「言っておくがぼくは皇太子の猫じゃないぞ」
男が絶句し、ジゼルの声が聞こえたのだと分かった。怯むかと思いきや、彼は両手でジゼルを抱き上げて舐めまわすように観察する。
「おおっ! 羽がある。あとは特に変わったところはないな。召喚獣ってことはこれ以上デカくなるわけじゃないのか」
グブリア帝国では悪魔とされている召喚獣を前に平然としているエドジョー。あたしとジゼルは顔を見合わせて首をかしげた。
「エドにはジゼル殿の声が聞けるのではと思っていましたが、予想通りですね。同じネコ科だからでしょうか」
「比較対象がネコ科しかいないからわからんが、ジゼル殿、どうかお見知りおきを」
礼儀正しくお辞儀し、頭をあげたエドジョーはふと何か思い出したようにベッド脇に投げ置かれた袋を手に取った。
「お近づきのしるしに」
干し肉を一切れ取り出し、ジゼルの目の前でプラプラさせる。
「ニャッ!」
猫まっしぐら。
干し肉を夢中でかじるジゼルを微笑ましげに眺めつつ、ノードは「ところで」と切り出した。二人は椅子を引き寄せて話し込む態勢に入る。
「獣人皮革はオクレール領に出回ってるようですか?」
机に頬杖をついて話すノードは、他の人といるときよりずいぶん寛いでいるように見えた。エドも魔塔主相手とは思えないほど砕けた態度だ。たぶん、二人は長~いおつきあいなのだろう。
もしかしたら、ノードはエドジョーの子ども時代を知ってるのかもしれない。そしていつか彼の訃報を聞くことになるのかもしれない。ノードの生きた二百三十年の間にそんな出会いと別れが何度かあったのだろうと考えるとちょっと切なくなる。
エドさん、長生きしてね。
二人のちょうど真ん中で空気椅子に座ってエドジョーをじっと見つめていたら、ノードにグイッと袖を引かれた。よくわからないけど、隣に来いってことらしい。
「なんだかちょっと涼しい気がするが、ノードの魔術じゃないよな」
首をひねるエドジョー。はい、犯人はあたし。
「少し蒸し暑いようでしたから」
ノードはいかにも自分がやったという顔で言い、片手を振って冷風をエドに送る。
「こりゃあ快適だ」とエドはご満悦。
「それで話の続きだが、オクレール領に来てる買付人たちから、疑わしいものを目にしたという話を聞いた」
「疑わしいものとは?」
「魔獣皮革にしては魔力含有量が少ないが、普通の獣のモノにしては多い。商売人なら見向きもしないような、素人が仕留めたんじゃないかっていう傷モノも混じってるらしい。小型魔獣の毛皮は尻尾を残しておくのが普通だが、それもなかったとか」
「魔獣皮革として扱われるのは二本テール以上ですからね。獣人の尻尾は当然一本しかない。魔獣皮革として売るなら尻尾を落とすしかなかったということでしょうか。それなら魔獣皮革としてではなく普通の皮革として売ればよいものを」
「買取額が雲泥の差だからなあ。あわよくばということだろう。ちゃんとした魔獣皮革の中に紛れ込ませてそういうモノが売られてる」
チッとエドは舌打ちする。ノードは顎に手をあて「ふむ」と漏らした。
「獣人皮革の蒐集家は昔からいました。闇市で獣人奴隷を買って自らの手で殺し、記念と称して皮を剥ぐような野蛮な輩です。今回の状況がこれまでと異なっているのは商品として出回っていること。そもそも獣化した獣人を狩るのは難しいのですが」
獣化した獣人を狩るってことは、獣の姿で死んだら獣のまま、人の姿で死んだら人のままということだろうか。正体をひた隠しにしてる獣人を、無理やり獣化して殺してる?
「エドは魔術師が絡んでると思いますか?」
「魔獣ハンターなら獣人を狩る能力はあるだろうが、どうやって獣化させたのか疑問が残る。それに、魔獣ハンターのほとんどは獣人だ。ハンターが獣人を狩ってるなら同族殺し。なら魔術師がやったのかと言えば、傷モノが混じってることを考えれば仕留めたのは魔術師じゃない。魔術師は補助、殺して剥ぎたい異常な金持ち貴族のオモチャにされたってのが一番ありえそうな筋書きかな」
「その筋書きではこれまでの蒐集家と変わりません。わたしや皇太子の耳に入るほどモノが出回っているというのが異常なんです。嗜虐趣味の個人の仕業とは思えない」
「だが、組織的にやってるにしては目的が不明瞭だ。儲かるわけでもないし、趣味なら変態同士の内輪取引で十分だろうに」
獣人虐殺エピソードの始まりは獣人皮革の闇取引だったはずなのに、二人が今話してる状況は闇というより正規ルートで獣人皮革を売ろうとしている。
小説では二年後に表面化する獣人狩りが現時点でどこまで進行しているかわからないけど、すでに小説とズレてるんじゃないだろうか。
――でも、なぜ?
あたしは辺境地のことに関与してないはずなのに。
「エド、ギルドの方で被害者の把握は難しそうですか?」
「ギルドって、獣人ギルド?」
あたしが問うと、ノードはわずかにうなずく。
「おれも気になって問い合わせてみたが、失踪者や行方不明者は昔から一定数いる。いなくなった者がどうなったかまでは把握できないそうだ。下手に追跡しようとすると藪蛇になりかねない。それに、ギルド所属の獣人は帝国に住む獣人の一割とも言われてる。ギルドの存在すら知らない者の方が断然多いんだ」
「最近バンラード王国から獣人の流入が増えていると調査書にありましたが、そういった獣人は当然ギルドの存在など知らないでしょうね」
「ギルドに入るには信用が大事だ。バンラードからの獣人は喧嘩っ早いという噂もあるし、おそらくまだ誰も勧誘していないだろう」
「被害にあってるのは不法入国した獣人という可能性もありそうですね。獣人皮革にオクレール男爵が関与している可能性は?」
いかにもモブな顔つきのオクレール男爵が頭に浮かんだ。監査隊は帝都を立ったと聞いたから、男爵は今頃馬車に揺られてるはず。
「まだ何とも言えんな」
「エドの直感は?」
「オクレール男爵ではない気がする。魔獣のことは熱心に領内を聞いて回っているようだが、獣人のことは気にも止めていないらしいからな」
オクレール男爵が絡んでいないというのはあたしも同意見だった。
獣人虐殺エピソードの舞台となったのは、バンラード王国と国境を接するバルヒェット辺境伯領。船が停泊するニラライ河の対岸の地だ。
モブのわりにキャラの濃い男爵にしろ、イアンの護衛騎士をしてる息子にしろ、領地そのものにしろ、小説の中で〝オクレール〟という文字を目にした記憶があたしにはない。だから、たぶん獣人皮革にオクレールは関係ない気がする。
エドとノードの会話を聞いて、バルヒェット辺境伯領で獣人と人間の対立があったことを思い出していた。原因はバンラード王国から流入した獣人たちだ。
喧嘩っ早いとエドが評したのと同様、小説でも魔獣生息域のあるバンラード王国に暮らしていた獣人は気性が荒いと書かれていた。ライオンとかヒョウのような大型の獣人が多く、バルヒェット領では彼らによる傷害事件が頻発する。そして領民の獣人に対する不満が爆発しかけていたところにサーカス団員が獣人だという噂が広まり、サーカス船襲撃事件が発生することになったのだ。
事件の黒幕は辺境伯家出身の皇妃。
名前は……なんだっけ?
まあいいや。
そのなんちゃら皇妃は獣人犯罪撲滅のため夫であるカイン皇帝に魔術師の派遣を求めたけれどあっさり断られ、自ら雇った魔術師にサーカス船の魔獣を使役させて団員を襲わせる。たぶん、サーカス船が皇室公認だったことが皇妃の怒りに油を注いだのだろう。エンタメに魔術使うのは許して、治安維持にはダメってどゆこと? ――的な。
その事件のとき船内に魔術師を手引きしたのがサーカス団員の獣人。
「ノード」
あたしは濃紺のローブの裾を引っ張った。
「サーカス船にウサギの獣人がいるかどうかエドさんに聞いて下さい」
うなずく代わりにノードは瞬きで応える。長いまつ毛がパサリ。触りたい。
「エド、もし答えられなければ答えなくてもいいのですが、サーカス団員にウサギ獣人はいますか?」
エドジョーはなぜか鳩が豆鉄砲を食らったような顔。
「ノードが団員の素性を聞くなんて珍しい。もしかしてウサギ獣人が狙われているのか?」
「ええ。わたしが確認した獣人のものと思われる皮革はすべてウサギのものでした」
ノードは相変わらず平然と嘘を吐く。
「なるほどな。だが、ギルドとの契約上、団員の素性を明かすわけにはいかん。ギルドの存在を魔塔主に教えただけでもヒヤヒヤもんなんだ。会長に知れたら絶縁どころかそれこそ身ぐるみ剥がされかねない」
「それは困りますね」と、ノードはまったく困っていない顔で笑う。
「まあ、団員にウサギ獣人がいるのはいる。誰とは言わんがな」
二人とも似たような思案顔をしているのはウサギ獣人の身を案じているのだろう。でも、その獣人は被害者ではなく加害者。
「ノード、エドさんにウサギ獣人の女の子には気を付けてって伝えてください。まだ何もしてないと思うけど、もしかしたら何かするかもしれないから」
への字口のノードはきっと心の中で「ふむ」と漏らしてる。〝何か〟の意味を考えてるはず。
「エド、ウサギ獣人の少女がいるのなら気を配ってあげてください。嗜虐趣味の愉快犯がターゲットとするのはだいたい少女です」
若干こじつけ感のある理由のせいか、「わかった」とエドジョーがうなずくまでに一瞬の間があった。
「それよりもうじき開演だ。ローブで抑制されているとはいえ、その魔力でウロウロされたら魔獣たちの気が削がれて事故になりかねん。前に会ったときより魔力が増えてる気がするが」
ノードの魔力は別格と言われてるのに、まだ魔力が増えてるらしい。
「エドの魔力でわたしの魔力量が測れるとは思えません」
「確かに、獣人にとって魔塔主の魔力は腹を向けて服従するか、猛ダッシュで逃げるかの二択だ。ノードの魔力を測るんならコトラに頼むべきか」
「たしかにコトラ殿なら」
「コトラ?」と首をかしげるあたしにノードはチラッと視線を向けた。
「エド。もうひとつ確認したいことがあったんです。これに見覚えがありますよね?」
ノードは手のひらに小さなゲートを開いた。
取り出したのは葉書サイズの念写写真。フルカラーではなくセピアだけど、そこに写っているのがナリッサの襲撃に使われたライフル銃だということは一目でわかった。
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