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獣人虐殺エピソードと二人の皇妃
「それではわたしたちも向かいましょう」
ノードが鍵穴に手をかざすと金属部分がボーッと青白く光り、彼の唇が紡ぐ光の文字は吸い込まれるようにその穴に入っていった。
異世界に来てから不便なく文字は読めている。唯一自動翻訳されないのが魔術に使われる文字で、詠唱に耳を澄ませても何を言っているかわからない。
一体どんな呪文を唱えてるのか、マジカル戦士ラブルーンみたいに『らぶらぶるんるんまじかるぱわー』とか言ってたら興ざめだから翻訳不能で良かったのかもしれない。
カチと音がし、ノードは取手を引いて扉を開けた。そこにあったのは螺旋階段と上に向かって伸びる作り付けの長梯子。
「上の階にある皇室用の寝室に繋がっています」
「寝室?」
「はい。観覧席の隣に部屋が用意されているんです。これは緊急脱出用の階段で、そっちの小さな扉の向こうに脱出用の小舟が格納されています」
ヒョイと螺旋階段の向こう側をのぞき見ると、あたしの肩くらいの高さの木戸があった。すり抜けて舟を見ようとしたらゴツンと額がぶつかる。
「やると思った」
ケケッとジゼルが笑う。
「やると思いましたね」
ノードもフッと声を漏らす。
「魔力付与されてるなら教えてくれたらいいのに」
「人間は失敗から学ぶものですから」
「あたしは幽霊です」
「幽霊は人間ではないんですか?」
禅問答みたいな質問を投げておきながら、ノードはあたしの返事を待たずに階段を上りはじめた。
彼のペースにあわせてあたしはゆっくり高度をあげる。ジゼルは梯子を駆け上ったり、螺旋階段に飛び移ったり、パタパタ飛んで宙返りしたり。まるでサーカスみたいだ。
「サラさん、サーカス船の大部分が魔力付与で強化されていますから、壁抜けはできないと思ったほうがいいですよ。この階段も」
手すりを触ってみるとたしかに木の感触があった。
「どうぞ」
手を差し出され、あたしはノードと螺旋階段を歩いて上がることにする。
「人間になった気分です」
そう口にすると、ノードは呆れとも笑いともつかない吐息を漏らした。
「ところでサラさん、ウサギ獣人が〝何か〟するかもしれないというのは?」
ジゼルも気になっていたらしく、手すりに着地するとあたしの隣をついて歩く。
「主、そのウサギ獣人は獣人皮革の被害者ではないのか?」
「おや、ジゼル殿も知らない情報なのですね」
「ぼくは本を読んだわけじゃないからな」
「なるほど」
二人の視線があたしをせっつく。そんな見つめなくてもちゃんと話すのに。
「さっきのエドさんとノードの会話で思い出したんですけど」
「エドには〝さん〟を付けるんですね」
今、そこ?
「呼び捨てにしちゃうのは本の中にそう書かれていたからであって、エドさんは本には登場しなかったから」
いつもより納得感のある「なるほど」が返ってきた。よっぽど呼び捨てが気になるらしい。
「エドは登場しなかったけど、サーカス団員のウサギ獣人は登場していたということですよね?」
「はい。サーカス船が登場したのは小説の後半にある獣人虐殺エピソードです」
「虐殺……」
ノードの声がわずかに強ばったようだった。
「そのエピソードの始まりは獣人皮革の闇取引でした」
点々と灯る白っぽいマナ石ランプの明かりを頼りに螺旋階段を上りながら、あたしはこれまでに思い出した内容をかいつまんで説明した。
その①、舞台となったのがバルヒェット辺境伯領だということ。
その②、バルヒェット辺境伯領では獣人と人間との間に対立があったこと。
その③、対立の原因はバンラード王国から流入した獣人による傷害事件が頻発したこと。
その④、対立が激化する最中にサーカス団員が獣人だという噂が広まり、サーカス船襲撃事件が起こること。
「事件の黒幕は、たしか辺境伯家出身の皇妃だったはずなんですけど」
あたしの言葉にノードが眉をひそめた。
「もしかしてモリーヌ皇妃殿下ですか?」
「あっ! そうです。モリーヌです、モリーヌ」
また呼び捨てにしてしまったせいかノードはフッと笑みを漏らし、あたしは不意打ちの胸キュンをくらう。無自覚なノードにいつかキュンをお返ししたいけど、ナリッサは媚薬の調合とか知らないかな?
と、バカな考えごとをしてたら階段につまずいてノードにグイッと引き起こされた。
「階段でコケる幽霊とは、貴重なものを見ました」
「主は悪魔も驚く幽霊だからな」
「あたしをからかう時、二人は息がピッタリですね」
こんな軽口はすっかりお馴染み。
「ノード、モリーヌ皇妃ってどんな方なんですか?」
「モリーヌ皇妃殿下は体が弱く、数年前からバルヒェット辺境伯領で静養を続けています。たしか、ユーリック殿下がオーラを発現した三年前にはすでに静養に入られていました」
「仮病だな」
ジゼルは確信をもった口調で言う。
「仮病の噂もたしかにあります。子どもを産めなかったことで皇宮に居づらくなり実家に戻ったのではないかと。しかし、モリーヌ皇妃殿下が皇室公認のサーカス船を襲撃するとは……」
ノードは信じられないという顔つきだ。
「もう一人の皇妃である、カルラ皇妃殿下ならあり得そうな話ですが」
「カルラ?」とあたしは首をかしげた。
「どうやらカルラ皇妃は本に出てこないようですね」
「覚えがないです」
だって、あの小説はナリッサが主役のラブコメ。
皇太子妃たちはナリッサの恋のライバルとして色んな場面で登場してたけど、皇妃はほんのチョイ役だった。モリーヌ皇妃だって取ってつけたように登場しただけで、このエピソードの見どころはナリッサとユーリックのじれじれニヤニヤお忍び旅。
「そのカルラ皇妃は皇宮に住んでるんですよね?」
「ええ。カルラ皇妃殿下はルガース公爵家出身なのですが、ルガースはベルトラン同様、銀色のオーラを受け継いでいるので領地がありません」
あっ、そう言えば銀色の髪の皇妃がいた。
「皇室は帝国が他家に乗っ取られることを嫌い、それまで銀色のオーラを持つ家門から皇妃を迎えることはありませんでした。ですが、子どものできないカイン皇帝陛下をルガース公爵がうまく言いくるめたようです」
「でも、子どもはできなかったんですよね?」
はい、とノードはうなずく。カインと血の繋がった子どもはユーリックだけなのだから。
「女性皇族は催事以外で本宮に顔を見せることはありませんし、わたしが直接お会いする機会などないに等しいのですが、カルラ皇妃はよくご自身の宮に貴族を招いてお茶会をしているようです。ルガース公爵家の皇族復帰を求めているという噂もありますし、策を巡らせるのがお好きな方なのでは、と」
「皇族復帰したら皇太子を殺すんだろう?」とジゼルがニヤッと笑う。
「ユーリックはこれまで何度かルガース家が雇ったと思われる暗殺者に襲われています」
やっぱり物騒な世界だ。
「一方、モリーヌ皇妃の噂と言えば静養に関することばかりなのですが、ユーリックはカルラ皇妃よりもモリーヌ皇妃の方を好ましく思っているようでした。彼曰く、モリーヌ皇妃は公平で責任感が強く、カイン皇帝の平民優遇施策も支持していたとか」
「でも、そのモリーヌって皇妃はバルヒェット家の出なんだろう?」
ジゼルが口を挟むと「たしかにそうなんですが」とノードは押し黙る。たった今バルヒェットの泥沼歴史を語って聞かせたのはノード自身だ。
「サラさん」
ノードは気を取り直すようにあたしを見た。
「本の中のモリーヌ皇妃はどうしてサーカス船を狙ったのでしょう?」
あたしの頭には戦闘で壊れた甲板が思い浮かんだ。向かい合うモリーヌ皇妃とユーリック。
――「モリーヌ皇妃殿下、どうしてあなたのような方がこんなことを?」
後ろ手に縄を結われたモリーヌ皇妃を前に、お兄様は悔しげに顔を歪めた。
「歴代最高の銀色のオーラを持つユーリック皇太子殿下。そなたも辺境地出身のリリアンヌ皇后を母に持つのなら我が領地の苦しみを少しは理解できるはず。帝都に暮らす皇族貴族の国防意識は低く、サーカス船は平和ボケした皇家そのものです」
そう、モリーヌ皇妃は自分の欲のために事件を起こしたわけじゃない。
「モリーヌ皇妃は帝国民のためにやったんだと思います」
「民のために獣人を殺そうとした?」
「さっき説明しましたが、小説だとバルヒェット辺境伯領で獣人犯罪が増えます。それに対処するためモリーヌ皇妃は魔術師の派遣をカインに頼んだけど断られたんです。それで、獣人を一掃するためにモリーヌ皇妃自ら魔術師を雇ってサーカス船を」
「なるほど。責任感の強さがそういう形で顕れたわけですか」
やるせなさそうにノードは息を吐いた。
「小説では、サーカス船襲撃事件はナリッサが十六か十七歳くらいの頃に起こることなんです」
「まだ先だな」
ジゼルはつまらなそうにフンと鼻を鳴らす。
「でも、小説通りなら獣人皮革の闇取引が表面化してユーリックが捜査に乗り出すのも二年後くらいのはず」
「……つまり、全体的に時期が早まってる可能性があるわけですね」
はい、とあたしはうなずく。
「ウサギ獣人の女の子はサーカス船襲撃のときに魔術師を手引する裏切り者です。だけど、今の時点でサーカス船に乗ってるのか、乗ってたとしてもモリーヌ皇妃と繋がってるのか」
できれば犯罪に関わる前にウサギ獣人を見つけたい。ウサギ獣人は脅されてやっていただけで、しかもサーカス船襲撃のどさくさに紛れて一緒に殺されてしまう。
「サラさんの読んだ本はナリッサ様の視点で書かれているのでしたね。ナリッサ様は事件にどう関わっているんですか?」
ナリッサ様はユーリック様とじれじれニヤニヤ旅を満喫……じゃなくて。
「たしか、ナリッサは回帰前に事件のことを噂で聞いてたんです。回帰後に魔獣皮革のことを耳にしてサーカス船襲撃事件が起こることを思い出し、ユーリックに伝えて、ザルリス商会とコンタクトを取るために二人でトッツィ領に向かいます。それから……」
ユーリックと同じ部屋に泊まることになって、ひとつのベッドで……とか話したら白い眼で見られそうな雰囲気だよね。
「思い出したらでいいですよ」
あたしが言い淀んだのを、ノードは思い出せないからと勘違いしたようだった。彼は頭の中で情報を整理しているらしく、あたしはその美しい横顔を堪能しながら無言でついていく。
壁には採光用の小さな窓がところどころにあり、茜色と紺色の混じり合った空を鳥影が過ぎっていった。
「あっ、そうだ」
「何か思い出しましたか?」
「はい」
この世界に来てから何度も思い出したシーンなのに、なんで忘れてたんだろう。
「ナリッサとユーリックがザルリス商会にいるとき、伝令が来てバルヒェットに向かうことになるんです。その途中で……」
情景が生々しく思い出され、あたしは言葉に詰まった。
「大丈夫ですか?」
ノードが心配そうに見つめてくるのは、火あぶりシーンを思い出したあたしがナリッサの魔力を乱すほど動揺したからだろう。
「大丈夫じゃないかもです」
気を遣わせるのも嫌で、あたしは冗談めかしてノードの腕に寄りかかった。出会って最初の頃は「寒い」と引き離されてたのに、最近はそんなこともない。
「あたしの冷気に文句言わなくなりましたね」
「服に耐冷魔術を付与しましたから」
そういう……。
気を取り直すためゴホンと咳払いすると、全部見透かしたような顔でジゼルがケケッと笑った。
「さっきの続きですけど、ナリッサとユーリックがバルヒェット領に向かってる途中で、青い髪の紫蘭騎士団員が血を流して倒れてるのを発見するんです。追手にやられたようだって、ユーリックが言ってました」
「鳥だな。死んだのか?」
ジゼルの口から出ると「死んだのか?」が「転んだのか?」くらいの軽さで聞こえる。
あたしはノードの足音をBGMに頭の中で小説のページを繰り続けていた。螺旋階段をぐるぐると上っているのが、まるでネジを回して過去に遡っている気分。
「彼を頼む」とユーリックの声が脳内再生された。
――蹄の音が遠ざかり、お兄様の後ろ姿が見えなくなると、あたしは青い髪の騎士を引きずって木陰まで移動した。彼の顔色は髪と同じくらい青ざめている。
「おい」
梢の上から聞こえてきたのはジゼルの声。
「またわたしについて来てたの?」
「契約者のいない召喚獣は暇なんだ」
「ノードと契約すればいいのにって何度も言ってるでしょ。わたしに関わるとロクなことにならないから。でもちょうど良かった。見張っててくれる? 馬車が通りかかるのを待ってたらこの人死んでしまうわ」
触れた頬の冷たさにゾクッと震えが走る。
「オーラで治すのか?」
返事の代わりにわたしは血で黒ずんだ彼の額に手をかざした。ふと違和感を覚えたのは傷口がほとんど塞がり、頬に赤みが戻ったころ。
「ねえ、ジゼル。もしかしてこの人……」
獣人? と問おうとしたとき、騎士が「う……」と声を漏らした。パチッと瞼が開いて漆黒の瞳がわたしをとらえる。
「ふあっ? えっ? えええぇぇぇ……」
後ずさりしようとする騎士の肩をわし掴みにし、グイと押さえつけた。
「まだ動かないで。痛いところはない?」
騎士は狼狽しながらも自分の体のあちこちを触って確認する。
「だ、大丈夫みたいです。あの、ナリッサ皇女殿下本人ですよね?」
「ユーリック殿下は先にバルヒェット領に向かったわ」
青い髪の騎士はホッと安心したように息を吐いた。
「あの、ぼくの怪我はナリッサ様が?」
紫蘭騎士団員に金色のオーラのことを教えるわけにはいかない。黒魔術の使用も、イブナリア王族の末裔であることも、皇帝にとってはどちらも帝国を脅かす力。
わたしはもうあんなふうに死にたくない――。
「……るじ、おーい、主」
「えっ? あっ」
気づくとあたしはドアの前に立っていた。螺旋階段の一番上。手すりから身を乗り出して下をのぞき見るとビルの四、五階くらいの高さがある。
「考えごとは後にして、とにかく中に入りましょう」
ノードが開けた扉の先は一瞬行き止まりのように見えた。
左にトイレ、正面は壁、外開きのドアをノードが閉じて、ようやく右手に通路発見。二メートルほど進むと、プチ贅沢ホテルのツインルームみたいな部屋があった。窓にはカーテンが引かれ、開けようとしたけど魔力付与されてないから触れない。
「観覧席に出てみましょう」
ノードは寝心地の良さそうなベッドも、お酒の並んだバーカウンターも、グブリアカラーの瀟洒な応接セットも無視して部屋を突っ切り、ドアに手をかける。
「こっちが入り口です。わたしたちが入ってきたのは脱出用出口」
部屋を出ると階段と扉があった。階段は螺旋ではなくジグザグ階段。ノードが躊躇うことなく扉を開けた途端、ウワッと歓声が耳に飛び込んで来た。
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