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魔術師古今東西
青白い半月がちょうどあたしの目の高さにあった。
夜の闇を映したニラライ河が前方と右舷方向に広がっていて、遠く対岸に点々と灯るのはバルヒェット辺境伯領の明かり。左舷側にはオクレール領の街の灯が見渡せた。
あたしたちがいるのは皇族観覧席。ベランダのように解放された場所に、大きくて座り心地の良さそうな紫色のソファ、その両サイドに銀色の猫足テーブルが置かれている。
「おっと、結界を忘れるところでした」
ノードがドアの脇にある四角いマナ石に触れると、魔力の波が皇族観覧席をフワッと包みこんだ。結界は観覧席を囲う手すりに沿って発動したようだけど、どういう仕組みなのか手すりから身を乗り出しても特に問題なさそうだった。
皇族席の下には階段状の観覧席。舞台は円形で、その奥では楽団が軽快な音楽を奏でていた。舞台の上で団員が飛んだり跳ねたりしているのは開演前の余興らしく、時々失敗して観客を湧かせている。
「サラさん、物珍しいのはわかりますが絶対にここでは飛ばないで下さい。サラさんの姿が見える獣人もいるかもしれませんから」
「はーい」
床にも手すりにも魔力付与され、結界まで発動されているから、すり抜けないよう気を付ける必要はない。キョロキョロと周囲を見回しながら手すりに沿って歩いていると、観覧席の端に船体後部へと続く通路を発見した。
「ノード、こっちは?」
「一周して反対側に戻って来るだけです」
そういえば崖の上からサーカス船を見下ろしたときそんな通路があった。
ジゼルがヒョイと手すりに飛び乗ると、「猫だ」と下の観客席から子どもの声が聞こえる。
「魔塔主、この結界は警護のためなのか? それにしては杜撰な気がするが」
たしかに物理攻撃を防げそうにない。幽霊だって猫だって簡単に出入りできるし。
「ユーリック殿下が観覧したとき彼のオーラで魔獣が怯えたことがあったんです。皇室経由でオーラ抑制結界を張って欲しいと頼まれてあの結界魔法具を設置したのですが」
話している途中でノードはクッと笑う。
「何がおかしいんですか?」
首をひねっているのはあたしだけで、ジゼルは小馬鹿にした顔つきであたしを見る。だからなんなの?
「抑制の術式と封印の術式はほぼ同じなんです。ジゼル殿は本当の魔力量を知られないために抑制リボンをつけていますが、それはジゼル殿の魔力を封印してるとも言えます。わたしが魔力抑制にローブを使っているのは簡単に脱げるからです」
「じゃあ、ユーリックはここにいたらオーラを封印されてることになるんですか?」
「ユーリック殿下だけではなく、この結界には魔力抑制の効果もありますからわたしもジゼル殿も封印されてる状態です。ですが、手すりの外に手を伸ばせば簡単に結界から出られます。ローブがすぐ脱げるのと同じように、術者の意思で抑制を解けるということです」
「じゃあ、何が問題なの?」
ノードはなぜか「ジゼル殿」と手すりの上の白猫に声をかけた。呼ばれたジゼルはニマッと悪魔っぽい笑みを浮かべる。
「オーラを術式に組み込むとこういう綴りになるのか」
「ということです」とノードがあたしに向かって微笑んだ。
「どういうこと?」
「構築された魔術は魔法具などに付与されない限り盗んだり転用したりすることは難しいのですが、一度付与された術式は遅かれ早かれ解析される運命にある」
「誰でもオーラを封印する魔術をマネできるってことですか?」
「さすがに誰でも彼でもというわけにはいきません。ある程度の魔力がなければ付与された魔術式を見ることすらできませんし、それにこの結界術式にはダミーを組み込んでいますから簡単には解析できません。加えて、皇族席であるこの場所に立ち入れる人も限られていますから、術式を盗むのは現実にはかなり難しい」
「ぼくは盗めるぞ」
「そうですね」
ノードはニコッと笑った。
「魔術式におけるオーラの綴りは最高機密ですから、首にぶら下げた紫蘭の紋章に漏らさないと誓ってください。オーラ抑制の魔術付与は皇室の許可を得た上で魔塔主のみに許されています」
ゾワッと背筋が震えるほど結界内にノードの魔力が満ちて、ジゼルの尻尾がブワッと大きくなった。手すりの上の白猫がダッシュであたしの胸に飛び込んでくる。
「おや、ジゼル殿。どうしました」
むくっと顔をあげたジゼルは半泣き。
「魔塔主がここに連れてきたくせに、解析したあとでこんな仕打ちは悪趣味だぞ!」
メソメソと愚痴る悪魔をあたしはなでなでする。
ふむ、と漏らすノードの口元にはいたずらっぽい笑み。
「今のジゼル殿ならこの程度の魔力は平然と耐えられると思ったのですが、むしろサラさんの方が平気そうですね」
「主は鈍いからだ!」
いや、わかってるけどそんなにハッキリ言わなくても。
「とにかく、オーラの綴りは他で漏らさないで下さい。万が一シドのような魔術師に知られたら厄介です」
「サーカス船に乗ってる魔力ゼロの魔術師さんは知らないんですか?」
ノードが舞台に目をやったのは、たぶんゼンの姿を探しているのだろう。まだ観客席は埋まっておらず、通路は押し合いへし合い、自分の席を探す人で溢れている。ゼンは見つからなかったらしく、ノードは肘置きに頬杖をついてあたしを見た。
「ゼンの魔術に関する知識は半端じゃないですから、おそらくこの結界術式も解析済みでしょう。それにしても、ジゼル殿も知識だけなら上級魔術師並みです。長く低級魔獣のままでいたようですが、どこでそんな知識を仕入れたのか興味があります」
魔塔主に指でなでられ機嫌をなおしたジゼルは、ドヤ顔であたしの知らない過去を話しはじめる。
「前の前の主が魔術マニアの引きこもりだったんだ。魔術関連書に埋もれてオリジナルの魔法陣を延々考えてる偏屈な男だったが、自分の考えた魔法陣の綴り間違いで死んでしまった」
ジゼルは「そういえば」とノードを見た。
「回帰魔法ではないが、そいつは対象物の時間を逆行させる魔術を構築しようとしていた」
「ほう、上手くいったのですか?」
「上手くいくこともあれば、逆行させ過ぎて消えたり、分解してバラバラになったりしてたな。何度か成功したようだが、ぼくの手のひらに乗るサイズのものが限度だった」
招き猫みたいに片足をあげる白猫。興味を惹かれたらしいノードが「その術式を」と口にしたとき、フッとすべての音と光が消えた。
観客のざわめきが大きくなり、それはドラムロールで歓声に変わる。舞台中央にスポットライトが当たった。
真っ白なホワイトタイガー、その背にまたがった道化師。エドジョーと同じような海賊っぽい着こなしで、白塗りの顔に赤い鼻をつけている姿は昔見たサーカスのピエロとそっくりだ。
うんしょ、うんしょ、と不器用に虎の背から降りた道化師は、二本の尻尾が生えた虎のヒップアタックで転んで笑いを誘う。彼は両手をあげてその笑いに応えると、服の埃を払ってシルクハットを脱いだ。優雅なお辞儀だけは貴族のよう。
「みなさま、今宵はリンカ・サーカスへの御来場、誠にありがとうございます。進行はわたくし、名前のない道化師が務めさせていただきます。愛らしいヒップが魅力的な白虎の名はコトラ。そのお尻でわたしを転ばせるのが趣味という、少々変わった虎ではございますが……」
流暢に喋る道化師の顔を白虎の尻尾がパシンと叩き、また笑いが起こった。
「あの道化師が魔術付与巻物と銃を作った魔力ゼロの魔術師、ゼンです。ジゼル殿、あの白虎の魔力、気づきませんか?」
「何がだ?」
「結界から出てみてください。すぐ分かります」
ジゼルが手すりの柵の間から顔を出すと、白虎がチラッとこっちを見たようだった。あたしも興味が湧いて手すりから身を乗り出してみる。
なんかこの感じ知ってる、と思ったら「召喚獣か」とジゼルが先に口にした。たしかに普通の魔獣とちょっと違う。どこが違うか上手くいえないけど、ジゼルの気配と似ている気がする。
「だが魔塔主、あの道化師は召喚者ではないだろう?」
「ええ、違います」
「他に召喚者らしい魔術師の気配もないし、それにあの道化師は何かおかしい」
「ええ、彼はちょっと特殊なんです。帝国外の魔術に詳しいので、サラさんの状態を相談してみてもよいかと考えているのですが、そのためには向こうの弱みを握っておかないと」
えっ?
「あたしの状態って、触れる幽霊ってことですか?」
「ピアスと幽体がどのように繋がっているのか。もしピアスが壊れたらどうなるのか……。サラさんは気になりませんか?」
「ピアスが壊れたら主は消えると思うぞ」
「ジゼル殿は召喚直後もそう言っていましたが、何か根拠があるのですか?」
「勘だ」
はっきりキッパリ、ジゼルは言い切った。めちゃくちゃ信じ込んでたのに、勘なの?
「そんなことだと思いました」とノードは端正な顔に微笑を浮かべる。
「ねえ、ノード。ピアスが壊れてもあたし消えないかもしれないんですか?」
果たしてそれは喜ばしいことなのか、そうでないのか。答えはすぐには出そうにない。
「正直に言うと、わたしの勘もジゼル殿と同じです。ですが、この世界にはわたしの知らないこともたくさんありますし、それにゼンはもしかしたら」
ノードは意味深に言葉を止め、いつもの企むような笑顔を炸裂させる。
「ちなみにサラさん、その服はサラさんの世界ではどういった身分の方が着るものですか?」
突然何の話?
「えっと、学生が着る制服です」
「ガクセイ?」
「平民街の青空教室みたいに勉強を教えてもらう場所があって、そこに通う学生はこんな制服を着るんです」
「サラさんの世界の方は、この服を見たらガクセイだと分かるのでしょうか」
「日本人だったら分かると思います。あ、日本っていうのはあたしが住んでた国です。でも、全世界で二百近くの国があるから」
ノードは目を丸くし、口も半開きになった。レアなポカン顔、ちゃんと目に焼き付けておこう。
「二百……、ですか」
感嘆のため息を漏らしたノードは、ふと我に返ったように手の中にゲートを開いて銃の念写写真を取り出した。
「サラさんの住んでいた国ではこの銃が一般的に使われていたんですか?」
「いえ、日本は銃規制が厳しい国だったので、使ってたのは警察……こっちでいう治安隊くらいです。猟にも使うけど許可が必要で、普通の人は銃に詳しくありません。でも、この銃はライフル銃っぽいかな」
「種類が色々あるんですね」
「片手で持てるこれくらいのサイズのもあります」
あたしは指でピストルの形を作って「バン」とノードの胸を撃つ。スルーされるのは想定内。
そのときコンコンと背後からノックの音が聞こえ、「どうぞ」とノードが答えると小学校高学年くらいの女の子が顔を出した。
「あの、ワインをお持ちしました」
彼女は猫足テーブルの上にワイングラスとおつまみを、床には干し肉の乗った皿を置く。わずかに獣人の気配。少女が妙におどおどしているのはノードの魔力のせいだ。
肩まであるグレーの髪は緩く波打っていて、瞳はクッキーにのってるドレンチェリーみたいなツヤっとした赤。髪と瞳の色はランドに似ているけれど、雰囲気は正反対だった。ランドは肉食系、この子は草食系。
「ノード、名前を聞いてください」
あたしの意図を察したのか、ノードは「お名前をおうかがいしても?」と少女に親しみのこもった笑みを向けた。彼女はトレーをギュっと胸に抱え、上目遣いにチラとノードと視線を合わせる。
「……ラビ、です」
「この子です! ウサギ獣人!」
即答だった。だって、ウサギの「ラビ」だもん。
この小説の作者、名前の付け方がたまに雑になる。「ザルリス商会」会長がリスザル獣人だと明かされたのは獣人虐殺エピソードの終盤。バルヒェット領の河港沖に援軍が集まったとき。東部騎士団の水軍とアルヘンソ辺境伯領の海軍の他に、ザルリス商会の商船も獣人を救うため帝国国旗を掲げて河港を包囲したのだ。そのザルリス商会会長がマリアンナのおじいさんだというのには驚いたけど。
「ラビさんはサーカス団に入ってから長いのですか?」
「二年ちょっとです」
「その前はどこに?」
「……バルヒェット領に」
少女の目は後ろめたいことでもあるみたいにウロウロさまよっている。
「サーカス船の次の寄港地はバルヒェットでしたね。ご家族や友人に会えるのではないですか?」
「いえ……、あの、行くあてがなくて困ってたところを団長に拾ってもらって」
小説で裏切り者として描かれていたこの子の言葉をどこまで信じていいのか分からなかった。まだ悪いやつらと接触していなければいいけれど。
「ラビさんも演者なんですか?」
ラビが委縮しているせいか、ノードは過去を追及するのはやめたようだった。
「後半の空中ブランコに出ることになってます」
「そうですか。楽しみにしています」
ラビが出て行くと、「エドの計らいですね」とノードは苦笑を浮かべた。
「エドジョーは見かけによらず使命感が強すぎて心配になることがあります。わたしが彼の人生を壊してしまいそうで」
ソファに体を埋め、ノードはひと仕事終えた顔でワイングラスに口をつけた。あたしが隣に座ると「どうぞ」と差し出してくる。
「またからかってるんですね。どうせあたしには飲めないのに」
「さて、それはどうでしょう」
ノードはワイングラスを指で弾き、チンと軽い音がした。
グラスに触れるとガラスの感触があり、あたしは見よう見まねでクルクル回して匂いを嗅ぐ。口をつけるとちゃんと液体が流れ込んできたけれど、思ったより渋いうえに癖が強くて思わず顔をしかめた。
「おや、お気に召しませんでしたか?」
ノードはあたしが返したグラスをクイッとあおって空にする。
「もっと軽いワインなら飲めます」
「サラさんにはあれの方が良さそうですね」
舞台の上では白虎が冷気で果汁を凍らせていた。できた氷菓は団員が観客に配っている。たしかに、あっちの方がおいしそうだ。子どもたちが我先にと氷菓に手を伸ばすのを、ノードは愛おしそうに眺めていた。
ゼンとコトラが退場すると、次はエドの部屋の前で見たフクロウ魔獣、リーゴが登場した。警戒している様子はなく、観客席から舞台にあがった子どもと仲良く共演している。
「ノード、どうしてこの船にいる魔獣は大人しく人間の言うことを聞くんですか?」
「ジゼル殿はわかりますか?」
突然話を振られたジゼルは、干し肉を咥えたままヒョイと顔をあげた。
「マナ石が埋め込まれてるんだろう?」
ノードが満足げにうなずいている。
「さすがジゼル殿ですね。その通りです。サラさんのピアスと同じくらいの大きさのマナ石が額あたりに埋め込まれているのですが、それによって体内のマナ循環が安定し、興奮を抑える効果があるようです。気性が大人しくなれば芸を仕込みやすいですから」
「浄化とは違うんですか?」
「違います。周囲のマナに影響されるのを和らげる程度です」
低気圧で頭が痛くなるのを磁気ネックレスで和らげる、みたいな?
低気圧の中心は魔獣生息域、高気圧は世界樹?
「ノード、魔獣生息域はマナ循環の辺縁に生まれるんですよね? もしマナが世界を循環しなくなったら魔獣生息域はなくなるんですか?」
ノードは手酌でワインを注ぐと、グラスを傾けて「ふむ」と漏らす。
「世界とつながる世界樹こそが魔獣を生み出している――という言説が流れたことがあります」
えっ?
「グブリア帝国がイブナリア王国に侵攻したときの流言か」
博識なジゼルはご存じのようだった。円形舞台の方をチラチラうかがう白猫と違って、ノードはサーカスそっちのけで青白い月を見上げている。
「グブリア帝国に魔獣が少ないのは北方に隣接するイブナリア王国の世界樹があるからだとそれまでは信じられていました。世界樹は魔獣を浄化して人々の安全を守っている、と。それゆえ、グブリア帝国はイブナリア王国に手を出さず南方へ領土を拡大していったのです。グブリア帝国にとってイブナリア王国は最後に残った目の上のたんこぶでした」
ノードはそれが今直面している課題であるかのように深いため息を吐いた。
「いくら帝国が領土を拡大しても、人々が心のよりどころにしているのはイブナリア王国にある世界樹。グブリア帝国にとってイブナリア王族の持つ金色のオーラも目障りだったでしょう。さらに、イブナリア王国にはグブリア帝国が否定した魔術師がいました」
「イブナリア王国に攻め込むために、グブリア帝国がデマを流したってことですか? 世界樹が魔獣生息域を生み出すって」
ノードはなぜか寂しげな顔をする。
「世界樹が魔獣を生み出しているというのは、もともとバンラードの人々が言いはじめたことのようです。マナ循環の辺縁に魔獣生息域ができるのなら、その中心にある世界樹がなくなれば循環は止まって魔獣が生まれなくなるのではないか。バンラードが魔獣に苦しめられているのは世界樹があるからだ――と。バルヒェット領の現地民からその話を聞き、グブリア帝国はイブナリア王国を攻めるために利用した」
ジゼルが「しかしなあ」と首をひねる。
「金色のオーラと魔術がありながらイブナリアが戦争に負けたというのが不思議で仕方ない。銀色のオーラより、遠隔攻撃できる魔術師の方がよほど有利なはずだが」
たしかに、ラブルーンはたった一人のマジカル戦士だけど、魔法があるからダークビースト団が束になってかかっても互角に戦える。
グブリア軍に向かってドーンと二、三発火球でもお見舞すれば侵攻を阻止できた気がするんだけど。
「イブナリアの魔術は戦うためのものではありません。生活魔法や治癒魔法を得意とし、魔獣がほとんどいないこともあって攻撃魔法は食料の捕獲に使う程度」
「それでも軍はあっただろう?」
「イブナリア王国の軍は最小限の自衛軍。穏やかで戦いを嫌う国民性は、もしかしたら世界樹による浄化の影響ではないかと考えています。好戦的で攻撃魔法の得意なバンラードとは真逆ですね」
「だが、隣の国が侵略戦争をはじめてもそんな悠長なことを言ってたのか?」
「魔術師の中には軍備拡張を主張する者もいました。それがシドです」
「えっ」
あたしとジゼルは驚いて顔を見合わせた。まさかここでシドの名前が出てくるなんて。
ノードは飲まなければ話せないとでも言いたげに、ワイングラスに口をつける。彼の視線の先に、赤銅色の月が昇り始めていた。
「シドはイブナリア王国の魔術師の中では異端で、剣士のように体を鍛えていました。他の魔術師たちが薬草を摘んで研究に勤しむのを尻目に、一人山に分け入っては獣相手に攻撃魔法の練習をしていたようです」
平民街で見かけたシドの姿が頭を過り、あのときの恐怖がゾッと背筋を走る。フードを被っていたから顔はわからないけど、背が高くてランドに負けないくらいがっしりした体つきだった。
「グブリア軍が世界樹に火を放ったと報せを受けたとき、わたしはシドが正しかったのだと思いました。今からでも魔術で抗戦すべきと王に進言したのですが、王は最後まで敵を殺すことを良しとしませんでした。それどころか、先頭に立って敵味方関係なく傷ついた者をオーラで治癒していく」
不意にノードが手で顔を覆い、泣いているのかと思ったら「ハハッ」と笑い声を漏らした。ワイングラスは空いて、ふと見るとボトルの中身もなくなっている。
「攻撃魔法など知らなくとも、生活魔法で対抗できたはず。魔力量を調節すれば火は炎となり、水は洪水となるというのに……」
「ノード、後悔してるんですか?」
「何を?」
ちょっと投げやりな声が返ってくる。あたしは一瞬言葉に詰まった。
「……王様を守れなかったことを」
「王は、イブナリアの王であることを貫きました。だから、わたしはイブナリアの魔術師としてすべきことをしている」
「ノードが仕えてるのは、今もイブナリア王なんですか?」
口を噤んだノードは、あたしから顔をそむけて対岸の小さな明かりに目をやった。ジゼルはニマニマと口元に笑みを浮かべ酔っ払いを眺めている。
「わたしは一体何者なんでしょうね」
ノードがポツリと悲しげにつぶやく。あたしはやるせなくて彼のローブの裾をギュッと掴んだ。
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