終章

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「な、なに、」 「お返し」 「え、」  菊彌は目を細め、笑った。 「蒼も俺にしてくれただろ、昔。そのおまじないの、お返し」  言えば、蒼は目を丸くし、それから、どこか気まずげに目を泳がせた。 「……覚えてたんだ」 「覚えてるよ」  菊彌は頷く。 「ゆきさんの直伝だったんだな」 「……あのときは、ほとんど無意識だった。ただ、その感覚を体が覚えてただけで。そうやってお祈りするんだって」 「うん。ありがとう」  それから、菊彌はおもむろに自分の前髪を掻き上げるようにして額を晒した。そんな菊彌の行動に、蒼は驚いたように目を見開く。 「おまじない、してよ」 「え」 「また、俺たちがちゃんと会えるように」 「え、えっと……」 「ほら」 「でも、」  蒼の耳が、頬が、目の淵までもが赤く染まった。 「してくんないの」  それでも菊彌が急かすようにそう言えば、蒼がこくりと唾を飲み下したのが喉の動きでわかった。そして、なにか決意を決めたように、ほとんど睨みつけるような目で菊彌を見てくる。そんな蒼に、菊彌は思わず苦笑を零してしまった。  と、その瞬間である。蒼の顔が近づいてきた。そして、蒼の唇が菊彌の額に触れる。  それはほんの一瞬のことだった。次の瞬間には、近距離でふたりで真顔で見つめ合っていた。蒼の顔は赤い。きっと自分の顔も赤いのだろう。そんなことを、湧き出てくる熱を感じながら菊彌はまるで他人事のように思う。それと同時に、真顔のふたりがこうして見つめ合っているのは、傍から見たらなんと不思議な光景だろう、と考える。考えたら、なんだかうずりと笑いがこみ上げてきてしまった。  と、もしかしたら、蒼も同じことを考えていたのかもしれない。蒼の顔もうずり、と歪む。その唇が綺麗な弧を描いた。 「ふ、はは、」 「あはは」  互いで互いにつられるように、どちらからともなく、笑いを吹き出した。一度溢れてしまったら、もうだめだった。体が震えるほどに、ふたりは笑った。顔がまだ間近にあったせいで、コツリ、と額と額がぶつかる。それがまた面白くて、ふたりは転げるように笑った。  だから、遠くから名が呼ばれていることにも、ふたりは気がつかなかった。笑いすぎて呼吸が苦しくなったふたりは、ごろりと川辺に転がる。ごつごつとした石に体が少し痛かったが、それもそれほど気にならなかった。そんな仰向けになっていたふたりの上に、影が差す。 「楽しそうじゃねえか」  唐突に、影にそう声をかけられて、菊彌は驚きのあまり、ひくりと喉を震わせてしまった。 「玄介様!」  と、隣で蒼もまた驚いたような声を上げる。逆光で菊彌からはよく見えないけれど、菊彌を覗き込んでいるこの影はどうやら玄介らしい。それから、そんな玄介のうしろからもうひとり、顔を覗かせる。 「すず様も」  蒼が言い、ようやっと、のろのろと上体を起こす。菊彌も体を起こした。ようやく逆光から逃れ、ふたりの顔がよく見えるようになる。玄介を見れば、目を細めて微笑まれた。安心したとでもいうような笑みだった。 「いろいろ、大変だったみたいじゃないか」  玄介が言う。すずもまた、胸に手を当て、ほうっと息をついていた。ふたりは菊彌をこの村に残して、もう少し先の村へ『変革』のことを知らせに行っていた。朔太郎のこともあって文ではやり取りはしていたものの、それ以来の再会である。 「無事でよかった」  すずがそう言って、蒼の前にしゃがみこんだ。そして、蒼を肩に手を回し、抱き締める。蒼は突然のことに体を強張らせ、そして、戸惑うように菊彌と玄介を見た。そんな蒼の様子に、玄介は困ったように眉尻を下げて笑う。
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