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「勝手に入ってきたのですか」
そんな女の態度に、蒼はちょっとむっとしてそう言い返した。
「今、このお屋敷にはおれしかいないんです。おれが知らないということは、勝手に入ってきたということでしょう?」
そして、そう言い返してしまってから、蒼は少しだけ後悔した。この女が本当に勝手に上がり込んできたのだとすれば、この女はきっと善良な人間ではない。蒼の胸はひやりとした。
「……へえ」
と、女はまた鈴の鳴るような仕草で首を傾げた。
それから女は、今度はすうっと流れるような動作で蒼に膝を向け、姿勢を正す。そのようにされては、蒼も改まるしかない。先ほど胸をよぎった不安はどこへやら、蒼は慌てて女の前に膝を突き合わせるようにして座った。
「改めて、自己紹介をしよう。無礼をして申し訳ない」
すると女は、ゆったりと口火を切る。蒼は女の顔を見ようとするが、しかし、逆光のせいでやっぱりその顔立ちをはっきりと見ることは叶わなかった。
「あたしは朔太郎さん……あんたのお父上と同じ生業をしている、すずという」
「すず、様」
蒼が確かめるように繰り返すと、すずと名乗ったその女は小さく笑った。また鈴の音が鳴る。ああ、と蒼は思った。だからすずという名前なのか、と。
それからすずは、表情を改めるとまた口を開く。
「朔太郎さんの不在時に勝手に上がり込んで失礼なことをした。けどまあ、それが許される間柄、とでも言うのかね。中で待たせてもらおうと思ったんだよ」
すずの言葉に、蒼は小さく首を傾げる。
「仲良し、ということですか」
「……いや、まあ、いわゆる『仲良し』とは少しばかり違うかもしれないけどね。でも親しくはしてもらっているよ」
すずは「うむ」と悩みながらもそう応える。視線は斜め上を睨んでいて、「親しく」と口にしたときにはどこか不本意そうに眉根が寄せられた。
蒼は少し考えてから口を開く。
「でも、父上はいつ戻るかはわかりません。今日戻るかも、おれは知りません。母上なら知っているかもしれませんが。母上はたぶん、もう少しすれば帰ってくると思います」
父とすずは一体どんな間柄だと言うのだろう。蒼は少し訝しみながらもそう言った。
と、すずは突然、自らの手のひらでその膝をぺしりと叩いた。そして叫ぶ。
「それは困る!」
すずのその行動に、蒼は驚いて呆然としてしまう。
「こ、困る?」
かろうじてそう聞き返せば、すずは「ああ」と神妙に頷いた。
「そうか。そうだよなあ。あんたがいるってことは、佐江もいるってことだよな、そりゃあそうだ。いやはや、佐江とはどうも馬が合わなくってね……」
佐江とは、蒼の母の名前である。佐江の名を知っているところを見ても、どうやらこの女は嘘をついていないらしい。
それからすずは悩むように目を閉じてしまった。はあ、とため息すら吐き出す。そして少ししてからようやく、ぼそりと言葉を次いだ。
「今日のところは失礼することにする。突然出向いたあたしが悪かった。次は知らせをやろう」
「……はあ」
すずの慌てぶりに蒼が半ば置いてけぼりになっていると、すずはふと欄干を振り返り、そこに置いてあったあの硝子の小瓶を指につまんだ。そしてそれを蒼と付き合わせた膝の前に置く。
「ひとつ頼みがあるんだが、いいかい」
「頼み、ですか?」
「これを朔太郎さんに渡してほしいんだ。佐江には気づかれぬように」
すずの言葉に蒼は思わず顔をしかめた。
「母上には内緒で?」
「そう」
「なぜ、ですか?」
蒼がそう尋ねると、すずはまた悩むように目を閉じてしまう。
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