序章

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 が、それを問いただす間もなく、すずは言葉を次ぐ。 「別にビードロはいつだってよかったんだ……いや、早いに越したことはないんだけど。でもまあ、いつでもよかったんだ。でもこれは、あたしの完全なる負けだ」 「びーどろ?」  耳慣れぬ単語に思わず蒼が口を挟むと、すずは小瓶を指で示し、もう一度「ビードロ」と言った。 「見たとおりの硝子細工さ。笛みたいなもの。ぽっぴん、って音が鳴る」  それを聞いて、蒼ははたと思い至る。 「ずっとしていた音……」 「ああ。あたしがずっと遊んでいたからね」  すずの指が滑らかな硝子を撫でる。蒼はその指先を見つめながら、「ビードロ」と口の中で確かめるように呟いた。 「このビードロっていうものが、父上のお仕事と関係があるのですか?」 「……さあ」  そんな蒼の問いに、すずは短く、そっけなく応える。 「少なくとも、あたしにはわからなかった。だから、朔太郎さんのところへ持って来たんだ。朔太郎さんの目で見てもらおうと思ってね」  それから、すずは蒼の顔を覗き込む。 「五日だ」  それから、すずはビードロをつまみ上げると蒼の方へ差し出してきた。 「あんたの言う取引は呑めない。が、こういうのはどうだろう」  蒼がすずの表情を伺い見ると、すずはなにの感情も読めない目で蒼を見ていた。ぞくり、とする。 「五日間、あたしはあんたにこれを預ける。なにかが起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。でも、もしもなにかが起こったら、そのときにはすべてを話そう。そうなれば朔太郎さんも納得せざるを得ないだろうしね」 「持っているだけで、いいのですか?」 「さあね」  すずがリンと首を傾げる。 「それはあんた次第だ」  早く受け取れ、とでも言うようにすずの手が動く。蒼は恐る恐るそれに手を伸ばした。  なんだか嫌な予感がした。でもこれを持っているだけで、もしかしたら、ずっと知りたかった父親のことを知ることができるかもしれない。  蒼の指先がビードロに触れた。冷たい硝子に触れ、それから、小さな手でしっかりとそれを受け取った。  空が曇り出した。黒い黒い、今にもなにかがやってきそうなぶ厚い雲がぐんぐんと迫ってくる。蒼たちのいる座敷も暗く陰ってしまった。そうしてようやく、蒼はすずの顔をはっきりと見ることができた。  そして、ぞっとした。思っていたとおりの美しいその顔に浮かんでいたのは、蒼の想像するどんな表情にも当てはまらなかった。すずは怪しげな美しさを纏い、どこか勝ち誇ったように笑っていたのだった。
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