第三話 飼い犬の行方

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第三話 飼い犬の行方

 もう少しで突撃のラッパが鳴る。  そうなれば、この壕から出なくてはならない。  外ではアメリカ兵が機関銃を構えて待っている。  この壕から出て行って戻ってきた兵士は一人もいない。  そんな暑くて蒸し風呂の様な壕の中で、若い近藤二等兵は「生まれ変わったら犬になりたい」と言って来た。  山本老兵は彼に聞いた。 「犬?こりゃまた突飛だな。何でまた」 「内地にいる時、我が家では一匹の柴犬を飼ってました」 「へえ。名前は付けてたのかい」 「はい、ドスと呼んでました」 「ドス?」 「はい。ドストエフスキーから取りました」 「ドストエ……?何だそりゃ」 「ロシアの小説家です」 「小説家?作家か。そりゃ奇遇だな」 「はい。山本さんが作家になりたいって聞いた時、一瞬驚きました」 「ああ、俺も驚いたぜ。で、その犬がどうかしたのか」 「ある日突然居なくなったんです」 「居なくなった?」 「はい。そして次の日、隣の家から肉を焼く匂いがしてきました」 「ああ、食われたのか」 「たぶん」 「まあ、何にもねえこのご時勢だ。生きる為に食える物は何でも食われちまうからな」 「はい。あれだけいた野良犬や野良猫、飛んでる鳥までいなくなってしまいましたからね」 「で、どうしたんだい」 「折を見て、そのお隣さんに『肉が手に入ったんですか』と聞いてみたんです」 「ふうん。で、何て」 「田舎から牛肉が送られてきた。量が少なかったから全部食べてしまったって、そう言ってました」 「ケッ、下手な嘘だな。肉なんてお国に取り上げられちまうのがオチだってのに。で、どうしたんだい」 「私はただ『そうですか』と」 「おいおいそれだけかい。問い詰めなかったのかい」 「それも頭を過ぎりましたが、出来ませんでした」 「どうしてまた」 「お隣さんに食べられなくても、いずれドスは私の家族に食べられていたでしょうから」 「まあ、配給だけじゃ生きて行けねえしな」 「ドスはまるで家族の様に育てられました。特にまだ小さい息子たちにとっては兄弟の様な感覚です」  息子という言葉を聞いて、山本老兵も本土に残した家族を思い出した。  近藤二等兵は続けた。 「そんな情の移った飼い犬を食べるとなると、かなり辛いものになったでしょう。そう考えると、身も知らずのお隣さんに食べてもらった方が、何倍も気が楽です」 「そうか。いずれしなきゃならねえ辛い選択を、お隣さんが肩代わりしてくれたって事か」 「はい」 「で、近藤君は何で犬に成りてえって思ったんだい」 「少なくても、犬死はしないでしょうから」
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