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第四話 犬死
狭く暑苦しい壕の中。
突然
ゴゴゴゴゴッ!
と地鳴りの様な音がした。
近くに爆弾が落とされたのだろう。
敵の物なのか、それとも味方の物なのか。全く判らない。
ひしめいている何百人もの兵隊に緊張が走った。
突撃ラッパが鳴るかも知れない。
ラッパが鳴ったら最期。
壕の外に出て、その瞬間アメリカ兵の機関銃の餌食になってしまう。鉛の様に重苦しい沈黙の中、兵隊達は息もせずにじっとしていた。
しかし、数分経ってもラッパは鳴らなかった。
兵隊達に安堵のため息が流れた。
山本老兵は近藤二等兵にさっきの話の続きをした。
「近藤君。犬死はしないだろうから、生まれ変わったら犬に成りてえってどういう事だ」
「戦場に駆り出される事なんてないでしょうから」
「ああ、そりゃ犬だもんな」
「それに、誰かに食べられたとしても、それは誰かの役に立ってますから」
近藤二等兵は汗と泥にまみれた顔を緩めて続けた。
「でも私がここで機関銃に打たれて死んだとしても、それは誰の役にも立ちません」
「つまり、それが犬死って事か」
「はい」
「まあ、そうだな。犬の方が、俺たちよりも何倍もマシな生き方をしているって事か。悔しいけど、頷けるぜ」
「だから、私は犬になりたんです。もう人間なんて懲り懲りです」
近藤二等兵は遠くを見つめながら続けた。
「どうして、殺したくもないアメ公を殺さなきゃならないのか」
「そりゃ、殺さなきゃ殺されるからだろ」
「だったら、殺される方がずっと楽な気がするんです」
「お前さん、若けえのに随分悟ってるな」
「本当はもう殺したくないんです。誰も……」
「そか……」
山本老兵はそれ以上何も言う事は出来なかった。
山本老兵が招集されて間もない頃、『訓練』と称して柱に括りつけられている敵兵の捕虜を銃剣で打ち抜かされた事があった。
近藤二等兵はそういう経験も無く実践に駆り出されたのだろう。
こういう状況で無ければ「甘ったれるな」と怒鳴りつける所だろうが、お互い数分後には死ぬ事が確定している現状では、それを言う事は出来なかった。それと同時に近藤二等兵の純真さをうらやましく思った。
近藤二等兵は続けた。
「同じ死んで土に還るのなら、犬も人間も同じです。だったら、だれも無駄に殺す必要のない犬の方がずっといい生き方が出来る様な気がするんです」
山本老兵は頷いた。
「なるほどな。何だか俺も犬に成りたくなってきたぜ」
「山本さん、作家は?」
「ハハッ、そうだったな。それはそうと近藤君、犬になったら俺の愛読者になれねえんじゃねえのか」
「字が読める犬が居てもいいんじゃないですか」
「ほう、そりゃ面白れえな。じゃ、おれはお前の飼い主になってやるよ」
「ホントですか。それは嬉しいです」
その時、ラッパの音が高らかに鳴った。
突撃ラッパだ。
山本老兵は近藤二等兵を見た。
「最期に夢のある話が出来て幸せだったぜ。ありがとよ、近藤君」
「お礼を言うのは僕の方です。聴いてくれ嬉しかったです、山本さん」
「来生ではいい顔して会おうな」
「はい」
そして二人は押し出される様に壕の外に出て行った。
機関銃と断末魔の悲鳴だけが鳴り響く壕の外に。
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