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勝負の世界は結果が全て。結果を出すために命を懸ける。それは大事な試合では、なおさらだ。
今まさに、そんな試合が行われる。オリンピック、男子柔道体重別決勝。
相手はフランス代表、ルーカス。前回のオリンピックの金メダリスト。そして世界ランキング一位。前回のオリンピックから四年間、国際大会で負け知らずの絶対王者だ。
~~~~~~~
俺が柔道を始めたのは小学校に入学してすぐの事。父親が柔道場の先生をしていた影響もあり、父親から柔道を習うようになった。
小学校に入学してすぐは、柔道と言っても、ほとんど基礎ばかり稽古していた。自然体の構え、すり足という歩き方、投げられたときの受け身、そして技を掛ける打ち込み。打ち込みは、野球で言うと素振りのような練習だ。
そんな練習をしばらく繰り返していた。
基礎の稽古ばかりで面白くないと思われがちだけど、俺は楽しかった。
道場に柔道しに来る大人から可愛がってもらえたし、なにより父親と接する機会が増えることが嬉しかった。
父親は無口で頑固な人物だったので、どこかに遊びに連れて行ってくれるような性格ではなかった。だから尚更、柔道場の稽古の時間が父親にかまってもらえる時間だった。
俺が柔道場に通って二年が過ぎると、今度は弟が柔道を習いだした。
俺の弟は、俺の二つ下で、弟も小学校に入学すると同時に柔道を習った。
道場での、弟の面倒は俺が見た。柔道着の着方やら、礼の仕方も。俺と弟は、一緒に柔道の基礎の練習をした。
俺が五年生になったとき、初めて稽古で乱取りに参加した。乱取りというのは、試合形式の練習みたいなものだ。いつも乱取りは見るだけだったけど、五年生になり、父親から参加の許可が下りた。体も大きくなったし、受け身も身に付いたので乱取りをしても怪我しないという判断がでたのだ。
ずっと基礎ばかりやっていたので、乱取り練習はやはり楽しかった。自分より年上を相手に練習していたので、いつも投げられてばかりいたけど、それでも柔道の面白さに段々と夢中になっていった。
俺は弟にも柔道の面白さを知ってもらいたくて、二人でこっそり道場に行き、弟と乱取り練習をした。きっと弟も基礎の練習ばかりだとつまらなく感じていると思ったからだ。
しかし、それが父親に見つかった。
父親は俺に激怒した。稽古中の父親はは厳しかったが、でも怒鳴ることはなかった。そんな父親が大声で怒鳴ったことで、俺は直立不動になり、弟は泣きだした。
「勝手に乱取りなんてするな。怪我したらどうするんだ」
俺はそのとき怖さゆえに言い返した。
「僕は弟を投げないよ。弟だけ攻めさすつもりだったんだ」
「言い訳するな」。父親のさらに声を荒げた。「約束も守れないくらいなら、柔道する意味はない」
それから三カ月、俺たち兄弟は柔道させてもらえなかった。道場に行き、ただ正座して稽古の見学だけが続いた。三か月後には父親の許しを得て、練習を再開したが、俺の乱取りは認められず、弟と基礎の練習をしていた。
六年生になったとき、再び乱取りの練習をさせてもらえるようになった。
俺は中学生になると、中学の柔道部に入部した。うちに柔道部は弱く、部員もほとんどいなかったし、先輩も一年の俺より弱かった。
でも道場での練習は厳しかった。大人に混じって乱取りしていた。俺が中学生になると、弟も五年生になり、乱取りに加わるようになった。
俺が中学三年生になり、弟が同じ中学に入学した。県内の柔道関係では我々兄弟は有名になっていた。部活内では、我々兄弟しか強くなかったので、いつも二人で練習をしていた。どうやったら大人を投げ飛ばせるか?その研究を二人でしていた。そして帰ってから道場で大人相手に乱取りで試した。
中学三年になるとそれなりに筋肉も付き、道場内で自分と同じ体重の大人を投げれるようにもなった。そのころから俺は背負い投げを得意としていた。
俺は県の大会で優勝した。弟も一年生ながら良い成績を残した。
父親に優勝の報告をしたが、父親は喜ぶことはなかった。
「結果が答えではない。結果は問いだ。そしてその問いの答えを見つけるのが稽古だ」とだけ父は俺に助言した。
俺は、父がどういう意味で言っているのか分からなかった。ただ俺は、県大会の次、全国大会もしっかりやれ、と解釈した。
しかし全国大会の結果は、残念な結果になった。
初戦の相手は、強くないと感じた。相手と組んだときに、相手の強さが分かるときがある。俺は開始早々、相手から技ありを取った。しかしその後、寝技の攻防になり、俺は抑え込まれ、そのまま負けた。投げた瞬間に油断が生まれた。自分でも負けた理由が分かったので悔しかった。俺は試合後、悔し涙を流した。
全国大会は家族が応援に来ていたので、帰りは父親が運転する車で帰った。帰りの車の中でも、俺は悔しくてずっと泣いていた。車の中はお通夜のように静まっていた。
父親は運転しながら俺に言った。
「結果が問いで、稽古が答えって言っただろ。良い答えに導けば、自ずと問いも良いものになる。分かるな?」
俺には何のことか分からない。しかし父親の威厳のある口ぶりに、俺は頷くしかなかった。
俺は高校になると家を出て寮に入った。柔道の名門校に入学したのだ。
道場や中学の部活の練習より遥かに厳しかった。部員も全国から集められた猛者たちが、しのぎを削っていた。実力主義で、弱い者は脱落する仕組みだった。俺は何とか食らいつき、そして実力を付けていった。
そして高校二年生のときには、全国大会の体重別の試合に優勝した。
だから俺は、父親の柔道への考え方に疑問を持った
結果が全て。結果こそ答え。どんな良い稽古をしようとも、結果が出なければ意味がない。それは弟を見ていて強く感じた。
弟は天性の素質を持っていた。投げ技に関しては。それは俺が中学生のときから気が付いていた。
普通の投げ技は、相手を崩してから技に入る。でも相手も投げられないように防御をする。それでも崩しがしっかりしていれば相手を投げることができる。この崩しが不十分だと、相手の返し技で逆に投げられることもある。
弟の場合、この崩しにプラスしてタイミングも良い。相手に防御をする暇を与えない。練習中、俺も何回か投げられたこともあるし、大人だって投げる。まるで人形を投げるみたいに綺麗に人が空中を舞う。それは相手の体重も関係ない。
しかし、弟の天性の物は投げ技だけだった。受けも弱くて、すぐに投げられる。寝技に関しては、逆に弟が人形なんじゃないかと思うくらいに、すぐに相手に抑え込まれる。
弟には、勝ちにこだわる気持ちの部分が足りない。だから試合になっても、結果が伴わなかった。結局、弟は中学の県大会で優勝することはなかった。
それは兄の俺から見て、とても歯がゆかった。弟の素質は俺以上で、全国でもトップクラスの投げ技を持っているのに。
俺が高校に入ってから、弟と練習をする機会がないが、でもお盆休みや正月休みは実家に戻ると、そのとき俺は弟と乱取りの稽古をする。その時は、お盆と正月なので道場も休みで、俺と弟の二人だけになる。
「兄ちゃん、またこっそり乱取りして、父ちゃんに怒られないかな?」
「構うもんか。それに、もう俺らはあの頃の子供じゃないんだし」
「そうだね。それに僕も久しぶりに兄ちゃんと練習したいし」
「いいか、練習じゃなく試合だと思って真剣にやれ」
俺は弟に勝負にこだわるように教えた。そして弟に、強くなりたいのなら俺の通っている高校に来い、と薦めた。
俺が三年生になったとき、弟も俺のいる高校に入学した。
入学と同時に、俺たち兄弟は、兄弟でもあるが先輩後輩の関係になった。
弟との練習では、俺は厳しく接した。俺が弟と練習できるのは半年ほどだ。半年もすれば俺は引退となる。それまでに弟に勝負に対する向き合い方を俺は教えたかった。
俺は三年生でも県大会に優勝した。全国大会に行くときも、弟を練習相手兼付き人として一緒に来させた。そして三年の全国大会でも俺は優勝し二連覇を成し遂げた。
弟には、結果を出すためには徹底するところを見せてやれたと思う。
俺は大学に進学した。大学には高校からの推薦で行けた。その大学も柔道の名門校だった。
大学入学当初は、大学生のスタミナとパワーに面を食らった。しかし技術的なことに対しては決して引けを取らないと感じた。一年生のときに徹底的にフィジカル面を鍛え直した。
二年生になると、俺は大学でも優勝できるまでになった。
三年になると、同じ大学に弟も入学してきた。
弟は高校のとき県の大会で優勝するも、全国大会では平凡な結果に終わった。結局、美しい柔道だけど、勝ちにこだわれないところが、まだ抜けないようだった。
弟が入学してきて、弟とは兄弟の関係は一切なくし、先輩後輩の関係で接した。練習中、厳しくするのは当たり前で、私生活も甘やかさず突き放した。
そして俺が大学四年生になったとき、弟は後輩からライバルに変わった。
弟が一年生のときにフィジカルを鍛えさせた。弟の体は筋肉が付き、頑丈になった。そして弟が二年生になったとき、俺と同じ階級の体重になった。
いままで学生のとき、俺が三年になったときに、弟が入学していたので、体の成長が違った。だから体重が同じ階級になることはなかった。
しかし大学生になって、俺が四年生で弟が二年生、俺たちは骨格も筋肉も成長しきると、だいだい同じ体重に落ち着いた。俺と弟は戦わなくてはならなくなった。
俺が大学四年生のとき、地区の決勝戦の相手は弟だった。投げ技に関しては弟のほうが有利だった。しかし総合的に見て、まだまだ俺のほうが強いと感じていた。それに兄としてのプライドもあるので、決して負けられない。
俺はまず試合の序盤は、弟の体力を奪う作戦に出た。
弟は多彩な投げ技で、俺を攻めた。内股、大内刈り、大外刈り、巴投げ、弟の投げ技のバリエーションは豊富だ。俺は反則にならない程度に攻め、体力を温存する。そして試合の後半、弟の投げ技を潰し、そのまま寝技の展開に持って行った。そして体力の無くなった弟を攻略し、俺は弟を抑え込んだ。
そのあとの表彰式、弟は悔し涙を流していた。俺はこのとき、弟が柔道で悔しがるところを初めて見た。
俺は全国大会でも勝ち続け優勝した。二年、三年、四年と三連覇した。
俺が大学を卒業すると、その後、三年生になった弟が優勝した。同じ世代が戦う大会で、弟が日本一になったのはこのときが初めてだった。そして四年生なるとさらに強くなり、圧倒的に勝つようになり、二連覇を成し遂げた。
そして俺と弟は、ただのライバルになった。
兄弟関係でもなく、先輩後輩の関係でなく、お互いに倒すべき相手になった。
俺は大学を卒業すると、警備会社の実業団に入った。弟は俺とは違う道を選んだ。弟は総合商社の実業団に入った。
俺と弟は、何回か試合で対戦する機会があったけど、俺はまだ一度も負けてない。兄として意地でも負けれない。
そして俺たち兄弟は、オリンピックの代表を争うまでに強くなっていた。
オリンピック最終選考、俺の体重の階級は四人の選手によって代表の座を争っていた。
前回のオリンピックで銀メダルを獲得した平田選手。そして前回のオリンピック代表の座を争っていた佐々木選手。平田選手、佐々木選手、両選手とも三十代前半で俺より上の世代だ。
そして俺、横山健と弟の横山優、この四人の選手が、今回のオリンピック代表候補になる。
前回のオリンピックから、国内の大会では優勝者が常に変わっていた。誰一人、連続で優勝した者はいなかった。実力も拮抗していた。
それに組み合わせでも結果が変わることもあった。相性というものがある。特に、弟は俺に一度も勝ったことがない。俺は平田選手にまだ一度も勝ったことがない。
そんなわけで、代表者の選考がもつれ、最終選考の大会で優勝者がそのまま代表になることが決まった。
そして最終選考、この四人がやはり勝ち残った。
準決勝第一試合、横山優選手VS佐々木選手。
弟の横山優の柔道は、この四人の中で一番投げ技のセンスがある。いや、俺が思うには、世界でも一、二を争うほどの投げ技を持つ。綺麗に人を投げるので、見る人を惹きつける柔道だ。それに以前までは綺麗に投げることに意識がいき勝ちきれないこともあったが、最近では勝ちにこだわるようにもなってきた。きっと多くの国民は、横山優に代表になってほしいと、多くの国民は思っているだろう。
佐々木選手は我武者羅な柔道をする選手。それに底なしのスタミナだ。見ている側からするとつまらない試合だが、派手さのない分、安定感のある強さがある。
弟は以前の試合で佐々木選手に勝ったことはあるが、それは試合開始直後すぐに投げれたから。粘られる試合展開になると佐々木選手が有利になる。決して弟も楽に勝てる試合ではない。
そして準決勝第二試合、横山健選手VS平田選手。
平田選手は全てにおいてバランスの良い選手。欠点というところが存在しない。投げ技、寝技の両方で勝てる技術を持ち、さらに勝負強さも持っている。
俺、横山健の柔道は、投げ技は背負い投げを得意としている。それに冷静で理論的に考え、自分に有利な試合展開を作ることができる。相手を分析し、相手の弱い場所を突いていく。
弟の横山優にも佐々木選手にも欠点があり、俺なりに勝つ作戦がある。しかし平田選手には作戦が思いつかない。俺には、弟のようにキレのある投げ技もないし、佐々木選手のような攻め続けれる無尽蔵なスタミナもない。
俺はどうやって平田選手に勝てるか?そのシミュレーションを考えていた。
俺も弟も、青色柔道着で試合前の待機場所が同じだった。
俺たち二人はライバルになってから、会話らしい会話なんてしばらくしたことがなかった。
準決勝第一試合、弟の名前がコールされた。弟が試合をする畳に上がる瞬間、珍しく俺に話し掛けてきた。
「先に決勝で待っている」
弟はそれだけ言うと、畳に上がった。
俺は、生意気なこと言いやがって、と思った。佐々木選手はお前が簡単に勝てる相手ではないぞ。
試合は俺の予想通り、佐々木選手が粘る試合展開になっていた。佐々木選手は弟の投げ技を警戒している。試合の早い段階で、弟が投げようと技を掛けるが、佐々木選手は何とか踏みとどまる。そして両者ポイントの無いまま試合が終盤に差し掛かった。時間が経てば経つほど、スタミナ面から弟には不利になる。
このまま両者のポイントが無いまま試合終了すると延長戦になる。延長戦はゴールデンスコア方式。どちらかが先にポイントを取るまで試合時間は無制限に続く。そうなれば増々弟の不利になるだろう。
俺は、弟を応援する気持ちなどなかった。どっちが勝とうが関係ない。それよりも俺は、自分のことを考えていた。平田選手にどうすれば勝てるか?その作戦を考えるのにいっぱいだった。
試合終了、三十秒前。
佐々木選手に二回目の指導が与えられた。指導は、技を掛けてない選手に与えられる。三つの指導が与えられると反則負けになる。佐々木選手は弟に投げられないように意識するあまり、いつもより技を出せなくなっていたのだ。
佐々木選手が二回目の指導を貰い、焦って技を掛けた瞬間、弟はその技を受け止め、逆に裏投げで返した。
「一本」。主審が手を挙げコールした。
見事に佐々木選手の背中が畳に打ち付けられた。
裏投げは、一種の力技。俺は弟が力技の裏投げを使うとは思わなかった。
弟が試合を終えて畳から降りた。そしてこれから試合に向かう俺とすれ違う。
「兄貴、必ず勝ってよ」
弟は息を切らせながら言った。
いつから俺に向かって、上から物を言う立場になったんだ、お前は。
俺は心の中で毒づきながら、怒りの感情を闘争心に変えた。
準決勝第二試合が始まった。俺VS平田選手。
俺は勝てるシミュレーションを持たずに試合に臨んだ。こんなことは久しくないことだった。どんな相手と試合をするときでも、試合前は、相手に勝つ場面、良いイメージを作り上げる。しかし、この試合では出来なかった。何回も試合をして、一回も勝てなかったことで、苦手意識がこびり付いていたのかも?
試合は開始すぐに、俺は大内刈りで倒され技ありを取られた。
しかし不思議なことに、俺に焦りはなかった。試合前は良いイメージが持てなかったけど、試合になると、そんなことは忘れていた。体も軽く良く動いていた。それに弟に目にものを見せてやりたかった。決勝に行って、弟にギャフンと言わせてやろうとワクワクしていた。
試合が後半に差し掛かり、俺は咄嗟に技が出た。それは一本背負い。
この一本背負いは、俺が世界と戦うために、ここ一年練習していた技だ。
去年の世界大会で、世界王者、フランスのルーカスと対戦し、自分の未熟さに気が付いた。何か新しい技を身に付けないと、世界では通用しないと痛感させられた。
俺は弟ほど器用でもセンスがあるわけではない。だから背負い投げ以外の投げ技はそれほど得意ではない。だから俺は背負い投げの派生、一本背負いの習得を考えた。それも反対側の一本背負い。俺の背負い投げは右背負い。でも一本背負いは左一本背負いの練習をしていた。
ここ一年、左一本背負いは練習で何度も試していたが、まだ試合では使えるほど完成してないと感じていた。だから今まで試合で使ってこなかった。平田選手に対して技が出たのは、本当に体が自然と動いたのだ。
主審が「一本」と叫び、手を挙げた。観客の歓声がどよめく。
平田選手が仰向けで倒れていた。
俺は、この試合で初めて平田選手に勝利した。
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オリンピック、男子柔道体重別決勝。
相手はフランス代表、ルーカス。前回のオリンピックの金メダリスト。そして世界ランキング一位。前回のオリンピックから四年間、国際大会で負け知らずの絶対王者だ。
試合は二分半過ぎに動いた。
ルーカス選手が空中に舞う。そしてそのまま一回転し背中から畳に落ちた。
主審は手を挙げ、「一本」と宣言した。
オリンピック金メダルは横山優。俺の弟に決定した。
弟はこのオリンピックの試合で、オール一本勝ちをした。しかもルーカス選手との二分半の試合時間が、一番長かった。ほとんどの選手を短時間で倒していったのだ。
表彰台の一番高い場所で、弟は金メダルを首から下げ、日の丸の国旗を見つめていた。
堂々としていた。表情からは、勝った喜びすらなかった。自分が勝って当たり前といった、王者の風格さえ漂っていた。
~~~~~~~
結局、最終選考の大会で優勝したのは弟だった。俺は決勝で弟に負けた。
決勝戦、俺は平田選手に勝って興奮していたのか、弟との試合のシミュレーションはしなかった。でも試合前は集中していた。
試合が開始し、俺と弟は一進一退の攻防を繰り広げていた。平田選手のときのように、体が軽く良く動いた。これがいわゆる、ゾーンに入っている、ということだと感じた。
野球選手がバッターボックスに立っているときにゾーンに入ると、ボールが止まって見えるという。俺の場合、弟が止まって見えたりしないが、でも、試合の序盤の立ち技の攻防で、弟と互角に渡り合えること自体、凄く調子のいい証拠だ。
試合の中盤、お互いに決め手を欠き、二人とも指導を一つ貰った。
お互いに指導を貰い、試合が再開した次の瞬間、俺の一本背負いが決まった。また体が自然と動いた。
主審は「技あり」と手を横に伸ばす。
弟は何とか半身になって耐えたのだ。
俺は、今まで一番調子が良かった。弟の動きが良く見えた。いや、見える前に感じた。技が来るのが分かった。弟の繰り出す技をことごとく防げた。
試合も後半に差し掛かり、残り三十秒を切った。
俺は再び一本背負いに入った。しかし次の瞬間。俺のほうが倒されていた。
弟は俺の一本背負いのタイミングに合わせ、そのまま裏投げで返したのだ。
「技あり」。主審がコールする。
お互いに、技ありを取ったので、試合は五分五分になる。
そして、試合時間の終了のブザーが鳴った。引き分けによる延長戦。ゴールデンスコア方式だ。
どちらかがポイントを取るまで時間無制限で続く。どちらかがポイントを取れば、そこで試合終了。
俺はこのとき後悔していた。裏投げで返された一本背負い。自然と出た技でなく、狙って技を掛けてしまった。そもそも、あの時間に自分から技を掛けなくても良かった。逃げて時間を過ぎるのを待てばよかった。指導を、もう一つ貰うくらいで済んでいたのに。そうすれば俺が勝って、俺がオリンピックの代表選手になれたのに。
くそったれ。
俺は悔しさを押し殺し、気持ちを切り替えることにした。延長戦なら体力のある俺のほうが有利に決まっている。
延長戦が開始して、さらに三分が過ぎた。
お互いに、もう一つ指導を貰い、二人とも指導が二つ。三つ貰うと失格負けだ。
もうギリギリの状態だった。呼吸が荒くなり、脇腹を締め付けられる。筋肉は軋み、柔道着を握る握力がほとんどない。でも、技を掛けないと指導を貰い、失格負けになる。
弟がこの延長戦で、ここまで戦えるとは、俺は思っても見なかった。
弟が技を掛ける。俺は耐えて、腹ばいで倒れる。
俺は次の展開を考えた。俺が次、すぐに技を掛けなければ、俺に指導が来るかもしれない。
俺が畳の上で腹ばいになっているところ、弟がひっくり返してきた。弟は寝技を仕掛けてきたのだ。弟が寝技を自分からやることなどないと思っていた。その分、俺の判断が遅れた。
俺は抑え込まれ、負けた。
そして弟が、俺たちの階級のオリンピック代表になった。
弟は表彰台で泣きじゃくっていた。まるで負けた選手のように。俺は、ただ呆然としていた。試合の結果を上手く処理できずにいた。
その後の勝利者インタビューでも、弟は言葉を話せないくらいに泣いて、インタビューどころではなかった。オリンピックに出れるのが、それほど嬉しいのだろう。柔道家にとって、オリンピックは夢の舞台なのだから。
選手選考の試合から三日間、俺は部屋から一歩も出なかった。決勝戦の後悔ばかりしてた。最後に一本背負いをしてなければ。寝技の警戒をしていたら。
目が覚めた時には、時間が戻って、もう一度やり直せれるんじゃないかと期待した。当然、そんなことは起きない。
選手選考の試合が終わり、次の日、俺の部屋に父親が来た。今まで一度も来たことない父親が、突然現れた。
その日は、俺たち兄弟を応援する後援会が、きっと弟の祝勝会を開いている。
後援会が発足したのは、俺が高校二年のときに日本一になってからだ。俺たち兄弟、どちらかが日本一になると盛大に祝ってくれる。
俺たちが学生のときは、お互いに戦うことは滅多になかったけど、社会人になり、お互いに戦うようになってから、祝勝会も変な感じになった。
兄弟両方を応援している後援会だから、どちらかの兄弟が優勝すれば、もう一方は負けていることになる。兄弟のどちらか一人が主役で、一人は欠席。社会人になり、兄弟で同じ祝勝会に参加したことはない。
そんな祝賀会が開催されているはずの日程に、父親が俺の元を訪ねてきた。
「どうだ?」と父は訊いた。
「どうだって言われても」。俺は素っ気ない態度で答えた。
しばらく沈黙が続いた。父親も口数が多いほうじゃない。そりゃ、変な空気にもなる。
あまりにも重苦しい空気だし、仕方なしに俺から父に話し掛けた。
「俺、柔道、引退するかも」
俺の気持ちを素直に言った。何か糸がプツンと切れるみたいに、やる気が無くなっていた。
父親は、「そうか」と呟くだけだった。
それから父親は、また黙っていた。励ますわけでもなく、叱るわけでもなかった。喋ることがないのなら、もう帰ってもらいたかった。
「親父、今日、夜から祝勝会だろ?そろそろ帰れよ。後援会の人も、親父がいなけりゃ怒るだろ」
親父は黙ったまま立ち上がった。そして玄関のほうに歩いて行った。
俺はホッとした。しばらく一人でいたかった。
玄関先で親父が再び喋り出す。
「結果が答えではない。結果は問いだ。問いの答えは、もう見つかったのか?」
昔の記憶がよみがえる。確か初めて聞いたのは、中学の頃だ。
俺は親父に訊き返した。
「どういうことだよ、問いの答えって」
帰らなかった父親に腹が立ったので、俺は声を荒げた。
「代表選考の試合。結果は問いだ。答えは見つかっているのか?」
俺には意味が分からない。
「結果は俺の負け。それが答えだろ」
「違う、その負けは、問いだ。そして答えが分からないうちは引退するな」
「なぜだ」
「答えが分からないまま引退すると、宙ぶらりんになるぞ。問いにケリを付けろ。ケリを付けずにいると、いつまでもその問いに引きずられ、前に進めなくなるぞ」
「じゃあ、答えを教えてくれよ。大事な試合で負けた答えを」
「答えは自分自身で探すんだ」
「どこを探せばいいんだよ」
「答えは稽古の中になる。苦しくても、もがきながら稽古をしろ。きっとその中に答えがある。引退するなら、答えが見つかってからだ」
親父はそれを言うと玄関の扉を開けた。そして俺の部屋から出た。
「悪いな。こんなことしか言えない父親で」
親父は最後にこう言い残し、扉を閉めた。
俺は父親が帰ってからも、部屋の中で一人で過ごした。後悔の想いや親父の言葉が、グルグルと頭の中を駆け巡っていた。
部屋に閉じこもって三日後。俺は部屋から出た。ずっと体を動かしてきた俺が、じっと考えるのは性分に合わない。体を動かしたくてウズウズした。
俺はぶっ倒れるまで全力疾走をした。代表決定戦の決勝を思い出した。あのときのほうが苦しかった。俺の体力は限界を越えていた。気力だけで戦っていた。きっと弟も。
汗を流すと、頭がすっきりした。
やることが決まった。問いの答えを探そう。俺はオリンピックまで弟の付き人兼練習相手を申し出た。
弟の練習相手になって数日間は、俺は余計なことを考えることが多かった。
周りから、弟のほうが優秀、可哀想な兄、そんなふうに見られているのではないかと、変に意識をしていた。
だから、そんなことも考えないくらい、柔道の稽古に没頭した。
数日間は弟と会話はなかった。ただ二人で黙々と練習をした。体力トレーニング、基礎の打ち込み、試合形式の乱取り。練習後は二人して倒れ込んでいた。
俺はこの数日間で理解した。
今回の試合、俺は負けるべくして負けたのだ、と。
弟に、俺が思っていた欠点なんて存在してなかった。スタミナ、寝技、勝ちにこだわる姿勢、弟には全て備わっていた。
俺と離れてから弟も、俺に負けず劣らず練習を積んできたのだと、俺は改めて気づかされた。
それに気づいてから、俺は弟と会話をするようになった。会話といっても、柔道のことだけど。
俺が考える、柔道の技術や理論、全てのことを弟に伝えた。それから、オリンピックで対戦しそうな強豪選手の研究や対策を、ビデオを見ながら二人で話し合った。
そんな日々の中、俺は小学生のときのことを思い出していた。
父親の道場で、俺は弟の面倒を見ていた。道着の着方から受け身のやり方。そんな初歩から弟に教えていたことを俺は懐かしむ。
俺と弟は、ライバルから再び兄弟に戻ったような気がした。
~~~~~~~
弟が金メダルを取った数日後、俺は父親の道場に来ていた。
今晩は道場で弟の祝賀会が催される。その準備に俺は来ていた。
弟は金メダルを取ったことで、関係各所の挨拶やら、テレビの撮影やらで忙しくしている。夜になって、ようやく道場に来れるという。
しかし昼前だというのに、道場は大賑わいだった。後援会の人、近所の人、多くの人が弟を祝うために駆けつけて来てくれた。まだ主役の弟が来てないのに、酒を勝手に持ってきて宴会を始めている輩もいた。
俺は駆けつけてくれた人に、一人一人挨拶をした。
「わざわざ、来てくれてありがとうございます」
「おめでとう。優選手、金メダル取れて良かったね」
俺は、道場にテーブルや座布団を運び、祝勝会の準備をしてた。夜に向けて、料理も次々に準備された。
そんな準備を手伝っている俺に、父親が話し掛けてきた。
「健、答えは見つかったのか?」と。
俺は準備している手を止めた。
俺が代表選考会で負けたとき、父には引退すると宣言していた。父親はことを訊いているのかもしれない。俺は「指導者の道を考えている」と小さく答えた。
俺は弟の練習相手になって、弟が上達したときや結果を出したときに、俺は喜びを感じた。それに、もう俺では弟に勝てない、と自分で感じたからだ。
「健、強くなったな」と父親が言った。
父親が俺を褒めるなんて、今までになかった。初めて優勝したときも、社会人で日本一になったときも、褒められてことはなかった。俺は父親の言葉に驚いたし戸惑った。
俺は父親に向かって、何か言おうと思うが、言葉が出てこなかった。その後すぐに父親は後援会の人に声を掛けられ、その人と談笑をし始めた。
仕方が無いので、俺が再び祝勝会の準備をした。
祝勝会の準備も整い、後は弟が戻ってくるだけになった。俺は道場の隅で、体を横にし休んでいた。すると、ちびっ子から声を掛けられた。
「横山選手、サインください」
男の子二人組だった。たぶん兄弟だろう。お兄ちゃんが中学生くらい。弟はまだ小学生かな?お兄ちゃんのほうが色紙を俺のほうに差し出していた。
「おいおい。俺は優じゃないぞ。兄のほうだぞ」と俺は答えた。
「はい。分かってます」と兄のほうが答えた。
俺は何度も確認した。俺のサインでいいのか?と。すると兄弟そろって頷いた。俺は色紙を受け取った。
兄のほうが、「今度、一本背負い、教えて下さい」と言ってきた。
俺は「この道場で、柔道してるのか?」と訊いた。兄弟揃って頷いた。
俺は「いいぞ、今度、練習に来てやる」と言うと、兄弟揃って「やった」と喜んでいた。
「優選手に一本背負い教えたの、健選手ですか?」と兄のほうが俺に訊ねた。「オリンピックの決勝の優選手の一本背負い、かっこ良かったな」と兄は弟に向かって言った。弟は頷き、一人で一本背負いの真似をした。
この兄弟が言ったように、オリンピック決勝で弟がルーカス選手を投げたのは一本背負い。俺が弟に教えた技だ。俺が習得するのに一年ほど費やしたのに比べ、弟は俺がコツを教えると三カ月ほどでマスターした。いや、一本背負いだけでない、弟は俺の教えたもの全てを吸収した。
弟には勝てない。俺はそう思わされた。
現役から指導者へ考えるきっかけになったわけだ。
俺は兄弟にサインを書いた色紙を渡した。
「お前たち、柔道は好きか?」
俺は色紙を渡すときに兄弟に質問した。
「はい」と兄が、「もちろん」と弟が同時に答えた。
俺は「そうか」とだけしか言えなかった。心の中では、仲が良いのなら別々の競技をやれ、と言っていた。
兄弟は「今度、本当に柔道教えて下さいね」と言って去って行った。
俺は再び隅で寝転ぼうとしたが、今度は後援会の人に呼ばれた。
まったく、俺も久しぶりのオフ日なんで、ゆっくりさせてもらいたいものだ。
後援会の人が俺を道場の教官室に呼んだ。
教官室にはテレビがあり、父親や数人の人がテレビを見ていた。そのテレビ番組は地元局のニュース番組。その番組に弟が映っていた。金メダル取った弟を呼ばれ、労いと賞賛の言葉を贈っていた。
いろんな話をしたあと、司会者が最後に弟に質問した。
「次の目標は?」
「兄貴に勝つことです」
「もう代表選考会で勝ってますよね?」
「勝ったの一回だけなので。まだまだ負け越してます。世界で一番強い兄貴です」
弟は笑顔で答えていた。
教官室でテレビを見ていた人が、みんな俺に注目した。
俺はテレビを見て考え直した。もうしばらく引退は先延ばしだ。弟が望むように世界一の兄貴でいてやろう。弟のライバルでいてやろう。兄弟に戻るのはいつでもできる。
俺は父親に向かって言った。
「親父、俺、弟に負け越すまで柔道続けるよ」
「健、お前はまだまだ強くなる」と父親は言った。
**********
スポーツの日(2020年)
2020年は、東京オリンピック開会式の予定日だった7月24日に変更される。
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