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 それから2日後、東京でガムリンチャを見かけなくなったというSNSがトレンド入りした。確かにぼくの家でもあれっきりガムリンチャを見かけていなかった。この時期にしては珍しいことだった。  さらに2日後、東京中のガムリンチャが一斉に北上しているとニュースがテレビで流れた。  ルートは色々だった。埼玉経由もあれば茨木経由もあった。少し遠回りして山梨経由もあった。でもその動きには意思みたいないものがあり世間をにぎわせた。  別々でありながら単一の意思を持っている、という彼の言葉は本当だったようだ。ぼくはCMよりもニュースに釘付けになりながらガムリンチャの動向を追い続けた。  ネット上ではガムリンチャの目的がわからず色々な憶測が流れていた。レミングの集団自殺になぞらえて、これでガムリンチャが全滅すればいいなどという書き込みも見かけた。  人間社会に見きりをつけた彼らの集団自殺はありえそうだった。どうかそんなことになりませんように。無力ながら毎日祈った。  ガムリンチャの目的の一部がわかったのは、一週間後のことだった。  なんと岩手にある自動醤油工場がガムリンチャに占拠されたのだ。  真夜中、たまたま警備員の巡回ルートをすり抜けて、たまたま醤油工場のメインシステムに障害が発生して、たまたまその夜に東京からのガムリンチャが押し寄せた、と報道されていた。でももちろんぼくは“たまたま”なんかじゃないことを知っていた。  岩手の自動醤油工場は広大で、敷地内には大豆畑もあって、少なく見積もっても向こう50年間分の醤油の自動生産が可能らしい。醤油工場の人には悪いが思わず“やった”とつぶやいた。人間の50年分の醤油があれば、彼らは何百年も飢えることなく楽しく過ごせるんじゃないだろうか。  だがこのニュースはすぐに下火になった。テレビで報道されたのもせいぜい一回か二回程度だった。ガムリンチャは人間にとって考えたくない存在、視界にいれたくない存在だから公共の電波向きではない。テレビ局にクレームが入ったのかもしれない。  だがぼくは興味津々だった。SNSもネットニュースも全部追って情報を集めた。  面白かったのは、東京だけじゃなく日本全国あちこちで“そういえば最近ガムリンチャを見ない”という投稿と“真夜中にガムリンチャが集団で移動していた”という投稿がされていることだった。  情報をつなぎ合わせるとガムリンチャたちはどこかへ移動をしているようだった。  そして醤油工場占拠事件から二週間が経った頃、国が密やかに岩手の土地を買い取った。買い取った区画には醤油工場の敷地が含まれていた。  岩手の山林地帯であるその区画には珍しい鳥や植物がいて保護するためという名目だったが、醤油工場を持っていた企業と政治家の癒着が噂されたりもした。  企業にしてみれば、ガムリンチャに占拠された工場で醤油なんてもう造れない。いや、造ったとしても誰も買わない。国が買い取ってくれるならラッキー、というところで疑われたようだが証拠はなかったようで立ち消えになった。  財務省のHPにもこの土地について掲載されていて、ガムリンチャが占拠した工場についても短く触れられていた。 「適宜対応します」と。  同時期、北海道に乱立していた大手薬剤メーカーのガムリンチャ実験室が次々と閉鎖された。  この頃には日本全国でガムリンチャを見かけることは滅多になくなっていた。いなければ退治する必要もない。退治する必要がなくなれば対策グッズはいらない。対策グッズがいらないなら実験なんかしなくていい。当然といえば当然だけど何かがうまくいきすぎていた。  ある掲示板サイトの一説によれば、ガムリンチャは覚醒して高等知能を手に入れた。その後何かしらで政府を脅して岩手の土地を手に入れた、北海道の実験室閉鎖ももちろんガムリンチャの力によるものだ、岩手の土地には日本中のガムリンチャがひそやかに集結して帝国を築いている、という内容だった。  ガムリンチャのアスキーアートともに荒唐無稽な都市伝説として、この説はたびたび登場しては消えるが、ぼくは真実にもっとも近いのではないかと考えている。もしかしたら政府筋のリークかもしれない。  なぜなら天才ガムリンチャは言っていた。 「人間にとって有害なものがぼくらにとってはそうじゃない」と。  あの日、ぼくがガムリンチャに持っていかせた醤油瓶にはアルカロイド系の毒が入っていた。  彼らはそれを飲むことで覚醒したんじゃないだろうか?  人間に殺される存在になんて甘んじていることはないと。  だとすると彼が深々と一礼した理由もわかる。  一つ言っておくと、ぼくはガムリンチャにわざと毒入り醤油を飲ませた訳じゃない。物覚えの悪いぼくは、ただ単に醤油瓶に毒を入れたことを忘れていただけだ。  あの醤油は、本当は妻が目玉焼きにかけて使うはずだった。  ちなみに、ぼくの妻はガムリンチャの東京脱出が話題になっていた頃に亡くなった。例の男友達に殺されたのだ。  奇妙な偶然だけど、その男友達も(も、は少し語弊があるけど)妻を毒殺した。使った毒物も、毒物を買った怪しげな闇サイトもぼくと同じだった。  被害者遺族として裁判を傍聴したけど彼は全面的に無罪を主張していた。でも彼のスマホには闇サイトでの購入履歴がはっきりと残っていたし、2人きりのホテルの部屋でほかに毒を入れられる人間はいなかった。客観的にはとても不利なように思えた。  弁護士は言った。 「確かに人間はいませんでした、でも被告は見たのです」  思わせぶりに言葉を途切れさせ 「ガムリンチャがテーブルの上、被害者のワイングラス付近で何かしているのを」  法廷内は静まり返り、それから失笑のさざなみが起きた。  弁護士も一瞬決まりの悪そうな顔をした。俺だって言いたくて言ってるんじゃない、というような顔だった。  以前、知り合いの弁護士に聞いたところによると、ドラマや映画とは違って、弁護士は依頼人の意思に沿って無茶な弁護をしなければならないことが結構あるらしい。  検事は馬鹿にするような口調で被告に聞いた。 「あなたはガムリンチャが被害者のワイングラスに毒をいれたと?」 「はい」  彼は青ざめていたがはっきりとうなずいた。 「あなたはガムリンチャがワイングラスに毒をいれたのを見たんですか?」 「いいえ、でもガムリンチャが彼女のワイングラスのそばをちょろちょろしている時、何かを持っていたんです。ぼくが追い払おうと近寄ったらもう持っていなくて...」 「その時、被害者はどこにいたんですか?」 「シャワーを浴びていました」 「仮に、本当に仮にですよ。ガムリンチャが毒をいれたとしましょう。あなたは彼女に忠告しなかったんですか?」 「忠告って」 「ガムリンチャがワイングラスに毒をいれたかもしれないことです」 「あの時はまさかそんなこと思わなかったから」 「ガムリンチャを見たことも言わなかったんですか?」 「言ってません」 「なぜですか?」 「だって彼女はガムリンチャが大嫌いでした。もしぼくが見たと言ったら気が狂ったみたいになります。部屋中を消毒しろとわめいたりフロントに怒鳴りこんだり大変なことになります」 「気の強い女性ですね」 「すさまじかったです」 「なるほど。だから殺した?」 「違う!」  被告人席で妻の男友達は拳を握りしめ震えていた。  ぼくは彼に連帯感を覚えた。  なぜならこの法廷内でガムリンチャが毒をいれたと確信しているのは、ぼくと彼の2人きりなのだから。  結局大方の予想通り彼は有罪となった。  ぼくは妻のいなくなった家で好きなだけCMを見て、ティッシュを玄関めがけて投げている。  ちなみにあの日の予言は全て当たった。  ティッシュが海側に落ちた東京からは何かが出ていく。  ティッシュが跳ねた北海道は束縛から解放される。  ティッシュがふわっと落ちた岩手県には何かがやってくる。  “何か”がガムリンチャを指すなんて思いもしなかったけれど。  今日投げたティッシュは3つとも岩手県にふわっと落ちた。  岩手県にはまだまだ何かがやってくる。  最近、空港や港でのガムリンチャの目撃情報が増えている。日本に比べれば数は少ないが、世界にもガムリンチャはいる。  ぼくは来週あたり、高級醤油を持って岩手に旅行しようと計画している。何かのうちの一つはぼくかもしれない。                 了
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