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鋭利ななにかで掻き切られた喉から、ひゅうひゅうと空気が漏れている。血だまりの中から苦しげに呻き、自らの運命を受け入れようとせず、救済を請い、願い、求める。
「助け、て……タスケテ……お願、イ」
手に付着した“血液の汚れ”だけを執拗に気にして、彼は足元に横たわる者の声など聞いてもいない。まるで耳に入っていない、彼の意識下ではそんな者は存在していないかのようだった。
そんな彼のすぐ傍で、彼女は興味津々といった様子で、その者を見つめている。
「ふぅん。助けてほしいの? 命が惜しいの? でもあなたを助ける価値、無いわよね? だってあなたは“ヨゴレテ”いるんだもの。“キタナイ”の」
「助けて、助け……」
自らの体内から溢れ出した血だまりの中から、懸命に救済を求め、懇願するその者は、血に塗れた手を伸ばす。
「ふふっ。どうする? この子、助けてほしいんだって」
彼女は彼に妖艶な笑みを向ける。彼は彼女に促され、初めて表情を変化させた。
感情表現の乏しい彼の見せた、初めての感情――疑問。あるいは、不審。
「あら、残念。この子も、あなたを“汚れてる”って言ってるわ。汚いモノはいらないの。あなただって、汚いモノより綺麗なモノの方がいいでしょう?」
「ううっ。お願い、だから……タス、ケテ」
彼女はその者の傍にしゃがみ込み、二本の指で摘まむように前髪を持ち上げる。縺れた髪の隙間から、ほんの僅かに輪郭が覗く。
「どうして“それ”に触るの?」
今まで何事にも無関心だった彼が、短く彼女に問い掛ける。
「助けてほしいの? 命が惜しいの? でもあなたを助ける価値、無いわよね? だってあなたは“ヨゴレテ”いるんだもの。“キタナイ”の」
彼女は彼の簡素な問い掛けを無視し、先ほどと一言一句違わない、全く同じ言葉を口にした。彼の眉が小さく動く。
「助けてほしいの? 命が惜しいの? じゃあどうやって綺麗になるの?」
彼女は無邪気な声音でその者に問い掛ける。執拗に、何度も何度もくり返す。その者にはもう、返事をする力も残っていないというのに。
「もういい、帰ろう」
さきほどから気にしていた汚れた手で、彼は彼女の袖を掴み、引っ張る。汚れが彼女の服にも付着したが、彼女は気にせず、足元の者の顔を見ようと、縺れた髪を無邪気な様子で持ち上げている。
「帰ろう」
もう一度、彼が彼女を促す。すると眼鏡の奥の双眸が彼の方へと向く。
「……そうね。飽きちゃった」
彼女はクスクス笑いながら立ち上がり、袖の汚れも、血だまりの中の者も、何一切の興味を失ったかのごとく歩き出す。その後に続いて彼も立ち去った。
「助け、て。誰、か……」
血だまりの中の者は誰にともなく、救いを請い求める。
意識は朦朧となり、視力はとうに失った。けれども助けを求め続けた。もう、“声”にならない音で。
命の灯火が燃え尽きる、その間際。
足音もなく、その者に近付く影があった。
「そんなに生きる事に執着するなら、助けてもあげてもいいよ。だって“あれ”はもう終わりだから」
「……タス……ケ……テ……」
「うん。助けてあげる。でもその血塗れの手で触らないで。汚れたくないから」
ククッと小さく笑い、血が通っていないような血色の悪い白い手が、その者の口元へと“何か”を近付けた。
「これを喰んで。そうしたら、君は命を繋ぐ事ができる」
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