3人が本棚に入れています
本棚に追加
/78ページ
僕は回復の準備に必要なアイテムを取り出そうと、自分の着ている白衣の左手の袖口へ右手を突っ込んだ。もちろん、普通は袖の中に物なんて入れないし、そもそも入らない。でも僕の場合は袖の中がアイテムボックスにつながっているので、所持品は全部ここから取り出すことができる。未来の猫型ロボットのような気分が味わえて、ちょっと楽しい。
「あったあった」
手探りしてすぐ、僕は神楽鈴という巫女専用の装備武器を取り出した。手持ちの部分だけを朱色に塗った短い金色の棒の先に、まるでブドウのようにたくさんの鈴の玉がつけられている。軽く手首を動かすだけで、しゃらんという澄んだ音が辺りに響き渡り、自然と僕の背筋も伸びた。
「えー、えー。コホン。んっ、んん」
せき払いで声の調子を整えながら、気持ちを落ち着かせる。回復の術技を使うのは、これで何回目だろう。たぶん両手の指じゃ足りないくらいには経験しているはず。でも、まだ慣れない。まだ、だいぶ恥ずかしい。
発動のため意識を集中させた僕を半円状に取り囲むように、光で書かれた文字が浮かび上がる。難しい漢字だらけなので、それだけだったら絶対に読めなかったけど、ちゃんとルビが振ってある親切設計なので安心だ。ありがとう、運営さん。
「祓え給い、清め給え。神ながら守り給い、幸え給え」
家族で参拝に行ったときに聞いたことがある、神主さんの呪文のような言葉。祝詞と呼ばれるそれを、まさかゲームの中で、回復の術技の一部として唱えることになるとは思わなかった。
「やっぱりカラオケの字幕みたいね、それ」
治療中でもマイペースなメイくんに、笑わせないでと文句を言いたくなる。でも途中でほかのことをしてしまうと回復の術技が消えてしまうので、ここは我慢するしかない。
「いにしへの、奈良の都の、八重桜、けふ九重に、にほひぬるかな」
次は、和歌だ。巫女の使用する術技は、百人一首と縁が深いらしい。中空に淡い光で書かれた歌を読み上げながら、そっと鈴で触れていく。その単調な動作を、ひたすらくりかえした。
「――百華祝詞 《八重桜》」
たっぷり十数秒をかけて唱え終わったところで、メイくんの全身を淡い光が優しく包み込む。小さな桜がぽわぽわと咲くエフェクトも合わさって、とてもキレイだ。しばらくして、メイくんを癒やしていた光と、僕の周りに浮いていた文字が、金平糖のようにキラキラと弾けて消える。うん、成功だ。
「どーも。体力ゲージの半分くらいしか回復してないみたいけど、夏樹はまだまだレベルが低いから仕方ないか」
「メイくんと同じくらいにはね。これに懲りたら無茶しすぎるのはやめてくれる? いくらゲームでも、誰かが危ない目にあうのを見るのはびっくりするよ」
「はいはい。夏樹はホントにオカンみたいね。今の姿だと、余計にそう思う」
寝そべった状態から上半身だけを起こしたメイくんが、空にも負けない青い瞳でまっすぐに僕を見上げる。
「あのさ、夏樹。このゲームをはじめて三日くらいたつけど、いまさらなこと聞いてもいい?」
「……なに?」
ちょっと嫌な予感がする。というか、さっき個人情報がどうとか言ってなかったっけ? 僕の本名を呼ぶのは、ありなのか? 目を半開きにして、口をへの字にしながら、僕はメイくんの次の言葉を待つ。
「このゲームのアバターって、その人が本当に望んだ姿になるっていうじゃん?」
「……うん」
白の小袖。赤い緋袴。黒くて長い髪の毛を、檀紙という白い和紙で筒のように縛った巫女姿の僕を見ながら、メイくんは長い首をかしげる。
「夏樹は、女の子になりたかったの?」
最初のコメントを投稿しよう!