神様に背いた夜

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「ママは二十四歳の時に二十六歳のパパと結婚したんだって。だから、六花も二十四歳になったら二十六歳のふーくんと結婚するの!」 「ちょうど二十年後だな! よーし、じゃあその時はりっちゃんをペガサスに乗って迎えに行くよ! それで、でっかいお城のお姫様にしてやる!」 「ほんと? 約束だよ!」  私と吹雪の幼い約束。三、二、一、ゼロ。あの日から二十年。日付が変わって私は二十四歳になった。  学生時代のグループラインからは次々に懐かしい面々からメッセージ。 「加藤ちゃんおめでと!」 「二十四歳おめ!」 「六花ハピバ!」  「ありがとう」のスタンプを押したところで、画面上部にポップアップ通知が表示される。差出人は百田吹雪。メッセージは「窓開けて」の一言だった。窓からかすかにノックの音がする。  私の部屋は二階。カーテンと窓を開けるとベランダに、吹雪がいた。 「ふーくん? なんで?」  驚きのあまり大声を出す私の口を吹雪がふさぐ。 「静かに。バレたら面倒だろ。やっぱり実家暮らしだと何かと不便じゃね? 家、出ねえの?」 「だってママがダメだって言うから」 「はあー、相変わらず過保護だな」 「ふーくんは?」 「去年から一人暮らし。言ってなかったっけ? これでも結構稼いでるからいいところ住んでるぞ」 「そうだったかも」  動揺する私を尻目に、吹雪が窓を静かに閉めた。 「外寒くて死にそうだった。あっためて」 そう言うなり、吹雪にいきなり抱き着かれた。冷たい体の吹雪を突き飛ばして拒絶する。 「やめてよ!もう三年も前に、終わりにしようって言ったよね?」  私達は恋人同士だった。親友にも言えない秘密の恋だった。明るい未来など決して訪れない不毛な関係は私の方から終わらせた。 「何だよ、新しい男でもできたのかよ」  冷え切った体よりもさらに冷たい瞳で吹雪が吐き捨てる。 「もう関係ないでしょ」  しどろもどろになりながら答えた。 「関係なくねえよ、約束を守りに来たんだから」  動揺で真冬だと言うのに冷や汗をかく私とは対照的に、私の心を見透かしたように吹雪は落ち着き払っている。そして、コートのポケットから小さな箱を取り出して跪き、私の手の甲にキスをした。 「六花が二十四歳になったら結婚するんだろ? 迎えに来たよ」  吹雪が箱を開けると、指輪が入っていた。 「六花、俺と一緒に生きよう」  取るに足らない、子供の頃の口約束。それを吹雪が覚えていてくれたことが嬉しかった。嬉しいけれど、私はこの手を取ることが出来ない。 「そんな、右も左も何も分からない四歳の頃の約束なんて無効だよ」 「でも、俺はあの時からずっと本気だった。六花だって一度は本気だっただろ?」 「結婚できないから別れようって言ったのに」 「俺はそもそも別れるって話、いまだに納得してないけどな」 「それに、パパとママが許してくれるわけないし、顔向けできないよ」 「知ってる。だから、駆け落ちしよう。さすがにペガサスとお城は用意できなかったけど、苦労だけはさせないからさ」 「それに、子供だって産めないよ」 「何で今、子供の話が出てくるんだよ? 関係ないだろ」 「だって、ふーくん子供好きじゃん! 私とじゃそういう家族を作る未来は望めないよ」 「子供がいたって十年持たずに離婚する夫婦だっているだろ。結婚は永遠とは限らないんだから、結婚を選ばない永遠があったっていいだろ?」  結婚生活が永遠でないことは分かっている。事実として、私が小学校に上がった年に父と母は離婚した。それでも、 「そんなの、夢物語だよ」 「六花が俺を一人の人間として嫌いだとか、他に好きな男ができたとかそういうのだったら潔く諦めるよ。でも、約束を覚えててくれて、約束の日に部屋に入れてくれて、ふーくんなんて昔の呼び方で呼んでくれたりなんかしたら、俺のことまだ少しは好きでいてくれるって期待するだろ」  図星だった。私は今でも吹雪が好きだ。吹雪と別れて以来、誰とも付き合っていない。吹雪以外の人を好きになるなんてできなかった。 「それは、会うのが久しぶりだったし、しかもいきなりだったからつい昔の呼び方に戻っちゃっただけで……」  言い訳を続ける私に痺れを切らしたのか、吹雪はスマホを持ったままの私をベッドに押し倒した。 「やめて……!」  吹雪は私の肩の近くに手をついて覆いかぶさり、至近距離で私を見下ろしているが、動きづらいものの両手両足含め体は自由だ。吹雪はいつだって私に優しい。 「どうしても嫌だって言うなら、俺を蹴り飛ばして拒絶してくれよ。『助けて』って叫べよ! 警察に通報しろよ。カッターか何かで俺のこと刺して殺せよ!」  息を切らせて吹雪が叫ぶ。できないよ、そんなこと。でも、私は吹雪を受け入れることもできない。 「だって、私たち兄妹だよ! やっぱり、こんなのだめだよ、吹雪兄さん!」  両親の離婚に際して、私は母に、二つ年上の兄・吹雪は父に引き取られた。私は父に、吹雪は母に月に一度面会していたので二週間に一度会っていた計算になる。  私たちは男女として愛し合っていた。しかし、私も大人になって、この関係に未来がないことを気づいてしまった。  普通の兄妹に戻ることを決めた日から私は彼を「吹雪兄さん」と呼ぶようになった。私なりのけじめだった。そしてなるべく顔を合わせないように生きてきた。 「何だよ、そんなに世間体が大事かよ……。俺は、六花がいるなら全部捨てていいって思ってるのに、六花はそうじゃないのかよ」  私の顔の上に吹雪の涙が落ちてくる。泣いている吹雪を始めて見た。強くて大人でかっこいい私の最初で最後の恋人は、他の誰から見ても最高の「お兄ちゃん」だった。そんな彼の涙に、私の涙が混じる。 「なんでふーくんはお兄ちゃんなのっ……」  溢れだす感情が止まらない。こんなこと言ってはいけないのに。 「本当は今でも好きだよっ! でも、兄妹で恋人になるなんてパパもママも世界も神様も絶対に許してくれない!ふーくんがお兄ちゃんじゃなければよかったのに……」  泣き喚く私を抱き起こして、吹雪が強く私を抱きしめる。そして、優しく頭を撫でられた。 「泣かないで、りっちゃん」  お互いが世界の全てだった小さい頃の呼び方。物心つく前からずっと私を守ってくれていた人の温もりに呼吸が落ち着く。この体温を忘れたくても忘れられなかった。 「俺、六花以外は全部捨てていいと思ってる。六花しかいらない。なあ、ついてきてくれよ。世界を全部敵に回しても六花のこと守るって約束するから。神様に背く関係だって分かってる。俺が一人で六花の罪も全部背負って地獄に堕ちるから。だから、せめて俺が地獄に堕ちるまで隣にいてほしい。ほかに何も望まないから」 私は吹雪を強く抱きしめ返した。 「私も、ふーくん以外何もいらない」  吹雪にだけ聞こえるように小さくつぶやいた。この答えを出すまでにずいぶん時間がかかってしまった。  抱擁を解いて、互いを見つめ合う。どちらからともなく私たちは唇を重ねた。子供の頃、遊びでしたキスとは違う大人のキス。神様に背いてでも、私たちはお互いを求め合った。  息が苦しくなるまで長いキスをした私たち。頭が蕩けた状態の私に吹雪が告げる。 「左手、出して」  言われるがままに手を差し出すと、吹雪は私の薬指にダイヤの指輪をはめた。そして、そのまま私の手をとる。 「行こうか、りっちゃん」  思春期を過ぎてからも、私をとびっきり甘やかす時、吹雪は私を幼いころのように「りっちゃん」と呼んだ。 「うん、地獄にだってついていく」  私たちは何も持たずにベランダから逃避行をする。小さい頃、鍵を忘れた日やこっそり出かけたい日に二人でベランダからの出入りをしてよく怒られていた記憶が蘇る。  神様に怒られても、地獄に堕ちてもいい。これは生涯最初で最後の恋を貫くと誓った夜の物語。
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