第一章  翔之介・IN・ハワイ

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 3・ベルトランの愛  明け方の事だった。  ユキと愛を交わした後の心地よい疲労に微睡み、翔之介は愛しい妻の身体を抱き締めて深い眠りに落ちた。途轍(とてつ)もなく、幸せな夜だった。  そんな夜が明け、薄っすらとした仄かな明るさのなかで、翔之介は全く久しぶりにベルトランの夢を見た。以前に見たのがいつだったのかも思い出せないほど、この数年の間は一度もみなかった夢だ。  鮮やかなライトブルーの海が見える。キラキラとまぶしく輝きながら浜に打ち寄せる波が揺れる。  そんな海が見える小高い丘の上に、その城は建っていた。天守などはまだない時代である。それは尾根に沿って空堀が掘られ、塀と漆喰の築地が張り巡らされた、砦のような簡素な山城だった。  国を治める松戸(まつど)氏は、国人領主と呼ばれる弱小の大名に過ぎず。今は隣国の強大な日野(ひの)氏に攻め入られ、浮沈の瀬戸際にある。  城の直下まで敵の旗に埋め尽くされ、明日には滅亡の時を迎えるだろう。  翔之介の生まれ変わる前の姿が、松戸氏の姫の一人と婚儀(こんぎ)を約していたベルトランだ。彼はイスパニア人の船長で、船が難破して浜に流れ着いたところを、まだ幼かった姫に助けられて松戸氏家中に迎えられた。  早い話が、姫はベルトランの命の恩人。  以来ずっと。松戸氏の為に交易(こうえき)を担当してきた。李朝(りちょう)や、衰退の兆しが見え始めている明国(みんこく)、アユタヤ王朝や東南アジアの国々との交易は、弱小大名に過ぎない松戸氏の財政を潤してきた。  ベルトランに恩義を感じていた松戸氏は、末娘の姫との婚儀を許したのである。姫はまだ十四歳になったばかりだった。  一方のベルトランはと言えば、イスパニアからアジアへ船団を率いてきた船長である。  当然だが、立派な大人だった。  翔之介は夢の中のベルトランを始めて、客観的な目で観察した。  「ベルトランは、今の僕とそれほど違わない」、衝撃的な発見だった。ただの夢だと笑えない話だ。  姫は十四歳、今のユキよりもずっと幼い感じがする。その姫が、城が落ちる前に落ちのびてくれと頼んでいるのだ。  「まだ情けも交わしてはおらぬのに、松戸家とともに滅びる必要はない」  「今なら、沖の船で日ノ本を離れられよう」、アユタヤの国へ落ち延びてはどうかと。ベルトランの命を案じているのだ。  「何故だツ」、ベルトランが姫の身体を抱き竦める。髪を掴んで顔を覗き込んだ。その姫の眼に涙があふれ出る。  「ソナタはもう十分に、我が松戸家に尽くしてくれた。城とともに滅するは松戸家の運命なれど、愛しいソナタを巻き添えにはしとうないのじゃ」  一生懸命に微笑もうとする姫の愛が、胸に鋭く突き刺さった。
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