私は生きる

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美穂は生まれてすぐ、母の腕に抱かれることはなかった。 帝王切開による肺気胸だった。 保育器に入れられ、いくつものチューブに繋がれた姿は、まるで違う生き物のようにも見えた。 ガラス越しにも分かる、ケースの中で弱々しく呼吸する小さな命。 幼い私がその姿を愛おしく感じるには、この透明で閉鎖的な壁はとてつもなく分厚く思えた。 顔もよく見えない。 手も触れられない。 ただただ、妹の姿を動物園のように眺める。 明るく笑顔で迎えるつもりでいた私にとって、この状況はあまりにも虚脱感が大きかった。 10日ほど経ち、美穂は初めて父と母の腕に抱かれた。 その時の両親の喜びようといったらなかった。 "やっと授かった我が子。" その時からすでに、私の立ち位置は変わっていたのだ。
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