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目的地に到着したが運転手はドアを開けず、本当にここで降車するのかと、塔子に尋ねた。
それもそのはず、到着したのは人の気配も街灯も殆どない場所だった。
「お気遣いありがとうございます。でも夫がいるので大丈夫です」
塔子がそばに停まっていた賢治の車を指差すと、運転手は安堵の表情を浮かべ、ドアを開けた。
遠くに人影が見えたが、暗くて賢治かどうかまでは分からない。波音しか聞こえない静かなところだった。
しばらくその人影を眺めていると、メールの着信音が鳴った。
それは賢治からのメッセージだった。
『話がある 今から帰るから待っていてほしい』
こんなメールは初めてだった。
様々な思いが塔子の頭の中を駆けめぐり、不安と緊張で体が震えた。
けれども、自分も賢治に話さなければいけない事がある。きっと賢治は気付いていたはずだ。このタイミングでお互い我慢の限界に達したのだろう。
その時、賢治と思しき人影が、薄暗い堤防をこちらへ向かって歩いてきた。
「――塔子、何で? どうした?」
釣竿を片手に持った賢治は、かなり戸惑っている様子だった。
「釣り……してたの?」
「うん」
「毎日?」
「そうだよ」
塔子は肩の力が抜け、その場で立ち尽くしていた。
不意に賢治が塔子の手を引いた。
「塔子、帰ろう」
その途端、塔子の目に涙が溢れた。
「賢治、ごめん。私――」
「いいから」
賢治は全てを悟っているようだった。
塔子の涙を指で拭って抱き寄せ、もう一度言った。
「帰ろう」
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