2 さざなみと、合わせ鏡の教室

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 叔母さんが心配顔で俺の顔を覗き込んでくる。  目と目が合いかけた俺は思わずドキッとそっぽを向いて、 「言った、言った。ちゃんと言いました」 と早口で答えた。  向こうの親……ってどこの親だよ、って話だ。  うーん、なんなら高藤の親に対応してもらって……ってダメに決まってんじゃん。  大体どう説明して協力してもらうんだよ。  俺、あなた方の息子さんの部屋に一晩泊まった高校生です。いろいろイケナイことされました。いや、夜何をされたかはともかく、ですね。外泊の言い訳をしなきゃならないんで、俺の同級生の親のふりをして叔母と話してくれませんかね? って……。  アホか!  そんな話を持ちかけられてOKする親がいるはずない!  ……と、俺が自分自身にツッコミ入れていると、 「私から改めて電話でお礼言わなくちゃ。急なことで迷惑だったでしょうし」 と叔母さんが言ってきた。  決まってんだろ、電話なんてしてもらっちゃ困る! 「そんなことより、仕事行くんでしょ」  俺はとっさに話題を変えた。  すると叔母さんは、 「そんなことって、志信」 と目を見開き、まなじりを吊り上げた。  非難の目で見られても引き下がれるわけない。昨日の夜、俺が高藤と何をシたなんて、女装がバレる以上に知られるわけにはいかないことなのだ。 俺は、(言いくるめられてくれー)とただただ祈った。 「向こうの親、共働きで忙しいからお礼とかはいいって言われてる。電話されてもかえって迷惑だって。俺、夕飯は外で済ませたし、ほんと泊めただけだからって」 「でも……」 「叔母さん出勤しようとしてたんだろ。時間大丈夫?」 「あっ、もうこんな時間? 学校長だから一番に出勤しなくちゃならないのにっ」  叔母さんが腕時計に視線を落としてあたふたと焦り出したので、俺は内心ホッとした。 「気をつけて。行ってらっしゃい!」  俺はここぞとばかりに叔母さんの背中を押して玄関の外へ出し、こちらを振り返ってくる彼女にニコニコの作り笑いで手を振った。 バタンとドアが閉まる。 思わずヘナヘナとその場にしゃがみ込んだ。 「……マジ勘弁してよ」  嘘をついたせいで、精神的疲労感がハンパない。  ま、俺自体が嘘の塊だけどさ。  とにかく、今日も平日。数時間後にはまた学校で授業を受けなくちゃならない。  俺はヨロヨロしながら二階の自分の部屋に行き、昨日のままのカバンの中身を入れ替えた。 はぁ〜、気分が重い。  この気分の重さは……スカートのポケットに入ったままの手紙のせいだ。 ——お前の秘密を知っている。 この手紙にはもう一行、こう書かれてた。 ——明日夕方四時、北校舎一階旧美術室に来い。  *  北校舎一階旧美術室といったら……高藤と俺がシていた、あの合わせ鏡の教室だ。  わざわざあの教室を指定してくるなんて、確定だよな。 手紙を置いて行った奴は、俺と高藤との関係を知っている。 わざわざこんな手紙で呼び出すなんて、脅すつもりなのか? 「……喧嘩売りやがって」 (覗き見の上に脅しとか、お嬢様学校が聞いて呆れるぜ) と、俺は憤った。  高藤にあれこれされてだらしなく喘いでいた自分の姿を誰かに見られていたのかと思うと恥ずかしさと怒りでどうにかなりそうだ。 (手紙をよこした奴が待ち合わせの場所に来たら……、俺を脅したことを絶対に謝らせてやるっ)  自分のことは棚に上げて……差出人不明のこの脅迫に俺はめちゃくちゃ腹を立てていたんだ。 そして鼻息荒く登校したのだが。 (なんだ?)  校門をくぐるなり俺は首を傾げた。  学校の空気がざわついている……ような? 思わず立ち止まった俺に、 「おはよう、一条さん」 と声をかけてきた生徒を見ると、同じクラスの女子だった。 「おはよう。今日何かあった?」 (ゴメン……名前、覚えてないけど)クラスメイトだと断言できる程度の彼女に、俺は自分の違和感を確かめたくて聞いてみる。 「え? 何かって。何もないよ。どうして?」  キョトンと聞き返してきたクラスメイトのポニーテールが左右に揺れる。 俺は戸惑った。  この違和感は、もしかして俺しか感じていないのか?  確かに、俺はあの手紙のことが頭から離れなくて、登校途中どの生徒の顔を見ても(この中に差出人がいるのか? 一体誰だよ)って神経を尖らせてはいた。  でもそれは俺の内側の不安なわけで。  この違和感は、うまく言えないけど……外側からこうヒタヒタと迫ってくるような?  なんていうか、胸の辺りがざわついて気持ちが悪いんだ。  理由がわからないってのは気持ち悪いもんだろ?  だからこの変な感じに対する疑問が捨てきれなくて、 「んー、なんていうかいつもと違うかな、って」 と首をひねる俺に、クラスメイトはテヘッと舌を出し、いたずらが見つかった時のようなひねた笑い方をしてきた。 「わかっちゃった?」  わからないから聞いてるんだけどな! 「やっぱり、何か……」  思わず声を落として見下ろすと、彼女は首をかしげポニテにした自分の髪の端をちょいとつまんだ。 「もー……、内緒だよ? うちの学校染めるの禁止なんだけど、実はインナーカラー入れちゃったんだ」 「へっ?」  何を言われるかと身構えていただけに、(は? 髪色の話かよっ)と内心ガクッとする。  まぁ、おっしゃるように校則違反ですからね。  一大事だろうよ。バレたら……本人には。 「ほら、ハニーピンク。内側の髪に一筋だけだよ? 中に入れて縛っちゃえば見えないし。お願い、絶対内緒にしてね」  真剣な表情で見つめられ手まで握られ、懇願されて、その妙に強い押しに俺は思わず頷いてしまった。 「う、うん……すごく似合ってる。誰にも言わないから」
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