2 さざなみと、合わせ鏡の教室

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 みんな俺から視線を逸らす中、この状況を作る元凶となった発言をした目の前の二年生だけは、視線だけで俺を射殺す勢いで睨み続けている。  お嬢様のくせに「クソ」なんて言葉がスルッと出るあたりどうにかしてるぜ。  そんな、俺の発言と睨みに怯まず見返してくるエセお嬢様とガンの飛ばし合いをしていると、 「まぁまぁ、せっかく仲良くなってもらいたくて集まってもらったんだから、喧嘩しないで」 と、声をかけてきたのは生徒会長の冴草みなみだった。 「冴草センパァイ」 エセお嬢様が甘えた声で呼びかける。 「今年の一年、ちょっと生意気すぎるんですけどっ」 (ふんっ、ちょっとじゃなくて、すごくって言いたいくせに) 「そうよ、生意気よ」  野次馬たちの何人かが息を吹き返したようにエセお嬢様に同意する。  それに機嫌を良くしたのかエセお嬢が俺に勝ち誇ったようにチラリと流し目を送ってきた。  堪忍袋の尾は既に切れてはいるが、俺は怒りをグッと腹の底に押し戻す。  冴草先輩は俺たちのテーブルの前まできて、小首を傾げてエセお嬢様に話しかけた。 「男女比はまだかなりの不均衡だけど、一年は男女共学なのよね。その一年生の中からカップルが生まれたらどうしましょう」  話しかけられたお嬢様は、冴草が自分の見方についてくれると期待していたのが、予想外の話題を振られて毒気を抜かれた様子でポカンと口を開けたまま固まってしまっている。  へへっ。ざまぁないぜっ。 と、内心ほくそ笑んでいたら、 「そういえば、一条さん、もう彼氏がいたりする?」 「ふぇ?」 こっちにも予想外の質問が飛んできた。  俺の頭の中で、ふわぁ……と高藤の像が形を成し……俺は慌てて両手をパタパタさせてその幻影を追い払った。 「な、何をおっしゃるのですか、生徒会長」 「ふふ、一年で噂のクールビューティをあたふたさせちゃった」 「……」 「ごめんなさい。混ぜっ返しちゃうのは昔からの私の悪い癖ね。端神さん、それから他の皆さんも」 ……ふーん、エセお嬢様の苗字は端神っていうのか。 「同じ学校の仲間を悪く言ってはいけません。彼らに何か悪い行いがあったならともかく、男だから、なんてそんなそもそもなところを攻撃するなんて、人としての品性を疑われますよ。我々上級生は下級生を見守り暖かく迎え入れる立場なのです。立場とは、手具主張を凌駕するものだと私は思います。皆さんは生徒会の一員だと言う立場をもっと自覚しなければいけません」  そう言うと、会長は立ったままでいた俺を手振りで座らせた。  俺が発言した時と違って反論する生徒はいない。  この二ヶ月で学んだことだけど、男同士だとわざと怒らせるぎりぎりを探り合ってお互いのパワーバランスを見極めるのを、女同士ってやつは初見で誰がマウントを取るのか察してしまうものらしい。  俺にはその塩梅が理解できないので、なるべく沈黙を保つ様にしているんだが……今日は黙っていられなかったんだ。 「……それと、感情的になるのは仕方ないとして、自分のお口のこときちんと躾けてね。端神さん」  これはつまり「口が悪いぞ」と生徒会長直々に叱られているんである。 (ケケケ……) 内心笑いながら端神センパイを見やると、殺されそうな目つきで睨まれた。 (いや〜ん。おっかなぁーい) と俺は心の中でベロを出す。  会長の話はまだ続いていた。 「今日はもう解散にしましょう。男子生徒の着替えについては私から学校に確認します。先生方が考えていらっしゃらないわけないでしょう?」 後輩の俺がエセお嬢先輩に楯突いた時点でもはやお茶会って空気感じゃなかったから、居た堪れない気持ちで座っていた生徒もいたんだろう。みんなそそくさと腰を上げ帰り始める。 そしてテーブルに残されたティーカップと食べかけのお菓子の残骸。 見事に後片付けをしないでみんな帰って行ったのはお嬢様ゆえのおおらかさからなのか、俺への当てつけなのか。 (……だめだー。メンタル、悪く考える方に傾いてるわ、俺)  自分の中の負の感情を一旦切り離すイメージをして、食器を片付けたり洗ったりは後輩の仕事なんだろうな、と思い直す。  俺ってさ、一旦負の感情のドツボにハマると脳みそが溶けるまで悪い妄想と自己嫌悪で精神を病むタイプだから、〈切り離す〉ことを心がけてる。 〈切り離す〉って言うのはさ、つまり頭ん中にでっかい断ち切り鋏をイメージしてさ、あんま考えたくないことやぐるぐるした感情をそのハサミでエイやっと切って捨てちゃう、っていう……。 あくまでもイメージなんだけど、ね。 ドツボにハマらないための便利なイメトレって感じ。  昔、そう……から教わってさ。  ……えぇっと、誰に教わったんだっけ?  しばらく記憶を探ってみて、思い出せなかったので俺はあっさり自分の疑問を放棄した。 そして一人、部屋の外にある給湯室(本当は先生が使う場所らしい)で洗い物をしていると、会長が(残っていたんだ……)声をかけてきた。 「一条さん、今回はあなたの主張が全面的に正しいと私は思うけど、学校にこれまでいなかった男子が入ってきたことで、みんな動揺している表れなのよ。端神さんははっきりした性格だから言い過ぎたけど、これはみんなが抱いている不安を口にしただけとも言えます。二年、三年を悪く思わないでね。女って、状況の変化に反抗してしまう生き物だから」  生徒会長が、わざわざ〈女って……〉なんて前置きをしたので、俺はドキッとしてしまった。  そこだけ強調するみたいに言われた気がしてさ。 ……俺が気にしすぎなのか?  思わず取り落としそうになったティーカップを慌てて掴み直す。  洗い終わった食器を拭くのは会長がやってくれた。 (まさか、俺が男だってわかっていってる? ……とか、まさかな) ……まさか、まさか……。 〈切り離せ〉と自分の心に言い聞かせるけれど、うまくいかない。  さっき、俺と高藤のことを、あの教室の外から覗いてたのは生徒会長なんじゃ……?  嫌な汗が背中を伝う。 そんなことを考えてすぐに返事ができずにいると、 「とにかく、今回のことで勝ったと思わず、先輩は先輩として敬うように」 と、ちょっと怖い目になった会長にクギを刺されたのだった……。
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