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朝、目が覚めると、子供部屋はしんと静まりかえっている。
いつもいっしょに寝ている五年生のねーねは、学校の自然教室で近くの山に泊まりに行っているから、今朝はいないのだ。わたしとねーねは、三年生と五年生の姉妹だ。
一人部屋がほしいと、いつも思っていた。だから今朝は、思いきり一人を満喫するんだ。わたしはそう思ってうきうきした。
たんすを開けて服を着替える。いつもはねーねにせかされて、じっくり服をえらぶことができないけど、今日はちがう。たんすも、姿見も、ドレッサーも、独り占めだ。
服を着たあと、ドレッサーの前に座り、髪をポニーテールに整える。
「あ、そうだ……。」
ドレッサーにはお花の模様のついた小さな引き出しが二つあって、右がわたし、左がねーねの引き出しだ。わたしもねーねも、ここに自分のシュシュやピンを入れている。
わたしは、右ではなくて、ねーねのものが入っている左のひきだしを、そっと開けた。ビーズのついたピンやふわふわとしたシュシュが、いっぱい入っている。
「一日くらい、借りたって、いいよね。」
いつもうらやましかった、ねーねのヘアピン。銀色の細長いピンの先っぽに、きれいな空色をした、しずく型のビーズが五つ集まって、お花の形を作っている。駅前のアクセサリー屋さんで友達とおそろいで買ったんだ、と、ねーねは嬉しそうに自慢してたっけ。
わたしはその空色のお花のピンを自分の前髪にさした。
「よし、今日はこれで学校に行く!」
わたしはうきうきしながら、いきおいよく子供部屋を出た。
*
「おはよー。あかり、そのお花のピン、かわいい。」
いつも一緒に登校している、親友のえりが、私の顔をのぞきこんで言った。
「へへ、いいでしょ。きょうは、お姉ちゃんのピン、借りたんだー。」
「そうなんだ。大人っぽいねー。あかり、前髪をそうやってとめると、
しおりちゃんに似てるね。やっぱり、姉妹だね。」
しおりっていうのは、ねーねの名前だ。朝からえりにほめられて、わたしは気分が良かった。ねーねとは、けんかすることも多いけど、似てる、と言われると、やっぱり嬉しい。わたしはすっかり満足した気分で歩き、学校の門をくぐった。
*
クラスに入ると、わたしはねーねのヘアピンを仲良しのみんなにさっそく自慢した。
「みてみて、お姉ちゃんのピン、借りてきちゃった!似合ってるかな?」
「いいねー。」
「かわいい!」
みんなにほめられて、わたしはますます嬉しくなる。ねーねのピンをつけてる、それだけで、ねーねのように大人っぽく、しっかり者のお姉さんになれた気がして、楽しくて仕方なかった。
休み時間のたびに手洗い場の鏡をのぞいては、鏡に映った自分の顔を見てにこにこしてしまう。いつもは苦手な体育の時間も、その日はぜんぜん辛くなかった。校庭を走るときも、体がふわふわ軽くなってしまったようで、あっという間に三周走ってしまった。音楽の時間だって、いつもは恥ずかしくて口パクしてしまうのに、今日は違った。勇気を出して、声を出して歌うことができたのだ。どれもこれも、ねーねのピンをつけているおかげだった。
*
「ただいまー。あー、今日は学校楽しかったー。」
家に帰って、せっけんで手を洗いながら洗面台の鏡を見る。
「……あれ?」
わたしは大変なことに気がついた。ピンが、ない。
「ど、ど、ど、どーしよう!」
わたしは頭が真っ白になった。最後に鏡を見たの、いつだろう。
体育の授業のあと?それとも、音楽室に行く途中の廊下?いや、ちがう。下校前にトイレに行って、そのときトイレの鏡を見たときは、ピンはついていた。
「帰り道で、落としたのかも……。」
ねーねは今日の夕方に帰ってきてしまう。探さなきゃ!
わたしはおやつも食べずに家を出て、通学路を必死で探した。でも、ピンはどこにも落ちてない。ビーズがきらきら光るから、落ちていれば、目立つはずなのだ。とうとう、学校の前まで来てしまった。校庭も探した。放課後に校舎に入ることは禁止だから、校舎の中を探すことはできない。昇降口でうろうろしていると、男の先生が一人、通りかかった。
「どうした、こんな時間に。」
「ピ、ピンをなくして……。」
わたしは涙目になりながら、ピンの特徴を先生に伝えた。
「わかった。もし、落ちてたら担任の先生に渡すから。今日はもう、帰りなさい。」
先生が行ってしまうと、わたしは涙がこらえきれなくなって、泣いた。泣きべそをかきながら家に帰った。黙ってねーねの大切なピンを借りるなんて、本当に、ばかなことをしてしまった……。
*
日が暮れてから、ねーねは帰ってきた。夕飯の席で、ねーねは自然教室のことを楽しそうに話している。パパとママが、にこにこしながらうなずいて、ねーねの話を聞いている。でも、わたしはねーねの話がぜんぜん頭に入ってこない。なくしたピンのことで、頭がいっぱいなのだ。せっかく、おかずは大好きなとんかなのに、頭が真っ白で味も感じない。
ねーねはいつ気がつくかな。今日の夜?明日の朝?ああ、どうしよう。
「あかり、どうしたの?考えごと?」
わたしの様子がうわのそらなのに気がついたのか、ねーねが、首をかしげてわたしの目をのぞきこむ。心の中を見通されるような気がして、わたしは心臓がどきどきした。
「ななな、なんでもないよ!ああ、とんかつ、おいしいな!」
わたしは、とんかつをひときれ、わざとらしく口の中に放り込んだ。
「へんなあかり。あ、それでね、そのときはるかがね……、」
ねーねは一瞬だけ不思議そうに口をとがらせたが、すぐにまた、夢中で自然教室の話を始めた。わたしは心の中で、そっと胸をなでおろした。
*
そのあとは、いつものようにねーねとふたりでおふろに入り、歯をみがいてふとんに入った。ねーねは自然教室で疲れていたのか、夕飯を食べ終えるとなんだか眠そうな顔になり、無口になった。わたしは相変わらず頭の中が真っ白だったが、ねーねはもう、「どうしたの?」とは聞いてこなかった。
でも、明日の朝には、ぜったいにばれるのだ。そう思うと、わたしはねーねの隣のふとんの中で、いつまでも眠れなかった。どうしよう、どうしよう。ぜったいに、怒られる……。ねーねはとっくに、寝息を立ててぐっすり眠っている。それでも、ふとんの中でどうしようを繰り返しているうちに、わたしもいつの間にか、眠っていた。
*
朝、目が覚めると、もう八時になっていたが、土曜日なので学校はお休みだ。ねーねは、隣のふとんでまだ寝ている。わたしはふとんから出てドレッサーの前に行き、ねーねの髪かざりが入っている左の引き出しをそっと開けた。開けたら、あのピンが、ここに入ってたらいいのになあ……。
だが、そんなことは、ありっこないのだ。ふわふわとしたシュシュや飾りのついたヘアゴムをかき分けて、あの空色のお花のビーズがついた、銀色のピンを探したが、もちろん、そこには入っていなかった。
ため息をついて、引き出しを閉じようとしたそのとき、ねーねのするどい声がした。
「あかり、そっち、わたしの引き出し!勝手に開けないでって、
いつも言ってるじゃん!」
やばい、見られた!
いつの間に起きていたのだろう。パジャマすがたのねーねが、ふとんの上でこわい顔をして、わたしをにらんでいる。ねーねはこわい顔のままずんずん近づいて来ると、わたしをおしのけてドレッサーの前に立った。
「もう。勝手にさわらないでよ。どれも宝物なんだから……。あれ?」
ぷりぷりとおこりながら引き出しの中身を点検していたねーねの手が、ぴくりと止まった。
「りあなとおそろいで買ったお花のピンがない……。」
ばれた……。もう終わりだ……。
「し、知らないよっ。わたし、さわってないもん!」
わたしは思いっきりうそをついた。
「あかり。うそ。」
ねーねは、鬼のように目をつり上げて、こっちをにらんでくる。どすのきいた低い声で迫られて、わたしはふるえあがった。
「……ごめん。きのう、勝手に借りて、学校につけていって、
なくした……。」
気がつくとわたしは、こわさのあまり、本当のことを言っていた。ねーねの顔が、みるみる真っ赤になっていく。目には涙も浮かんでいる。どうしよう、かんかんに怒ってる……。
「……っばかっ!」
ばしっ!
肩を思いっきりひっぱたかれた。
「さがしてよ!どこでなくしたの!」
じんじんと痛む肩をおさえながら、わたしはつっかえつっかえ、昨日のことをねーねに説明した。下校する前にトイレに行ったときまでは、つけていたこと。通学路と校庭を探しても見つからなかったこと。男の先生に伝えて、もし見つかったら担任の先生に渡してもらうことになっていること。説明しているあいだ、ずっと泣きそうだったが、わたしはぐっと涙をこらえた。
そのあと、わたしは頭が真っ白で、どう過ごしたのかあまりおぼえていない。ねーねはずっとこわい顔で、わたしとは口をきいてくれなかったのだけは覚えている。つらくて、ごはんもおやつもよく食べられなくて、消えてしまいたかった。ねーねの大切なピンを勝手に借りて学校に行くなんて、ほんとうに、しなきゃ良かった……。時間を昨日の朝に巻き戻して、やり直したいと、何度も何度も、そればかり考えていた。
*
月曜の朝。ねーねはわたしにぷいっと顔をそむけると、一人でさっさとランドセルをしょって学校へと行ってしまった。わたしはそのあとから、のろのろとくつをはいて、一人で歩き出した。途中でえりと一緒になって、二人で歩いたが、えりとの会話も、ずっとうわのそらだった。
どうかどうか、先生がピンを見つけてくれていますように。担任の先生が、ピンをあずかってくれていますように。ああ、でも、見つからなかったどうしよう。だれかがねーねのピンを拾って、すっかり気に入ってしまって、家に持って帰って自分のものにしてしまったら?頭の中では、そんなことをぐるぐる考えつづけていた。
クラスに入ると、わたしは担任の先生にすぐ聞いた。
「先生、ヘアピンの落とし物、届いてませんか?」
「ヘアピン?来てないなあ。」
わたしはがっかりした。そんなにかんたんに、見つかるわけないか……。一人でため息をついていると、えりが声をかけてきてくれた。
「あかり、なんか今日は、朝から変だと思った。ヘアピンなくしたの?」
「ああ、うん……。じつはね……、」
わたしは、金曜日からのことを全部、えりに話した。
「……それで、ねーねがかんかんに怒ってて、口きいてくれないんだ。」
「そっか。それならさ、事務室の前にある落とし物コーナーも見てみよう
よ。」
落とし物コーナー!そうだ、そんな場所があったの、すっかり忘れてた。朝の会が始まる前に、えりと二人で急いで落とし物コーナーを見に行った。
「こら、廊下は走りません!」
途中ですれ違った別の学年の先生に注意されてしまったが、わたしたちは気にもとめずに、落とし物コーナーへと走った。
「はあ、はあ、つかれた……。」
「ヘアピン、ないねえ。」
せっかく急いで来たのに、ヘアピンはなかった。事務室のドアをノックして事務の先生にも聞いてみたけれど、「届いてないですねえ。」という返事だった。
朝の会が始まっても、ねーねのピンのことが頭からはなれない。授業中も先生の話が頭に入ってい来ないし、黒板もろくに写せない。こんな日に先生に当てられなくて、ほんとうにラッキーだった。
そして給食のあとの昼休み、わたしはもう一度、えりと一緒に落とし物コーナーに行った。
そして、見つけたのだ。
落とし物コーナーの長机の上の、使いかけのポケットティッシュと、かたっぽだけの手袋のあいだに、ねーねのピンが、廊下の窓からさす太陽をあびてきらきら光ってる!
「あった!」
わたしはピンのところに駆け寄った。だけど、その瞬間、大変なことに気がついた。
ビーズがひとつ、取れている。
しずく型のビーズでできた五枚の花びらが、ひとつとれて、四枚だけになってしまっているのだ。
「ど、ど、どうしよう!」
「だれかに踏まれて、はがれちゃったのかな………。仕方ないよ、あかり、このまま持っていこう。」
えりは落とし物コーナーからヘアピンを取ると、わたしの肩を抱いて落ち着かせてくれた。四枚だけになってしまったお花のピンをしょんぼり眺めながら、わたしはえりと午後の教室へと戻った。
*
放課後。
いつもの交差点でえりとわかれて家に帰ると、わたしはねーねの帰りをじっと待った。今日は委員会活動があるから、ねーねは帰りが遅いのだ。ピンが壊れてしまったこと、ちゃんと謝らなくちゃ。そう思いながら、わたしはおやつも食べずに、落ち着かない気持ちで待った。
「ただいまー。」
ねーねだ。わたしはすぐに、ビーズのひとつはがれてしまったピンを持って、玄関に走った。
「ねーね、ごめん。ピン、見つかったけど、こわれちゃってた。
大切なピン、勝手に使って、こわして、ほんとにごめん。」
謝りながら、涙があふれてきた。ねーねは玄関でくつをはいたまま、困ったような顔でわたしを見下ろしている。
「……あかり、もう、いいよ。……わたしも、怒りすぎてごめん。」
ねーねはそう言って、私の頭をぽんぽんとなでてくれた。
*
そのあと、わたしとねーねはリビングで、ママの用意してくれていたおやつのクッキーを黙って食べた。落とし物コーナーにえりと行ったことも、話そうかと思ったけれど、話したらまた泣いてしまいそうだったので、わたしは黙って食べた。
ねーねは、自分のクッキーをぜんぶ食べてしまうと、花びらのひとつとれてしまったヘアピンを指でつまんで、しばらく眺めていた。そして、急ににやりと笑うと、私の前髪にピンを当てるようにして、言った。
「うん、いいじゃん。花びら、四つになっちゃったけど、四つ葉のクローバーみたいで、これはこれでかわいいよ。これ、あかりにあげる。」
「え、いいの?」
あげる、と言われて、わたしはさっきまでのしゅんとした気持ちも忘れて、ねーねからピンを受け取った。さっそく前髪にさして、リビングの窓ガラスに自分の顔を映してみる。
空色に光る四つ葉のクローバーが、まるで仲直りのしるしみたいに、わたしのおでこの真ん中できらきらと光っていた。
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