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友人の声は僕の少し後ろから聞こえてきた。
「ああ、振り返っちゃいけないぜ。おれは死んだって事になってるんだ」
「そうかい」と僕は言ってテーブルの上に置いてあった、爪切りを手に取ってみた。
「子供の時からずっと使っていいる爪切りなんだ。こればっかりは置いていけなかった」
爪切りの歯はだいぶ脆くなっていたが、何度も研磨されているようで間違えて挟まれたら皮膚ごと噛み切られてしまうような鋭さを兼ね備えていた。
「どうしておれが生きてるってわかった?」
「だってフランボワーズ・カウベルは死んでいなかっただろう」
すると彼は驚いたような顔をしてからそのあとに声を上げて笑った。
「そうだな。確かにカウベルは死んじゃいなかった。彼は世間に自分が死んだという嘘をついた」
「なんでこんなことしたのさ。家族まで使って。ちょっとやり過ぎなんじゃないか?」と僕は爪切りの歯をカチカチと合わせながら言った。「せっかく双子の彼女ができたのに」
彼からの返答はなかなか帰ってこなかった。僕は彼がどこかに行ってしまったのだと思い、振り返ろうとしたところでようやく口を開いた。
「おまえ、カウベルの『ある姉妹のはなし』を覚えているか?」
僕は頷いた。その作品こそ彼が死んだ後に出版された本だった。
「内容を説明してみてくれ」
僕は彼の言いたいことがよく分からなかったが、記憶の本棚を漁ってその話を思い出した。
「あるところに双子の姉妹がいた。その姉妹は全て出来事を二人で共有しながら生きてきた。進学する学校ももちろん一緒だったし、姉妹揃って得意なピアノを弾く時は必ず二重奏だったし、着る服も毎日同じだった」僕はそこまで言って一度息を整えた。「しかし二人にも共有できないことがあった。それは他者から受け取る愛だった。愛情の数値を図れない限り一人の男が二人の女性を同時に均等に愛すことは不可能だった。彼女達は付き合った相手が少しでも双子のどちらかを優遇したり贔屓に扱ったら、時に激しい嫉妬に駆られ、時に相手を傷つけるまで怒り狂った。そこで双子の姉妹は考える。どうすれば、永遠に均等の愛を注いでくれる人物に巡り会えるか。そこで彼女達が出した答えは、二人を愛した時点でその人物を殺してしまうことだった。すぐに終わってしまえば、優遇も贔屓も嫉妬も怒りもない。そうして双子の姉妹はこの物語の中で合計四人を殺した」
僕は言い終えると大きく息を吐き出した。ここまで立て続けに話し続けるのは久しぶりな気がした。
「それと同じことがおれに起こったかもしれないと言ったら、おまえは信じるか?」
ぼくは友人が言ったことをもう一度頭の中で繰り返した。それと同じことがおれに起こったかもしれないと言ったら、おまえは信じるか?
「もちろん君はシラフなんだろう?」
「近くに皿があれば回していたさ。もちろん喜んで小指で二枚目を回すよ」と友人は言った。「しかしあいにくここには割れちまっている皿しかない」
僕は時間をかけてカウベルの小説に出てくる双子の姉妹と、つい数週間前に話した顔が瓜二つの双子の姉妹を重ね合わせてみた。しかしそこに類似点のようなものは浮かび上がってこなかった。
「この話はどうやら僕の手に負える話じゃなかったみたいだ」僕は両手を挙げて降参のポースをした。「僕に言えるのは君が生きていて良かったってことぐらいさ」
「ありがとう」と彼は素直に言った。「まああれは奇書と呼ばれるくらいだからな。いきなり現実で持ち出されても想像するのは難しい」
その後に僕は友人に彼女達がもうあの町から出て行ったことを伝えて、双子のやってきたことを警察やらに通報するのか訊いてみた。
「いや、もう彼女達とは関わらない。うまく彼女達を騙せたんだ。自分から首を突っ込むことはしないよ。今後、彼女らの被害者が出ないことを祈るだけさ」
僕は最後に友人に訊いてみた。
「なんで君は彼女らがやってきたことを知ることができたんだろう?」
「彼女達の携帯や持ち物からそれらしいものを見かけたって事もあるが……」
彼はそこで少し言い淀んだ。ややあって彼は口を開いた。
「双子の姉妹がフランボワーズ・カウベルの熱狂的なファンだったからさ」
「……フランボワーズ・カウベルは本当に偉大な作家だ」と僕は言った。
「全くそう思うよ」と僕の友人は辟易するように言った。
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