憂鬱な誕生日

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 今日は私の誕生日。  私の好きなハンバーグが夕飯だ。デザートにはリクエスト通り、チョコレートケーキが出てくるはず。  ランドセルを下ろして宿題のノートを出しながら、やはりワクワクは止まらない。  誕生日は、数少ない、私の意見が通る日なのだ。  私には姉が2人いる。上の姉は高校1年。下の姉は中学2年。私は小学4年。  末っ子はわがままが通るなんて言うけれど、一部の幸運な妹弟だけの話だ。現実はそんな甘くない。  そりゃあ、姉たちから虐げられているわけではない。でも、猫っかわいがりされてるわけでもない。  どちらかというと、私が何か言ったりやったりすると、「またあの子が変なこと始めた」みたいな、どうしようもないちびっ子を見るような目をされる。  私だって、それくらいはもう気づく歳だ。でも、姉たちはそれに気づいていない。  わかってはいる。  小学生がいくら息まいたって、中学生や高校生の世界は大人の世界。太刀打ちできないのも事実で、子ども扱いも仕方がない。  そして。  誕生日は嬉しい反面、憂鬱なのである。 (今年は何がもらえるだろう)  いつだって姉たちは、私が欲しいと思っているものをプレゼントしてくれる。  去年は、下の姉からは、丸いベルがジリリと鳴る目覚まし時計をもらった。キッズ向け映画の主人公が使っていて、憧れていたのだ。上の姉からは、その当時はまっていた歌手のアルバムが入った音源データ。いつの間にダウンロードしていたのだろう。  どちらもすごく嬉しかった。  素直に嬉しい。  嬉しいのだけれど・・・。 (私はお姉ちゃんたちが欲しいもの、全然わからない。かわいい文房具じゃ、お姉ちゃんたちはもう使わないもんなあ)  自分のお小遣いの範囲で買えるものなんて、たかが知れている。とうてい、もらったものと同等のものは買えない。  それに、私から見てどんなに大人っぽい文具や雑貨を選んでも、所詮は小学生レベルの大人っぽさなのだ。  自分でもそれが分かっているから居たたまれない。  でもきっと、姉たちは、私がそんなことを思っているなんてまったく気づいていないだろう。  姉たちの中では、私はいつまでも、子ども。わがままで、何を考えているのかわからないちびっ子なのだ。  今日で私はひとつ歳を取る。姉たちの年齢にひとつ近づく。  でも、数か月後には姉たちが誕生日を迎える。  年齢差は、永遠に埋められない。  そして、姉たちに選ぶ誕生日プレゼントを思うと、今日プレゼントはいらない、と思ってしまう。  毎年毎年、悩ましい。  まあ、末っ子の仕事として、無邪気に喜ぶことは怠らないけどね。
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