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コンコンコン、とドアの音がする。
普通だったら無視する深夜の訪問者。
ただ、季節を考えるとあり得るかもしれない。
なんて考えながら重い腰を上げて、ドアに開いた穴を覗き込む。
見覚えのあるシルエットにため息をついて、自分を落ち着けてから鍵を外してドアを開けた。
「よっ、真咲ぃ〜」
「……うちは宿じゃないんだけど?」
「そういうなよぉ〜」
完全にできあがった茹でダコの様に赤い顔で、とろんとした目をして絡んでくる。
面倒だな、とは思うけれどこの辺はそれなりに物騒だし、追い返すのも憚られる。
ひらひらの服に身を包んで、綺麗に髪もセットしてあって、傍目から見たら可愛いだろうに。
台無しだな、と思いながら目の前で油断しきって笑う人物を見る。
いつもなら相手がそこまで開けていない胸元が大きく開いていて、風呂上がりからそのまま肩にかけていた自分のタオルで隠す。
「お、気が利くなぁ〜」
「気が利くじゃなくて、自分でなんとかしなよ」
「そうだなぁ〜、気づかなくて」
言動もふわふわしていてどこかおかしい。
気づかなかった、という言葉に引っかかりながら、酔っぱらいを回転ドアの要領でくるりと中に引き入れて、オレはドアを閉める。
「そこはベッドじゃないんだけど?」
「すぐ帰るから、ここでもいいよぉ〜」
「いいわけないだろ、せめてソファで寝ろよ」
「運んでくれよ真咲ぃ〜」
「はいはい……ソファまでね」
「やった〜」
手を差し伸べるとよろよろしながら肩に掴まる。飲んでるとはいえ、まだ歩ける方みたいで良かった。
何がいいんだ、と首を振って重さを感じながらソファまで運ぶ。
「何があったの?」
「ん? 無いよ、何も」
「……あ、そ」
「うん」
何もなくてうちに来るわけ無いだろ。
思った言葉は口にせずに寝かせると、上着が破れているのが見えた。
「それ」
「ん?」
「破れてるけど」
「ああ、引っ掛けた、みたいだ」
「そう」
「うん」
またか、なんて思ったりする。
元々小柄だし、可愛い顔もしているし、それでいて気は強いんだけど。それでも覆せない体格差という物はあって。
よく見ると腕にも擦り傷があるのが見えた。
「腕怪我してるじゃん。手当する」
「え、いいよ。舐めとけば治る」
「それバイ菌がはいるから絶対にやめろよ」
「そうなんだ? お前は賢いなぁ、真咲」
自分のが賢いだろうに、何を言ってるんだか。
救急箱を手にとって、消毒液と絆創膏を取り出す。
近づいていくと、察したのか黙って腕を出した。
消毒液をつけた瞬間にビクリ、と跳ねる。
なんだ、痛かったんじゃないか。
「なぁー……真咲」
「何?」
「お前、オレの事どう思う?」
「夜中に訪問してくるのは正直迷惑」
「あっははは、そうだよなぁ」
聞きたかったのは多分そうじゃないだろうな、と思いながら素直に答える。
絆創膏を貼りながら、別の言葉を並べる。
「……良い家族だなとは思ってるよ」
「お前は、昔から優しいよな」
手を伸ばして昔みたいに頭を撫でられる。
一生年下で、弟ではあるのだろうけど、成人男性なんだけどな。
文句の一つでも言ってやろう、と顔をあげると想像以上に優しい顔をしていて言葉を飲み込む。
「やっぱり何かあった?」
「ないよ。うん、無い」
「そう」
「うん」
強がりなのは知ってるし、弟にそんな所見せたくもないんだろうな、とも思う。
なんとなく、今まで聞けなかった事を一つだけ聞いてみた。
「あのさ」
「何だ?」
「前から気になってたんだけど、扱いは兄のまんまでいいの? 姉のが良いの?」
小さい頃から兄として見てきた人物が、性別を変えたことに特段驚きはなかった。
いや、嘘だ。
驚きはしたけれど、いつ、どこで、どうやって、いくらかかったの、という聞くのがどこか申し訳なくなるような純粋で、けど無粋な疑問ぐらいで。
別にそれで家族であることに変わりはない。
嫌な人もいるのかもしれないけど、少なくともオレにそういう感情はなく。
「お前はどっちが良い?」
「えっ、いや、今の結構勇気出して聞いたんだけど……委ねられても困る」
「そっか、そうだよなぁ……」
「どっちでもいいなら『美咲兄』ってこれからも呼ぶけど、こう、外で会った時に、そっちが困るかなって」
「外であったら無視してくれればいいんだよ」
「なんで。家族だろ」
「……真咲は、本当に良いやつだよな」
「それ、あんまり褒められてる気がしないんだよな」
「嫌味で言うやつもいるけど、俺は褒めてる」
「嫌味で言ってるときもあるんだろ」
「はははは」
「否定してほしいところだったんだけど」
「……それが出来るほど良い兄じゃあないんだ」
「あ、そ」
横になったまま、伸ばした手で勝手に頭を撫でていくのもそのままにしておく。
「そうだ、美咲兄」
「ん?」
「スープぐらいならあるけど、飲んどく?」
「おねがいしようかな」
「分かった。寝るなよ」
「寝ないよ」
大体うちに来るのは何かあった時。
何があったのかは、何度聞いたって言ってくれやしない。
だから俺は、いつもどおりに過ごすだけ。
「……はい、スープ」
「ありがとうな」
「今回は何日泊まってくの」
「しばらく?」
「あ、そう。家事分担ね」
「えー」
「えーじゃない」
だけど、何の心配もなく過ごせる場所であればいいな。
とは、思っているんだ。
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